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【二十四節気短編・雨水】 二月のウスイ様

1 噂のウスイ様

 二月十九日、天気は雪。
 今年の二月は極寒続きで、空には濃い灰色を帯びた大きな雲が漂い、雲の輪郭は溶け出すようだが雪雲特有の形を保っている。
 本日で三日目の降雪。しかし本日は降る量は少ない。

 雪が深々と降る外を、部屋から眺めている男がいた。
 男は名を清太郎と言い、どうしようもなく情けない男である。

 仕事への熱意や向上心や出世欲といったものは無く、後輩が先を越しても大して気にしない。
 平々凡々を良しと考え、何事においても冒険や一心不乱に励むなどという考えは『どうかしている者達の行い』と、一線を引いている。
 両親と一緒に暮らしており、母親が旦那の健康を考えた夕食を作っているおかげで辛うじて体に良い食生活は保たれている。
 もし母の手料理が無ければ健康診断で容易に引っ掛かる生活を送れる。
 料理は出来ず、購入する食料といえば菓子やジュース、外へ出て弁当を買おうものなら野菜が無いものばかり。
 『食生活強制改善令』なる命令を医師が出せるなら、清太郎は三十歳ごろには間違いなくこれが下されてしまうだろう。

 波風立たない生活を意識して生きているわりに、開運や運勢などといった見えない力の存在は気にしている。世間一般でいうスピリチュアルというやつだ。
 また、怪談話や都市伝説も信じ、内心では怖いモノが苦手ながらも、怖いもの見たさの精神が働いてしまうのか、夏や秋には恐怖特番は観ないと気が済まないタチである。
 同様に、身近で都市伝説の舞台となる所に近寄れそうなら立ち寄り、写真でも撮っては部屋に帰った時にはニヤニヤしながら写真を眺め、心霊写真になっていないかなどを探してしまう。

 さて、今年の一月で二十五歳にもなって、平凡主義を押し通す意志だけが強く、その他の活力が乏しい清太郎は、ある都市伝説にハマっている。
 都市伝説に登場する存在は『ウスイ様』と呼ばれている。神かどうかは不明だ。
 ウスイ様が現れる時期は二月とされているが、呼び名から二十四節気の二番目である”雨水”と関係しているかと言われればそうではないのだが、関係していると思う者が多いのが事実である。
 ウスイ様は存在の証明しようがない。なぜなら出現場所が夢の中であり、ウスイ様と出会った者は目覚めて以降、うろ覚えでしかウスイ様を知らない。そして、見たかどうかと強く聞かれてしまうと、「見たような見てないような……」と、曖昧な記憶しか残らない程の存在である。

 ウスイ様を見た者は、たとえ夢の中であっても守らなければならない決まりがある。それは無礼を働いてはいけない。そして、丁寧に接しなくてはならない。
 礼儀面における注意事項だけは都市伝説の基本事項のように記されているが、他のウスイ様に関する情報は統一性が無くバラバラだ。

 予言してくれる。
 幸福にしてくれる。
 願う未来へ導いてくれる。
 好きな人と親密になれるようにしてくれる。
 など、人間側に都合の良い話ばかり。
 中には、無礼を働くなと基本であるにも関わらず、ウスイ様は恨みを晴らしてくれる。や、嫌う相手を不幸にしてくれる等。
 ウスイ様の存在を格下げしてしまう想いを抱く輩もいる始末。

 どこかで聞いた事のある願望成就に関する内容を寄せ集めたものばかりであり、正確なウスイ様の情報を知る者は誰もいなかった。

 とまあ、それ程稀少で会う事さえ宝くじで高額当選するほど困難なウスイ様なのだが、どういう因果の巡り合わせだろうか、情けないに輪をかけて情けない清太郎はウスイ様の隣に座っている。
 夢の中だが今現在、雪降る外を清太郎と同じように胡坐をかいて眺めている。

2 清太郎の望み


 ウスイ様の容姿は独特であった。
 頭は縦長。色は墓石の様であり、板こんにゃくのようでもある。艶やかさが伺える光沢と、仄かに揺れる肌が柔らかである印象を与える。
 服装は法衣姿に薄緑色の羽衣を纏っている。よく見ると羽衣は色が橙色、赤色、黄色、青色などと、色がゆっくりと変わる不思議な仕様。

 清太郎は隣の御仁をウスイ様だと完全に理解していない。
 そもそもウスイ様の明確な容姿は都市伝説にも説明されておらず、幾人かの不確かな憶測だけが蔓延っている。
 ならどうして清太郎が隣の御仁をウスイ様と確信したか。それは勘でしかない。
 夢であると意識が働き、それでいて奇抜な見た目の人物が隣に座っていて恐怖はない。今まで調べていた為、頭で仕上げたウスイ様を夢の中に登場させているとも考えられるがそうではなく、自然とウスイ様だと認識した。

 清太郎は何を話すでもなく、とりあえず視線を再び外へと向けた。

「お主……名は何という……」
 静寂な空間でなければ聞こえないであろう小声でウスイ様は訊いた。不思議と清太郎にははっきりと何を言っているかが分かる。
「え? ……俺……清太郎って……」
 戸惑いつつ、声もそれ程大きくなく答える。
「清太郎よ、お主はワシに何を望む?」
「え? ……望むって……いきなり」
 今までウスイ様と出会う事を望み、適当に願いを浮かべてはいたものの、いざ本人を前にすると願い事が浮かばない。

 清太郎が情緒不安定とばかりに視線を泳がせて返答に困った。すると、ウスイ様は静かに大きく空気を吸い、深々と一息で長く吐いた。まるで溜息の様だ。

「金銭を望むか?」
 問われ、清太郎は冷静に考えるも、今の収入に不便はない。
 遠出する事も無く、移動も徒歩と電車で事足りる。
 欲しい物があっても、それ等はほぼ全て容易に買える物ばかり。
 食べたい料理も、高級料理には興味が無く、千円以内で食べれる物ばかり。
 清太郎が大金を望まないと頭の中で結論付けると、まるで聞いたかのようにウスイ様は続けた。

「恋人を望むか?」
 これは悩む事なく清太郎は「望まない」と答えた。
 普段の生活ぶりから情けない生き様の清太郎だが、こう見えて大学生時代には彼女がいた。
 けしてブスではなく、かといって美人や可愛いと、過度に反応を示す程の女性ではない。体系は極々一般的な見た目だが、少々猫背が目立つ女性である。
 女性は漫画が好きであり、特に好意を抱いてしまう登場人物は、素っ気ない表情のまま余裕をもって物事に取り組む男性。気付いた時には問題事を平然と解決してしまう所が魅力的に見えてしまう性格である。
 そして何を思ったのか、清太郎の活力乏しい生き様が格好良く見えてしまい好意を抱いてしまった。
 清太郎はというと、”大学生なら彼女が隣に居てもおかしくないし、様にはなるだろう”と、なんともつまらない理想を抱き、けして女性を恋愛対象として見る事無く、ただ単に自分がそれ相応の見た目を形作る為に付き合っていた。などと、女性の反感を買いそうな意識であった。
 そんな性根の清太郎が、女心を喜ばせる術を知る筈も無く、かといって知ろうともせず、なんの変哲もない毎日をだらだらと過ごす日々を送った。
 恋愛とは程遠い、ただ男女が一緒にいるだけの盛り上がりのない生活に目を覚ました女性は、半年の付き合いに終止符を打ち、清太郎と別れた。
 のちに女性は、漫画と現実は別に考えなければ痛い目を見ると悟り、付き合う相手は慎重に見定めなければならないと学んだ。
 若気の至りとばかりに肉体関係にならなかった事が、女性はせめてもの救いであったのかもしれない。
 こんなフラれ方を無様とも思わずとも、女性と付き合うのは大変面倒くさいと感じた清太郎は、今の自分が女性と付き合った所で、また別れるだろうと決めつけ、恋愛をする気力は失せている。

「なら出世や熱意を注げる仕事か?」
 この問も、即答で「いいえ」と返した。
 清太郎の身に沁みつく平々凡々を優先に考えは、当然ながらそんな意欲は皆無に近い。
 そもそも仕事で偉くなれば部下の面倒は見なければならないし、誰かがミスした責任を負わなければならないし、何度も謝る事もしなければならない。
 熱意を注げる仕事なんて、ずっと続けるなんて清太郎自身、無理としか思い至らなかった。
 なぜああまで熱心に仕事に取り組めるのか、彼の中では迷宮入りした事件程に謎でしかないのだ。
 再び、ウスイ様は静かに大きく空気を吸い、ゆっくりと長く吐いた。

「お主は情熱が著しく欠落しておるな」
 清太郎はどういう訳か声が出せず、意識も聞き入っていた。
 ウスイ様の声は、さっきまでの呟き声とは打って変わり、普通の男性の声なのに聴き心地が良いと感じる。

「人間として備わっている五感を刺激するような事柄に探求心が湧かず、何かの項目において自らの身を置き、見識も技も広げようとも磨こうともせん。尚且つあらゆる事に対する向上心も動いておらん――」

 まるで説教染みた諭しが続き、清太郎の思考は聞く気力を遮断してしまったのか、もう清太郎の眼にはウスイ様が喋る石仏のようにしか見えていない。

「――故に、お主が本来必要とするものは、目覚めの力だろう。眼だ。その眼に働きかけねばならんのだよ」
 急に清太郎は意識がはっきりとして、その締めの言葉に恐怖を覚えた。
「案ずるな、ワシが与えるのは単なる切っ掛けでしかない。些細なものだ。気付かれなければそれまでの、そんなものだ」
「何をすればいいんですか?」ようやく声が出せた。
「どこでもいい、ワシの顔に手で触れるのだ」

 本当に触れていいか迷いつつ、恐る恐る手を伸ばした。
 ……ペタリ。
 そんな音が当てはまる触感であった。
 第一印象のこんにゃくの様である表現は正しかったのかもしれない。滑らかさ、柔らかさ、冷たさ。全てがこんにゃくに当てはまってしまう。
 しばらく手触りを楽しんでいた矢先の事。
 突如ウスイ様の顔全体から目が見開き、それが侵食するかのように清太郎の手から腕目掛けてあちこちに目が開いた。

「――うわああああ!!」
 命を落とす恐怖ではないが、身の毛もよだつ思いの清太郎は、叫びながら目覚めた。

3 それから

 半月が経った。 
 怖ろしい夢を見た感覚が未だに残る清太郎は、夢の内容を思い出そうとするもまるで思い出せない。覚えている事は、こんにゃくのようなものに触れた場面だけである。
 それがウスイ様だったなど、露ほども覚えていない清太郎は、ウスイ様と出会って以降もウスイ様に会う事を望みながら日々の生活を送っている。

 あれから季節は巡って夏真っ盛り。
 清太郎の性格や生活に変化が起きたかといえば、特に無いが正解である。
『ワシが与えるのは単なる切っ掛け』と言うのだから、ウスイ様が与えようとしたのは、清太郎が変化できる切っ掛けだったのかもしれない。
 しかし、清太郎のどうしようもない平凡主義は、どうやら滅多にお目にかかる事の出来ないウスイ様の力さえも通用しないのかもしれなかった。

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