言葉にできないもどかしさと、それでも「好き」だという気持ち
これまでさまざまな「推し」のことを書いてきたけれど、「好き」を言葉にするのって本当に難しい。
色々理屈を並べたところで、結局のところ「好きなものは好き」なのだから。
その所為もあって、私はファンレターを書くのが苦手だ。
どうせ書くならちょっとでも印象に残るようなものを書きたいのだけど、どうにも上手く言葉にできないし、かと言って頑張って細かく書こうとすると、私の文章はどうにも重すぎて気持ち悪い。
一度、意を決してあるアーティストにファンレターを出したことがあるが、出した後に書いた内容を思い出した時、あまりの激重女ぶりに頭を抱えた。
死にたくなるほど恥ずかしい思いをしたのは覚えているが、何を書いたのかはもう覚えていない。たぶん、無理すぎて記憶から消した。
しかし内容を覚えていないからまた失態を犯しそうで、もうその人にファンレターは書けない。
言語化というのは本当に厄介で「どうして?」と聞かれても、「な、なんとなく…?」となってしまう場面は多々ある。(これって私だけですか?)
筆者は制作系の会社に勤めているのだが、仕事でも「どうしてココをこうしたんですか?」と説明を求められても、「この方が良いと思ったからです……」としか言いようがなかったりする。
だから「どうしてこの方が良いと思ったんですか?」と詰められると「ぐぬぬ……」となってしまう。
だって自分が「良い」と思ったのって、「こっちの方がカッコイイから」とか、そういう感覚的なものであって理論に基づいてないことが往々にしてあるから。
もちろん、仕事である以上まともな理屈がないといけない場面もあるということは十分に理解している。
だがしかし…!
「なんとなくイイ感じ」っていう感覚もあって良くない……???
理論はよく分かんないけどこの音楽って聴いていて気持ちいいよね~とか、技術はよく知らないけどこの演出超カッコイイねー!とか。ほら、みんなあるでしょ?
私はそういう感覚も大事にしたいなと思うわけだ。
一方で、「好き」を上手に言語化している方もたくさんいる。羨ましい。
そういう方の文章は、それはもう赤べこのようにうなずきながら読んでしまう。
「そうそう、これが言いたかったのよ私は!」と。
言語化出来る人はどんどん言語化して、私のような感覚でしか語れない者たちを救ってほしい。
他力本願?
いやいや、私は言語化できないふわふわした気持ちも大事にしたいので!(言い訳)
語彙を失くしながら推し語りしている #どうかしているとしか な様子はマガジンにまとめているので、よろしければお付き合いください。