「アイドルぎらい」から「葛藤するヲタク」へ 〜アンジュルム・INIとの邂逅〜《前編》
こんにちは!葛藤するヲタクです。
葛藤するあまり、ハンドルネームまで「助けて❗️」にしてしまいました。
今回は、「ハロオタブログ Advent Calendar 2024」の12/18分を担当させていただきます。
全体のテーマが「邂逅はSo goodだ」だということで、もともとは「アイドルぎらい」だった私がさまざまな邂逅を経て「葛藤するヲタク」になるまでのお話をしてみようと思います。
簡単に言えば、私のヲタク遍歴の紹介みたいな感じです。
アンジュルムとINI(とちょっとME:I)という、私が大好きなグループが登場します。
なかなか話がまとまらず悩みながら書いていたのですが、分量がどえらいことになってしまったので、前後編に分けてお届けします。
長いので気ままに飛ばし読みでもしつつ、楽しんでいただけると幸いです!
アイドルぎらい誕生:「私にはアイドルの良さがわからない」?
さて、まずは、なぜアイドルが嫌いだったのか?についてお話ししましょう。
初っ端からネガティブな内容になってしまうことをお許しください、すみません。
作詞作曲しているミュージシャンしか認めない?
私が小中学生の頃といえば、嵐やAKB48の全盛期。少女時代やKARAなど、K-POPも流行していた頃です。
私はそれらにハマることはなく(KARAだけ友達の影響で聴いてたけど)、親が車で流すメジャーな歌手の曲を聴き流していました。
登校班の集合時間まで観ていたおはスタでは、『きらりん☆レボリューション』の月島きらりに扮した久住小春さん(モーニング娘。)がパフォーマンスをしていましたが、「こんなんはどうせ口パクやねん」とくさす親を真に受けて「へえ、そんなもんか」と思っていたものです。
今の私がその場にタイムスリップしたら、全力で反論するのに……。
音楽へのこだわりがなくミーハーな割に、アイドルをなんとなく下に見ている。そんな家族の態度は、確実にアイドルぎらいの発端になっていると思います。
「親の影響でバンドが好き」とか、「きょうだいがアイドルにハマってたから自分も……」とか聞くと、今でも「めちゃくちゃ羨まし〜〜〜」ってなります。
小学校6年生くらいから中・高にかけては、インターネットのおかげで、ミーハー育ちの私も音楽鑑賞の幅をすこし広げることができました。
そこで、それまでよりも自発的に探し出して好きになった音楽が、邦楽ロックでした。
まだハットじゃなくてニット帽かぶってた頃のRADWIMPSや、まだブラウン管の向こう側で評価されたくなかったBUMP OF CHICKENなど……
その頃感じたバンドの良さというのが、なんといっても、曲作りから演奏・歌唱までを自分たちでやっていること。
私は音楽以外でもDIY精神みたいなものを好みがちです。
そのため、「バンドが1番カッコいい!」と思うようになったわけです。
それ自体はよかったのですが、ここで幼少期からの「へえ、アイドルってそんなもんか」と「バンドが1番カッコいい!」が最悪のケミストリーを起こしてしまいます。
気付けば「作詞・作曲をしているミュージシャンしか認めない」という価値観ができあがっていました。お前マジで何様やねん。
アイドルからは主体性が感じられない?
もうすこし抽象的に言い換えるならば、アイドル文化の外側で漏れ聞こえてくる情報だけでは、アイドルから主体性を感じることができず、私は魅力を感じることができなかったといったところです。
高校から大学にかけては、フェミニズムや人権問題について興味を持ち学ぶようになったことも、こうした「主体性がない」というイメージのアイドルから遠のく一因になっていたと思います。
「フェミニストはヲタクになれない」って勘違いしてたんかもね、かわいそう。
アイドルはあくまでプロデューサーやファンから与えられた役割を果たす「客体」として頻繁に扱われてきたこと。
そして、アイドルのパフォーマンスは「見られる客体」としての表現が中心になってきたこと。
後編で詳しく触れますが、こうしたことは今でも否定できない事実ではあると思っています。
だから、「私にはアイドルの良さがわからないしハマることもないだろうな」と思いながら長年生きてきました。“Not for me”ってやつ……?
しかしその後、あるグループとの邂逅をきっかけに思い直すことになります。
そのグループがまさに、アンジュルムだったのです。
アンジュルムとの邂逅:「私もアイドルを楽しんでいいんだ」!
実は、アンジュルムの名前と存在は高校時代から認知していました。
当時からアンジュルムファンの友人が何人かおり、教室で毎日のように「勝田里奈さんが……!」などと興奮して話す様子をフ〜ンと見ていたからです。
「フ〜ン」のまま私は高校を卒業してしまいましたが、ところどころで「ハロプロは本当に歌がうまい」という話は小耳に挟んでいました。
そして歌に厳しい友人が褒めていたからと、初めて真面目に観たのがBuono!のライブのまとめ動画。
おかげで「フ〜ン」から「ほ〜ん、ほんまに歌上手いやん」くらいにはなりました。だからお前何様やねん。
「赤いイヤホン」と佐々木莉佳子さん!
コロナ禍で暇を持て余し毎日ベッドでのびていた頃だったのもあり、Buono!をきっかけに、ときどきハロプロのグループのライブ映像を観るようになりました。
関連動画に「アンジュルム」の文字を見て、「あ、アンジュルムって高校の頃みんながなんや盛り上がっとったグループや」と思い出し、再生したのが和田彩花さんの卒業コンサートの「赤いイヤホン」でした。
まず、真っ赤でギラギラの衣装。深刻さを感じさせるイントロ。自信や怒りに満ちた表情とダンス。安定した歌声。
「男なんかのわがままに 女はもう縛られない」……!?アイドルがそんな歌詞歌ってもいいんや……。
二元的な性別や異性愛が前提になっている曲ではありますが、それでも私の中で凝り固まっていた「客体化されたアイドル像」を打ち壊すパワーが、そこにはありました。
続いて流れてきたアンジュルムの曲たちも、クラシック曲が引用されていたり(「愛さえあればなんにもいらない」)、メタリックなギターサウンドだったり(「出すぎた杭は打たれない」)、アラビアンな笛や太鼓のサウンドだったり(「恋はアッチャアッチャ」)と、おもしろく幅広く飽きがこない。
それはもう、「なんで高校生のとき、あの子らもっと私におすすめしてくれへんかったん!?」と身勝手な怒りが湧くくらいの衝撃。
気付けばアンジュルムのライブ映像を繰り返し観るようになっていました。
そしてリピートしていれば自ずと気になるメンバーが出てくるものです。
「このショートカットのハスキーな声と艶っぽい表情が素敵なのはどなた?」と思って名前を覚えたのが、佐々木莉佳子さんでした。
クールで激しいダンスもこなし表情で魅せるのが得意な莉佳子には、見るほどに心を奪われ、私の人生初めての「推しのアイドル」になったのです。
和田彩花さんは、アイドルとフェミニズムの交差点!
さらに、他のメンバーについても調べていく中で、もっと大きな衝撃を受けることになります。
私がアンジュルムにハマった頃には卒業していた、初代リーダーの和田彩花さん。「今は何してはるんやろう……」とSNSを覗いてみたのがきっかけです。
「大好きな美術と」……「フェミニズム」!?
私の中でほとんど交わることのなかったアイドルとフェミニズムが突然ダイレクトに結合した瞬間の、衝撃!!!
「ああ……私も好きになれるアイドルっていたんだ。私もアイドルを楽しんでいいんだ。」
そう思うとなんだか泣けてきて、嬉しくて。
アイドルであることも自分の考えを発信することも続けてきてくれたあやちょ(和田彩花さんの愛称)に、ただただ感謝をすることしかできませんでした。
アンジュルムとの邂逅を経て、私はアイドルが見せてくれる楽しさが、だんだんとわかってきました。
歌だけではなくダンスや表情、衣装や演出、たくさんの要素をつかって表現が成り立っていること。
アイドル文化のなかにも、主体性を感じる表現だってあること。
アンジュルム以外の一見「客体としてのアイドル像」そのもののように感じるアイドルだって、1人の人間として、必ずどこかには主体性が備わっていること。
いざアイドル文化の中へ足を踏み入れてみると、そこには外から感じるよりも多様に成熟した一枚岩ではない豊かさがあることがわかりました。
しかし、それでもなお、私には踏み込めないゾーンがありました。
アイドルぎらいの最後の砦。それが、男性グループです。
【後編へ続く……】
さて、長くなってきたので、今回はひとまずここまでです。
後編もさっさと書いてしまいたいので、少なくとも年内には投稿しますね!
【2025/01/04追記】後編を投稿しました↓
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!
明日12/19はかずひろさんが担当されますので、お楽しみに。