井上陽水を機に、真摯に向き合おうと思った話。
井上陽水の音楽を聴いてると、もっとやらなくちゃ、もっと真摯に向き会わなきゃって思う。
私は父仕込みの「変人」気質だ。でもそう思っているだけで、大してそうでない可能性も大いにあるだろう。
人が良いと言えば、その反対を行きたくなるし、みんなが良いと言ったら途端に興味が無くなる。2,3歳の時分母から「あかりちゃん、そっちはダメよ」と言われると、そちらへ行きたくなる性分なのだから、それは仕方がない。
他人様からは「へそ曲がり」と言われるだろうが、当の本人は真剣なのだから手の施しようがない。
ある時、上司から言われた言葉が心の隅っこに残っている。
「お前はさ、人が真剣にやっていることを面白おかしく書くのが上手だよな」
私としては、そんな嫌味などさらさらなかった。ある選挙のための街頭演説を学生を連れて見に行くルポ企画で、候補者が地元の人たちを前にして、演説中に急に絶句し、嗚咽し始めたのを見て、学生が「マイクが壊れたかと思った」と驚いた様子をあくまで「真摯に」書いたのだった。
「最近、琴線に触れたことは何ですか」
ある楽器メーカーの面接で聞かれた時のことだ。貿易摩擦だか何だかの話を突然口走り、自分で驚いてしまったことがある。せっかく最終面接まで勝ち進んだというのに、メーカー仕様の答えができなくてさすがに能天気でも落ち込んでしまった。
面接と言えば、いつも面接後は「受かった」と思った。面接前には「今日もおじさん相手におしゃべりしに行こう」程度の緊張感を持って、臨んだ。すると、なぜかいつまでたってもなかなか内定が出ない。
私たちの2012-13就活世代は、4月には内定が出る人が多数いた。私は自信があったにも関わらず、なかなか内定が出ない。急に「シューカツ」とか言い始め、対策をした人ほど「良い」結果が出ていることは本当に恨めしかった。
だけど、シューカツというのは本当に、その人の「人生の本質」を表すのだろう。そんなことまで思ってしまう。
大学入学から10年(も)たった訳だけれど、いまの友達の人生を垣間見ていると、本当に面白い。女友達の方が多いからか、特に女性が面白い。
ある人は、クッキング教室の先生から食のキット開発を手掛けるベンチャーで誠心誠意を込めて働いている。ある人は、素敵な駐在さんとの出会いを求めてタイ生活を送っている。またある人は、ある田舎町でフリーランスになり、食にまつわるプロデュースを行い、馬の仕事に携わる。
それも全てPolicy scienceを掲げる学部の友人(心の友)である。
だからこそ一貫して言いたいのは、就活なんて人生の通過点に過ぎないのであって、大したことがないということ。真摯に向き合うのは良いが、真剣に悩む必要はないと思っている。それよりも、どんな価値観を大切にしているのか自分と向き合う時間として大切にしたい。