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「本当の自分」を探してはいけない

湧きあがる感情。
自分に正直だと思える感情。

それは、そのときのスナップ写真に過ぎない。

にもかかわらずそれが自分だとレッテルをはる。それを受け入れ固定化する。予言の自己成就。自縄自縛。

「本当の自分」に忠実でいることが、有害な感情の習慣を固定化する。

夫婦関係。
親子関係。

うまくいかない場合、二人のコミュニケーションはパターンに陥っている

どちらも「本来の自分」という役割にしばられている。二人ともこのままで良いとは思っていない。しかし抜け出し方がわからない。

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ここから抜け出すには、パターンに陥っていると自覚し、自分で変えられると気づく。人間は普遍でも不動でもない(はず)

相手の別の面を引き出すために、自分に何ができるか

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相手の別の面を引き出すためだけに、こちらが態度を改めて寛大になる必要はどこにあるんだろう?。そう思ってしまう。

なぜか?

やはりわたしは、何らかの「本当の自分」に従って行動すべきだと考えている。

しかし単一の「本当の自分」など存在しない。

やるのはまず、自分だ。

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パターン化された悪い習慣は、相手を思いやる気持ちを妨げる。

ならば、良い習慣をパターン化することを目指す。そこに相手へのおもいやりを添えて。

おもいやりの感情が毎回湧いてこなくてもよい。湧いてきている「かのように」振るまえばよい。それは礼儀であり仁である。


以上、今日も「考える葦」に来ていただき、ありがとうございました☺️




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