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【二十四節気短編・清明】 清く和む少年

1 跳び回る少年


 五郎がその少年を見つけたのは、ある春の日であった。

 春の最中であった為に季節は覚えているが、日にちは気にも留めていないので”知らない”と彼は言うだろう。正直な所、三月か四月かと聞かれても悩んでしまう程、その日の月日を知る気すら曖昧である。
 山奥の人の少ない集落で生活している五郎は、六十九歳だが足腰がしっかりしており、一日の流れは、早朝に起床して、妻・とよ江の作る朝食を食べ、畑仕事に励み、昼食、休憩、また畑仕事。夕陽を見ると、家に戻って風呂に入り夕食を食べ、テレビを観て九時には寝る。を繰り返している。
 よって、月日を知る必要のない生活を送っているので、壁にかけている日めくりカレンダーを見る機会が著しいまでに乏しく、ふと気になった時にとよ江に訊くぐらいしか知る機会がない。
 五郎はそんな老人である。
 若い時分は都会で過ごしてもいたが、仕事は上手くいかず身体を壊してしまい、四十代から実家の畑を継ぐことになった。
 還暦を迎えた時には実家の庭で出来る限り野菜を育て、自分達の分と近所へ配る分で満足している。後は年金で必要なモノだけを買い、平々凡々な日々を送っていた。

 五郎が見つけた少年は、一目見て普通の少年ではないと気付いた。
 肌は色白く、六歳ぐらいと見分けはつくが、着ている服が白い着物である。そして少年が跳躍し時の高さは、大人一人分は平気で飛び越える事が出来てしまいそうであり、さらに重力が弱まっているかの如く、宙を浮遊して緩やかに着地する。
 あまりにも常人離れしている行動を、少年は楽しそうに行っていた。

 少年を見た時、不思議と五郎には恐怖や危機感を抱かなかった。それは、そう思わせるだけの出来事が、周囲に変化を起こしたからに他ならない。

 陽光は周囲を淡い白色の光を薄っすらと纏わせたかのように彩り、仄かに長閑な気持ちにさせる。
 温かくなりだした春なのに、春の香りとなるものが全て消え失せ、鼻腔を通り抜ける空気は若干冷ややかで清々しく思わせる。
 それでいて体が感じる全体の温度は少し暖かめであり、長袖の作業着を着ていると暑く思えるが、時折吹く風によりその暑さも和らいでしまう。

 そんな心地よく穏やかな空間へと変えてしまう少年は何をしているかと言うと、何がそんなに楽しいのか分からないが、朗らかな表情でそこら中を跳び回り続けているのだ。

 こういった存在を田舎で見かけた場合、昔の人は『狐と狸が化けている』と言うのだろうが、五郎は不思議な現象に対してそういった迷信を当てはめなかった。むしろ、生まれて初めて奇怪と思える現象と、それを起こしている存在に出会えたことで、ついつい見惚れてしまう次第であった。
 少年が五郎の傍へ飛んできた時に会話を試みるも、少年は五郎に目を向けるだけでどこかへ跳んで行ってしまう。話しは出来なかった。

 そうこうしていると、とよ江が現れて何をしているのかと訊いてくる。どうやら、畑仕事中に茫然と立ち尽くしている五郎の様子に異変を感じたのだろう。
 五郎が少年の話をすると、とよ江は「狐、狸が化けて出たんじゃないの?」と返した。
 昔話ならいざ知らず、この時代において狐と狸が化けるなんてあり得はしない。
 これ以上真剣に聞かせたところで相手にされないのは目に見えているので、少年の話はこれにて終了した。

 数分しか現れない少年が消えてからも、その日一日の空気は清々しく、夜になっても外の空気が、もうすぐ夏が始まる印象を与える匂いを漂わせ続けた。
 しかし翌日には、匂いも空気も気温も、いつも通りに戻っている。

 まるで夢の様な出来事であったと、五郎はその時思った。

2 息子達の事


 次に少年が現れたのは五月五日。

 今年のゴールデンウィークは長めに連休を取れたらしく、息子が五歳と三歳の孫達を連れて三泊四日の帰省。そして五月四日に帰った翌日の事である。
 白い着物の少年は前回同様に現れてはそこら中を跳び回った。以前と変わった所といえば、庭に置いてある孫達が使った遊具で遊んだくらいだ。

 幽霊の類と思われる少年が遊具で遊ぶ。

 本来なら異変でしかないのだが、五郎は自然と少年が遊ぶのを受け入れており、新しい孫が来たように思いながら傍観していた。
 やがて少年が消えると、五郎は再び畑仕事に精を出した。
 この日、とよ江は家の中で孫達が帰った後始末をしており、五郎が少年と再会した事など露ほども知らなかった。

 それからも少年は度々五郎の前へ現れては朗らかな表情で跳び回り、遊具で遊んだり、畑の作物を踏まないよう気をつけながら歩き回った。
 五郎も少年に見惚れつつも、傍で楽しそうに遊ぶ少年時代の息子達の事を思い出し、その記憶と少年を照らし合わせつつ生活を送った。
 思い出される息子たちの少年時代の記憶は、さも昨日の事のように鮮明である。

 五郎には歳が五つ離れた息子達がいる。
 兄・悠太、弟・友也の二人兄弟。
 友也が歩けるようになると悠太の後をついて回り、二人揃って種や苗を植えた畑を滅茶苦茶に踏み荒らす時があった。
 五郎が怒鳴ると反省はするが、どうしても踏みたがる気持ちが強いのか、また同じことを繰り返す。ようやく踏まなくなるまで時間は掛かった。
 いつも二人で遊んでいるが、当然喧嘩も起き、悠太は手足を出し、力の弱い友也は玩具を持って殴ったり投げたりする。
 五郎もとよ江も怒鳴って何度も暴力や玩具を粗末に扱ってはいけないと説教するも、兄弟喧嘩が始まるとそんな説教は中々馴染んでいない事は見て取れた。

 兄弟揃って虫取り、かくれんぼ、鬼ごっこ、秘密基地づくり、五郎と一緒に近くの小川で水遊びもした。
 二人が小学生になると、友達の家へ行く機会が増え、五郎と三人で野球が好きだったこともあり、テレビで野球観戦する機会が多かった。
 何度も宿題をするように怒り、兄弟揃って二度寝する癖があるので遅刻スレスレは日常茶飯事。成績もそれ程よくなく、塾に通わせようか悩みもするがお金もないので、とよ江が素人なりに兄弟にテキストを買って勉強させた。
 どうにかこうにか義務教育期を終えた兄弟は、別々の高校、大学へ通い、全く別の地域で妻を娶って子供を作り家庭を持った。
 兄弟が幼い時に夢に描いていた金持ちの生活ではないが、そこそこ裕福で平和に暮らしている。

『そこそこの裕福がいい。普通が一番いい』
 その教えを兄弟は成し遂げたのであった。
 五郎もとよ江もしみじみと抱く、自分達が行き着いた裕福な生活の答えがそれである。
 金が少なくても、それなりに生活が出来、贅沢せず、在る物を十分に使い切り、沢山入った食べ物は知り合いに分け与える。
 金や名誉に固執しすぎず、人の縁を大事にする事が幸せになれる近道である。
 そう、二人は悟って辿り着いた答えであった。


 息子たちの事を思い出した五郎は、少年がいつの間にか消えている事に気付いた。
 どうして息子たちの事を延々思い出していたのか分からないが、夏頃から少年が現れると息子たちの事を思い出すようになっていた。

 それが十一月になると思い出す過去は自分が幼少の頃に変わった。

3 父の後ろ姿 


 五郎は長男で一人っ子である。名前の由来は、父が好きな舞台役者の名が“五郎”であったからその名が付けられた。
 幼少の頃はよく父の後をついていき、畑は遊び場としか思っておらず、畝の端で土山を作ったり簡単な形の建物を作ったり。または種や苗を植えた所を踏まないように飛んで遊び、そんな事をしていると足元おぼつかない子供がやらかしてしまうのは当然踏み潰してしまうのである。
 父の仕事の邪魔をすると、勿論怒鳴られ五郎は泣き叫んで母の所へ向かう。しかしまたどういう訳か父の元へ向かってしまう。

 父も五郎を叱責はよくするも、逞しく生きていける大人にするために色んな事を教えては、一人でやらせた。
 五郎が一番得意となったのは魚釣りである。
 近くの川もそうだが、父は海釣りが好きだったため、小学校へ上がる頃にはよく海釣りに連れて行ってもらった。
「どうせ釣るなら食べれる魚釣ってきてよ」
 母が父にそう言うから、父は海釣りをよくするだけなのを五郎が知るのは中学生になった時である。


 少年が現れて自身の幼少期を思い出すと、不意に視線を向けた畑に、父の後ろ姿を見た。それはほんの二秒か三秒程で、声を掛ける前に消えてしまうし、近づこうにも間に合わない。
 だから、見えた時はその見える僅かな一時だけ、五郎は父の背を眺めて昔を懐かしんだ。
 そんな事を続けてるうちに、いよいよ雪が降りだす頃には父親が現れる時間が長くなっていた。それはほんの十秒程なのだが。
 相変わらず近づいたり呼びかけようものならすぐに姿を消してしまう幻だが、五郎はもう、徹底して眺めるだけにしようと決めたのである。

 不思議な少年が現れてからというもの、五郎は心地の良い体験をし続けている。奇妙な事に、この体験をとよ江にも聞かせようとするも、どういう訳か夏頃から話そうとする時には、とんと記憶から無くなっている。
 少年が現れる頃にはとよ江はおらず、この体験は五郎一人で味わえるひと時であった。

 年が明け、正月、節分、雛祭りと、毎月続く日本古来よりの行事を迎えても尚、少年は変わらず同じ服装、同じ朗らかな表情、同じように跳び回り続ける。
 空気は相変わらず清々しく穏やかな明るさである。ただ、真夏の炎天下であれ、真冬の極寒な気候であれ、少年が現れる頃には気温は一定に保たれる。

 とても奇妙だが心晴れやかな一時。


 月日はさらに経過し、その日は少年が現れて丁度一年経った春の日である。
 いつも早起きの五郎が全然起きてこないのでとよ江が起こしに来たのだが、五郎は心地よく眠っている顔つきで、息を引き取っていた。

4 和やかな時を


 五郎は家の縁側でうたた寝をしていた。

 妙に家の中が騒がしいと思えるが、どうも意識が庭先に向いてしまって振り返る事が出来ない。いや、出来ないのではなく、しようという気が働かないのだ。
 視界に映る庭には、あの白い着物を纏った少年が、いつもより満面の笑みを浮かべて跳び回っている。ただ、今回はどういう訳か、五郎の方を見て手を振ったり、声を掛けている。
 今まで聞いた事の無かった少年の声を聞いた五郎は、ついつい微笑んで返してしまった。

 いつだったろうか、少年と話がしたいと思ったのは。
 もうそんな事は忘れてしまい、どうでもいいと思ってしまっている。
 五郎はただ、この清々しくも淡い陽光に包まれた穏やかな空間に居続けたかった。

 ふと、身体が畑の方へ行きたいとばかりに動き、裸足のまま足が畑へと進んだ。
 畑へたどり着くと、そこには、父親が昔のように畑仕事に励んでいる光景があったのだ。
 今まで、声を掛けても近づいても消えてしまうからそうはしなかったのだが、今は衝動的に近づきたいと思えてしまう。

 五郎は意識していないが、またも足が畑へ向かった。
 裸足で土を踏む感触を懐かしみながら五郎が父の元へ辿り着くと、すぐ傍に父がいる感じしかしない。

「…………親父?」
 呼ぶと、父は作業の手を止めて、振り返った。
「ん? 何泣いてんだ?」
 父の声だ。
 五郎は泣いていた事に気付き、急いで涙を拭い、泣いてないと強がって惚けた。
「ほら、さっさと終わらして釣り、行くぞ」
 小学生の頃の光景の様であった。

 ふと、少年が視界に止まり、そちらに視線を向けると、光景が一瞬にして縁側へと戻された。


 見ていた光景が夢だと気付くと、五郎はようやく家の中を見る事が出来た。
 視界に映るのは、自分の葬儀光景。
 子供や孫達は勿論のこと、近所の人達まで集まり、自分の死を悼む人がこれ程いるのかと感心していた。

 どうやら、少年は自分の死が迫っていると教えてくれる存在だったのだと理解した。
 こういった存在を、人は『死神』というのだろうが、五郎は少年に対してはそう思えなかった。
 いるだけで穏やかにさせてもらい、懐かしい記憶を呼び覚ましてくれ、最後には父とも再会させてくれた。
 死神という存在が、命を刈るというなら、少年はまるで違う。
 死期を報せてくれる存在なのだろうが、こうも心地よい日々を与えてくれた存在なのだから、そんな言葉を当てはめるのは違和感でしかなかった。

 とまあ、そんなどうでもよく、言葉が見つかったところで何が起こる訳でもない。
 考えるのを止めた途端、いつの間にか傍まで来ていた少年が五郎の手を引っ張った。
「いこうよ」
 五郎は「ああ」と言って立ち上がり、少年について行った。


 もう、五郎に生きる事に対する後悔は無いが、この時一つだけ、”この清々しい空気をもっと感じていたかった”という些細な望みだけが微かに過ぎった。しかし、前方の光に包まれると、穏やかな気持ちがそんな望みを忘れさせた。

 やがて少年と五郎は姿を消したのである。

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