好きなことで生きていく?
ほんの数ヶ月前の僕は大好きだった「好きなことで生きていく」という言葉がある。
インターネットが普及し企業やら働き方やら様々なものが‘‘自由’’になった。
こう聞くときっといい世の中になったもんだなー、人の引いたレールの上を歩かないぞ!と皆思うだろう。
実際、今僕だって同意見だ。でも安直に考えないでもらいたい。
自由には孤独と責任がセットで付いてくる。
人の引いたレールの上を歩かないということは、先の見えない森とひどく冷たい沼に囲まれた村から地図なし、前例なしで飛び出ることだ。
誰もいこうとしなかったのにはそれ相応の理由がある。きっと森では自分がどこにいるのか、どこに行きたいのか分からなくなるし、沼は凍えるほど冷たいだろう。
村でぬくぬくと暮らしていたって、きっとそれ相応の幸せを手にできたかもしれない。
家族がいて、友達がいて、みんながいて。そのうち恋人ができて子供を授かるだろう。
でも旅に出たあなたは一人だ。誰かのせいにすることもできないし、本当の意味で助けてくれるわけでもない。孤独と戦わなければいけないのだ。
それでもまだ見ぬ地を目指して、自分が本当に心から渇望しているところを目指して、一歩踏み出せるのか。そこを問うことがどれぐらい大事なのか、みんな分かってるのかな。
「好きなことで生きていく」
とてもいい言葉だとは思うが、従来の暮らし方、働き方が「悪」見たいな雰囲気で進められていくのはものすごく無責任な話だと思う。なんだが哀れな奴ら見たいなレッテルを貼りがち。
本当に自由なら、人のレールを歩む方と自分で切り開いていく方、どちらの長所も短所もちゃんと説明された上で選択させてほしい。
誤解されたくないので言うが、あくまで僕は後者の立場だ。
ただ、きちんと説明責任はまっとうしませんか。「若いうちはいっぱい失敗しとけ」そんな簡単な言葉で片付けないでください。
こっちは今を必死に生きているんだ。