【長編】奇しき世界・五話-1/2 愛執奇煙(後編)
1 軽率と自惚れ
斐一から戦力外通告を下されたと解釈した斐斗は、自分なりに解決方法を探した。『大元を見つけ、斐一の鼻を明かし、自分の実力を認めてもらう』。原動力は、この発想を達成する意気込みであった。
公園で煙に憑かれて蹲(うずくま)る男性を見つけた。すぐさまリバースライターを使用すると、難なく煙は消えた。
岡部が言っていたような疲労は感じず、二十人以上は平気だと実感した。
(これだったら百人は余裕だろ。皆考えすぎ)
そう思って二人目三人目と、煙に憑かれた人間を見つけると、煙を消しに向かった。しかし、三人目の煙を消した時、まるで一キロを走った後のような疲労と息切れが襲った。
今までは短時間内に連続して使用してこなかった為、反動が如何なるものかを知らなかった。
斐斗はベンチに腰掛け、呼吸を整えて休憩した。
(……これが……岡部さんが言ってた……)連続使用が愚策であると納得した。
回復には時間が掛かり、三十分してようやく立てるまで回復すると、公園の入り口からハーフパンツにランニングシャツ姿の叶斗が駆け寄って来た。
「兄貴、おっちゃんから街の事聞いたけど」
叶斗は、岡部をおっちゃんと呼んだ。
「俺の力、なんかの役に立つだろ。俺も混ぜてくれよ」
「駄目だ。お前のヘブンは人間自体に影響する。相手は奇跡関係の煙だ。俺の力も連発出来ないから手の打ちようがない」
「じゃあ、煙の大元を――」
叶斗は直感で嫌な事を思い出した。それは、五歳の時に経験した、あの寒くて、暗くて、心臓を締め付けられるほど緊張した、斐一に助けられたあの時。
当時は耀壱に纏わりつく煙の意味が何なのか分からなかった。斐一に助けられて以降、煙が消えていたから気のせいだと決めつけ記憶の片隅に追いやっていた。しかしつい先日、才能型奇跡・ヘブンに目覚めた事で、再び煙が見えるようになった。
煙が今まで憑いたままだったのか、力に目覚めたタイミングと重なって再度出現したのか。叶斗自身もそれは分からないでいる。だけど現状、それが大元であると直感が結びつけた。
「……ま、さか……耀」
「耀壱じゃない」
斐斗も頭の片隅でその可能性を考慮していた。しかし、あれはあの日、父が解消した件であり、あの日から耀壱に纏わりつく煙は薄れて、今では完全に消え去っている。
もう、あの煙は解決した問題。の筈だった。
「なんで言い切れんだよ。“耀壱の背中にあの煙がまだあるのに”」
叶斗の言葉で斐斗は耳を疑った。
「――何?」
「兄貴見てねぇのかよ。耀壱の背中に煙が出てて、しかもあいつの周りであちこち動いて」
なぜ叶斗に見え、自分には見えないのか疑問に残る。
「お前、その事を耀壱には言ってないよな」
「――は? ……言うかよ」
明らかに、若干の挙動が伺える。叶斗は嘘を吐く時の動揺は容易につかめた。
「叶斗お前、耀壱に言ったんだな!」
昔から、斐斗にも父にも、嘘が見抜かれやすい叶斗は、突き通す事をしなかった。そのため、すぐ苛立ちや怒りの感情を表した。
「ああ言ったよ! 言ってやったよ! 耀壱に憑いた煙のせいでこうなったって! あいつが来た時から纏わりついてた煙のせいで! 俺だってずっと怖い思いしてたんだ。耀壱の嫌な事したら憑かれるとか、またあの怖い思いするんだとか。でももうそんな事言ってる場合じゃねぇだろ! 耀壱に憑いた煙が原因なんだぞ! アレをどうにかしねぇと、他の人も、俺ら家族も、全員ヤバい事になるんだって、誰が見ても分かんだろうが!」
抑えきれない感情が、斐斗に叶斗の胸倉を掴ませた。
「俺ら三人で兄弟だぞ。あいつはあいつなりに苦しんでるのが分かんねぇのか!」
「いい加減目ぇ覚ませやクソ兄貴。あいつは血なんて繋がってねぇ赤の他人なんだよ馬鹿野郎!」
強引に手を払って距離を置き、睨んだ。
「俺の力使って解決する」
言い残して叶斗は走り去った。
追いかけようとしたが、さっきの連続使用の反動が再び襲い、すぐに息を切らせて近くの椅子に腰かけた。
(くそ……どうする……叶斗がヘブンを使えば、必ずアレは叶斗を襲う。……殺される)
悩みに悩んだが、自分も耀壱にリバースライターを使用したところで、同じ轍を踏む可能性しか考えられない。
手も足も出ない状況に悩まされた。
「若気の至り、兄弟喧嘩。青臭い若者達の群像劇を見ているようだよ」
突然の事で苦悩が収まった。そして、声の主から、何かいい方法が伺えると、解決策のように思考が導いた。
顔を上げると、周囲は公園のままだが、どこを見渡しても誰もおらず蝉の声も聞こえない。
レンギョウの世界。静奇界の一部。そこに場所が変わった。
「レンギョウさん……」
レンギョウは斐斗とは違う椅子に座っていた。
「……レンギョウさん、かなりヤバい状況なんです! 力を貸してくれませんか!」
「おやおや、随分と切羽詰まってるねぇ。こりゃ、冗談も控えめに話を進めないと、さっきの剣幕で掴まれそうだよ」
「そんな事言ってる場合じゃ」
「安心おしよ。あたしが考えなしで突然現れたとでも思ってるのかい?」
「じゃあ、この問題、解決出来るんですね」
藁にも縋る必死な思いが、苦しみながらも安堵を滲ませる表情から伺えた。
「ああ、解決はあんたの力でも十分。斐一でなくても問題なさね」
いつもながら雄弁に語るものの、些細ではあるが、どこかいつもの軽快さが感じられない。
「早く教えてください。叶斗が危険なんです!」
レンギョウの変化すら、今の斐斗には見つける事は出来ない。
「まあ、そう急がなくてもいいだろ。耀壱の近くには斐一がいるんだ。血気盛んに感情任せのおバカちゃんが猛った所で、良いようにあしらわれるのは目に見えてる。まあ、そんな事より、斐斗、あんたも余程のおバカちゃんだ。何も気づかないかい?」
訊かれても、何も思い当たる節が無い。何より、冷静に何かを分析する余裕が斐斗にはない。
その様子を見て、レンギョウは話す前にため息を吐いた。
「……あんた達兄弟が煙の大元の可能性を見つけたんだろ? 奇跡に関し歴戦の斐一より、あんた自身が先に見いだせると、まさか若いからって自惚れてるんじゃないだろうねぇ」
反応を楽しむかのような、嫌な笑顔を向けられた。
言われて気付く。そして考えると斐一の反応と言動の辻褄が合う。どうして自分と協力しないのかと。それは、過去の事を思い出して気を使ったと考えていた。
「あんたが誤解しないように言っておくが、別に斐一は過去のあんたが失敗した事を気遣ってないよ」
「え?」
「そんな失敗なんて、斐一の心の負担に比べれば一枚の紙きれ同然だよ」
なら尚更、父が何を隠しているのか知りたいと、斐斗は思った。
「教えてください。親父は、何を隠して、どうして解決しようとしないんですか! 耀壱が死んでしまうとかですか?」
僅かばかりの間を置いて、レンギョウは口を開いた。
「……それは単なる可能性の一つだよ。力の使い所や選択を間違えればその結果に至るだろうけど、斐一はそこまで愚図じゃないよ。それに、さっき言っただろ? あんたでも解決出来るって。”場数も実力も斐一の足元にも及ばないあんた”にでもって意味だ。耀壱が死ぬ結末ではなく、ちゃんとした解決に至るとした断言だよ。けど……斐斗。あたしも過保護じゃないから、言えと言われれば言うけどさぁ。心の負担が並大抵のことじゃないからねぇ。覚悟はあるかい?」
耀壱は助かる。そして問題も解決できる。
どこに負担を感じるか、不思議でならなかった。
何より、弟たちの身の心配が強い。
「覚悟は出来てます。教えてください」
逃げては何も始まらないし、これからも奇跡の問題を解決するなら、聞くしかなかった。
「まあ、そうだねぇ。あんたも力の所持者だから仕方ないか」
斐一の秘密。
五十嵐親子と煙の関係。
リバースライターをどのように使用すればいいか。
レンギョウから語られた話は、斐斗の胸を締め付ける程に苦しめた。
耀壱が生き残る方法を考えると、その経緯で耀壱がどう思うかを想像するだけで胸が苦しくなる。極度の緊張を強いられたように、より一層。『覚悟』の意味が、話を聞く前の自分がどれほど浅はかであったかを痛感させた。
「斐斗。あんたに背負える覚悟はあるかい?」
苦しい胸に突き刺さる一言。だけど、逃げる事は出来ない。
2 いつもより暗く感じる明るい夏日
レンギョウとの話を終えた斐斗は、世界が一変して見えた。
いつもと同じ鬱蒼とする暖気。
午後十六時なのに西日の日差しが肌に痛い真夏日。
馴染みのある道。
しかしいつもより雰囲気が違う。
暑さがいつもより鬱陶しく、空気も少し重く感じる。蝉の鳴き声が強く響く。
真実を聞いた斐斗の心身の負担は世界を一層不快に見せる程だ。
帰宅途中、携帯電話の振動に気付き、相手が斐一と確認して出た。耀壱が熱中症で病院にいるという報せだが、耀壱と煙に関係がある内容を告げると、少し間を置いて「……レンギョウに聞いたか?」と返された。
斐斗は病院で話すと言って電話を切り、病院へと向かった。
とりあえず叶斗が耀壱に力を使わず、耀壱に纏わりつく煙に襲われもしなかったことに安堵した。
二階の待合席で斐一と叶斗が座っていた。
斐一に忠告されたのか、叶斗は不貞腐れた態度である。
昼間の雰囲気とは違い、どこか気落ちしている斐斗の印象に、叶斗は気付きながらも心配しなかった。
「親父、ちょっといい?」
斐一は斐斗が何を言おうとするか予想がつき、静かに一呼吸吐いて立ち上がった。
自分を仲間外れにして、兄と父が奇跡絡みの話をしてると思い込んでいる叶斗は、機嫌を悪くしながら二人を待った。
「叶斗、来なさい」ものの三分程で斐一に呼ばれた。
「なんだよ」
叶斗と入れ違いに斐斗が耀壱の部屋へと向かったが、叶斗とすれ違う前に呼びかけて足を止めた。
「俺ら三人で兄弟だぞ」
「……あ? 何言ってんの?」
斐斗は振り返らずに病室へ向かった。
「おい、兄貴」
「叶斗」
呼ばれた叶斗は、斐斗を呼ぶのを止めて斐一の元へと向かった。
3 なんとかしてやる
病室に入った斐斗は、上体を起こして窓の外を眺めている耀壱の元へ向かった。
これから行う事を考えると、病室に誰もいない事は好都合である。
「耀壱」
呼ぶと、いつものあどけない表情を返された。まだ何も起きていないのは分かるが、彼の背に燻る赤紫色の煙は、かなり大きな塊となっている。
どことなく人の顔と思しき模様も浮かび上がっている。
「斐斗兄ちゃん」幼少の頃から、この呼び方か『兄ちゃん』である。「なんか急にめまいして、起きたら病室で。……今起きたとこ」
背中の煙が次第に憎悪に満ちた人間の顔に変わり、斐斗を睨んだ。そんな様子を知っても斐斗は平然と椅子に腰かけた。
「今日はお前に話があって来たんだ」
「あれ? 見舞いじゃないんだ」
耀壱は叶斗を気遣い、自分に浴びせた暴言の数々を黙った。
「ある意味では見舞いだ」耀壱の目を見た。「お前は熱中症で倒れたんじゃない。ある奇跡が、多くの人間から生気を吸い取ったんだ。量は微かだけど、総量は多大だから、お前の身体が強すぎる生気に耐え切れず気を失って倒れた。親父から聞いてるだろ、最近街の人達の体調不良が相次いでる話」
まるで自分がそれを起こしたように語るので、叶斗の暴言とが相まって、胸が締め付けられる程苦しくなる。
「ちょ、ちょっと待ってよ。……え、僕、何かしちゃった?」
引きずった笑顔で訊くも、先を話すのが斐斗は苦しい。
「……耀壱じゃない……。お前は千堂家へ来た時から煙状の何かに憑かれていた」
耀壱から笑顔が消えた。背後の煙の形相は、一層怒りと憎しみが籠った。
「雅道さんは元々、均衡を司る力を持っていた。だから、今まで煙の暴走を抑え続けれた。そして親父と協力して煙を消す計画を立てていたんだ。けどそんな最中、俺が先走ってリバースライターをお前に使用した。結果、煙は暴走し、親父たちは元から考えていた危険な策を実行に移した。あの時は後先考える余裕がなかったんだと思う」
「斐斗兄ちゃん……何言ってんの?」
「煙の力を雅道さんの力で無理やり抑え、親父が奇跡の存在意義を書き換えて暴走の日取りを先延ばした。代償として…………雅道さんの生気が宛がわれた」
耀壱は、父親の寿命を縮めたのは自分だと直感した。しかし、何より大元の奇跡の存在に疑問を抱いた。
「ま、待ってよ。え? 僕が父ちゃんを……? いや、それより何で僕に? 何もしてないのに。さっぱり分かんない」
無理矢理な笑顔。目の焦点に定まりはない。
「煙は……」
正体を明かそうとした矢先、煙は病室が埋まる程に広がり、斐斗を絞め殺そうと手が伸びた。けど、斐斗の周囲に硝子の壁があるかのように近づけない。
『ヤァァァメェェェロォォォォ―――!!!』
女性の声をものともせず、斐斗は正体を告げた。
「……お前の母親だ」
耀壱は力ない表情で斐斗を見た。目に涙が溜まった。
「お前の母はお前を溺愛していた。元々他人の生気を微量に吸収する奇跡を持っていたそうで、力の使用と美を保つ努力や習慣を続け、いつまでも若々しかったらしい。自意識も高く負けん気も強かったそうだ。周りより良い位置に、特別でいたい。そんな思いの彼女が雅道さんと出会い、同じ才能型同士って事でも惹かれ合った。本性も隠してたそうだ。耀壱を妊娠した時、彼女の自己愛は全てお前に注がれ、出産後、彼女の奇跡はお前への溺愛から変異し、お前を護る力となった。けど、常から力使い続けた彼女は、出産して二年後に他界した。だけど思念が力と同化し、今尚お前の傍で生き続けてるんだ」
自分の存在が母親の姿を変えさせ、街の人を苦しめてる。
父親もそのせいで寿命を縮め、昨年他界した。
もし、自分が生まれなければもっと長く生きられた。
優しい人だった父親がもっと長く、幸せな家庭を築けた筈だった。
考えれば考える程、耀壱は居たたまれなくなった。
『ソレイジョウ、イウナァァァーー!!!!』
煙と化した母親は必死に抗った。
耀壱は訳が分からなくなり、溢れてくる涙には気づくも手の平で拭い、無理矢理平然を装い、笑顔を作る。けど、感情がそれを阻み、耐え切れなくなる。
「……どうしよ……。僕……、父ちゃんや……皆……」
項垂れ、堪えきれない思いが、堰を切ったように感情が爆発して泣いた。
斐斗は耀壱の背に手を乗せて引き寄せ、頭を自分の胸に当てた。
「兄ちゃん、どうしよう――」
震える声で訴える耀壱の苦しみが、斐斗の目からも涙を零した。
「耀壱……」しっかりと背を摩った。「……兄ちゃんが何とかしてやるから安心しろ」
斐斗は自身の眼前で鬼のような形相で睨む耀壱の母に向かって、同じく睨み返し手を構えた。
これから行う事の覚悟を決め、リバースライターを発動した。
4 背負う覚悟
「方法は至って簡単だよ。ただ、斐一はあんたにリバースライターの全容を語ってないだけだ」
レンギョウは先に煙の解消方法を語った。
「どうして?」
「真相は斐一の胸の中だろうけど、まあ親心だろうね。あんたをこっちのゴタゴタに巻き込みたくないんだろうさ。けど、あんたら親子には奇跡を引き寄せる体質が備わっちまってる。斐一はどうにかしてその体質すらもなくしたいんだろうが、俄然無理な話だ。強力な土着型相手どるような問題だからね。斐一もやきもきしてるんだろうさ」
「でも、リバースライターで問題が解決出来るならどうしてしないんだ?」
「あんたは、リバースライターを奇跡の解消。すなわち除霊みたいな感覚で教えられたんだろ。けど、この技の神髄は『書き換え』なんだよ」
「書き換え?」
「奇跡そのものの実態を把握し、経緯を読み、思念も掴む。全てを理解して使用すると、奇跡の筋書きを変える事が出来る。在り方を変えるとも言いかえれるねぇ。奇跡の力を抑える事も存在を消すことも、自分専用に扱える奇跡にも出来る。あんたは察しが良いから分かるだろ? この力の怖い所が」
「……平気で悪用出来る」
「ご名答。だから、斐一はこの力を自分以外が使うのを恐れてる。まして息子なら尚更。危険性を照らし合わせて考えちまう。悪用もそうだけど、読み間違えてとんでもない事態に陥ったらどうしよってね」
「じゃあ、親父は何で耀壱の煙をどうにかしないんだ?」
「どんな方法であっても、傷つく者がいるんだよこの件は。余程の馬鹿じゃない限り、話を聞けば理由が分かるよ」
レンギョウの言った事は間違いではない。これは途轍もなく苦しい選択の問題だ。きっと斐一ももっと早く決断すれば。と、思ったに違いない。
先延ばしにすればするほど、解消した後の苦しみは増していく。けど、どの書き換えが正しいかが迷ってしまう。
母親自体を消せば、今まで注がれた奇跡の反動で耀壱に多大な災いが降りかかる。
中途半端に消せば、力の余韻が残り、母親が別の形で復活を遂げる危険が備わる。
奇跡を耀壱のものにすれば、私利私欲で力を使われる可能性も考えられる。
どう書き換えるか、斐一は迷い続けた。自分の息子同様に愛おしく思うのなら、尚更であった。
斐一の思いを予想出来た斐斗は、自分ならその咎を背負う覚悟で書き換える意志を固めた。
「私の、私の耀壱を苦しめたなぁぁ」
赤紫色の煙に覆われた空間で、彼女の顔だけが宙に浮いている場所に斐斗はいた。
「あんたの傲慢のせいでどれだけの人が苦しんだと思ってる」
「バカかお前! 自分を愛して何が悪い! 息子を愛して何が悪い! 可愛い耀壱が怪我して、取り返しのつかない体になって、周りから酷い扱いをされたらどうするんだ! 女でもないお前に、腹を痛めて子供を産んだ母親の気持ちが分かるかぁぁ!」
「あんたは狂った過度な愛情を抱えたまま消えろ。俺の弟は、もうあんたに縛られない」
「はっ! 青二才風情に何が出来る! 知ってんだよ、書き換えるんだろ? けどあたしを消して、どう書き換えた所で、積み重ねた愛の結晶は災いを呼ぶよ! 耀壱だけを護ってお前らは死ねばいいんだよ! ひゃーはっはっはっはぁぁぁ!」
「……違う」
「はあ?」
「あんたの奇跡を書き換える。耀壱の歴史も書き換える。降りかかる災い全てを書き換える。さっき言ったろ、あんたは狂った過度な愛情だけを背負って消えろ」
「出来るもんなら――」
「やるんだよ! 今度は俺が背負う番だ! だからお前は、弟達に手を出すなぁぁ!」
斐斗は強い信念を抱き、耀壱の母親目掛けて縦線を引いた。
耀壱が目覚めると、病室のベッドの上にいると気付いた。
「目覚めたか?」
意識も思考もはっきりせず、茫然と声を掛けてくれた男性の顔を眺めた。
「声……聞こえてるか?」
耀壱は頷いた。そして、徐々に意識がはっきりと蘇って来た。
「……斐斗兄?」
呼び方が変わっている。これも書き換えの影響だと直感し、普段通りに接した。
「バカ野郎、脱水と熱中症で倒れたんだぞ。下手すりゃ死ぬとこだ」
耀壱はヘラヘラと笑い、「ごめんごめん」と言った。
「一応聞くけど、俺たちがどうやって出会ったとか、お前の家族構成とか、覚えてるか確認する。言ってみろ」
耀壱は天井を眺めて情報を語った。
自分が産まれて二年後に母親が他界。
五歳の時、”耀壱の体質”を解消する目的も兼ねて、父の友人の千堂斐一が住む家近くのアパートに引っ越す。
初日で斐斗、叶斗と仲良くなり、遊ぶ日々が続く。
何度も遊んでいるうちに、耀壱は”斐斗兄”と呼んで斐斗を兄のように慕う。
耀壱の体質は改善されないまま月日が経ち、去年雅道が病気を患い他界。
昨年から耀壱は居候として千堂家に住む。
養子でない理由は、斐斗、叶斗、耀壱、三人の意見が養子を拒んだからである。デリケートな問題であると。
最近、街の人達の体調不良問題を気にして、昨晩は眠れなかった。
些細な問題まで耀壱は淡々と語った。
耀壱事態の歴史はそれ程変化はないものの、奇跡の書き換えによって生じた耀壱の体質。今斐斗が気に掛ける問題はその点である。
母の奇跡は周りの生命力を用いて耀壱を擁護するもの。それを書き換え、誰からのきつい指摘も、悪くも言われない体質となった。
この体質は”傷つかない力”ではあるが、自身が成長する為の指摘すらも受け付けない。耀壱は周りと違う事を漠然と理解し、どれだけ褒められても素直に受け入れられなくなった。そのため、自分で問題点を見つけて改善する思考へと成長した。
周囲の反応と自身の思考の摩擦から、人間観察力が増した反動として、自分の苦しみや悩みを公にし難くなった。
奇跡の書き換え者である斐斗も、耀壱の本音を知るには、悩みに至る経緯などを推理して聞かせて吐かせるに至らなければ本音が聞けない。さらに、奇跡への干渉する性質が増した。
人間が奇跡に寄りやすくなるという事は、一歩間違えれば人でなくなる事態に及ぶ危険性を孕んでいる。現在の斐斗は、より一層、奇跡に対して考えて行動しなければなくなった。
耀壱の体質はいずれ解消される。しかしそれは耀壱の母親が溜めた力の総量が徐々に消化するまで待たなければならない。
力が完全に消えるまで、斐斗はこの責任を負う肚を決めた。
尚、母親の意識は完全に消されている。もう、彼女が耀壱に纏わりつく事はないだろう。
「それだけ分かれば十分。いいか、水分はちゃんと取れ。それと、帽子を被って、日なたに出る時間は短くな」
「お母さんかよ。分かってるよーだ」
そっぽを向かれた。
斐斗は溜息を吐き、「先に帰る」と言って病室を出た。
病院を出て、すぐそばのベンチで斐一が待っていた。
「書き換えたのか?」
斐斗は、待合室で斐一から受け取った石を返した。
石は組合から借りた代物で、この力のおかげで煙に纏わりつかれること無く難を逃れた。
「何も耀壱が苦労を背負う必要はないし。俺も兄貴だから苦労を分けてもらっても問題ないだろ」
「しかしだな」
「俺、親父の後を継ぐ決心で耀壱の問題を解決したから。だから、親父も気にしなくていいよ」
背負わせまいと思っていたが、とうとうこの日が来てしまったと実感した。
「だから、……あと何年か知らないけど、無理しないで」
斐斗は全てを知っていると分かった。
「お前、その事は……」
「耀壱と叶斗には言わない。そっちも絶対言わないでくれる?」
その負担すらも背負う斐斗の姿に、込み上げる思いを堪えるのが必死だった。
耀壱の事を斐一に頼み、斐斗は先に帰った。
5 黙秘したもう一つ
耀壱と千堂兄弟の話を聞いた夏澄は、涙をハンカチで拭った。
「以上が、俺を『斐斗兄』と耀壱が呼ぶ経緯だ」
説明を終えた斐斗は、湯呑の茶を飲んだ。
叶斗に耀壱の話を聞いた夏澄だったが、叶斗の説明が大雑把であり、所々で『色々あって』と加え続けた為、まるで話が入ってこない。叶斗が、斐斗に口利きをしてくれた事で斐斗に説明を受ける運びとなった。
「……落ち着いたか」
一頻り泣いた夏澄は、大きく一呼吸吐いて頷いた。
「……はい。……じゃあ、今も五十嵐君は何も?」
「ああ、知ってるのは俺だけだし、叶斗もよく知らん。それで、書き換えた奇跡の影響で、耀壱にこの話をしようとも話せなくなってる。だから君が話そうとしても話せない」
だから耀壱に関する話を公にしてくれたと理解した。
「でも、どうしてそこまでして……。叶斗さんは曖昧にって言ってますけど、本気で知ろうとしなかったんですか?」
「一応、耀壱の奇跡を書き換えたその日に話そうとしたが、絶賛反抗期中のあいつは話を聞こうとしないわ、退院した耀壱と話しづらいからってどっか行くわ、拗ね続けるわで、手に負えなかったんだぞ」
語気に力が籠り、どれほど大変だったか伝わった。
「じゃあ……打ち明けるのに数日かかったんですね」
「約五年かかった」
夏澄は、言葉を失った。どれだけ長い反抗期なんだと。
「まあ、生活に支障のない会話が出来たのはあれから一週間後だったが、耀壱の問題を受け入れてくれたのは平祐さんが諭してくれたからだな」
「え? もしかして、筋肉……」
「いや違う。あいつが肉体改造に目覚めたのは広沢一家がこの家に来た後だ」
続いて広沢一家の話を聞こうとしたが、
「だが、広沢一家と同居の経緯は話す気はない」
先にくぎを打たれた。
「繊細な事情でな、叶斗も話そうとしなかっただろ?」
「あ、はい」
「察してくれ。千堂家からその話をする気は無い。かといって、広沢一家に訊くのも止めたほうが良い。それ程暗い過去だからかな」
斐斗がここまで忠告するのだから、これ以上夏澄が踏み込むのは不躾で場違いと理解した。
よって、夏澄が知り得る千堂家の歴史はここまでと、自身の中で区切った。
斐斗は自分とレンギョウしか知らない秘密を一つ隠していた。
レンギョウが斐斗に、耀壱の憑き物の対処方法を話した内容。雅道が寿命を削って耀壱が高校一年生になるまで妻の奇跡を抑えた部分。
無理矢理奇跡を抑え込んだ時、斐一の寿命も代償となって奇跡を抑え込んだ。斐斗が誰にも話さないもう一つの真実である。
五年前、千堂斐一が他界。
幼い頃の早まった行いにより斐一の死期が早まった。早めた張本人は自分だと、斐斗は今尚思っている。
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