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【長編】奇しき世界・五話-2/2 静かな真夏の歪む町(前編)

〇 語り 広沢平祐・異変

 美野里と出会ったのは大学時代。バイト先だった。
 彼女はなんでも卒なく熟すウエイトレス。俺は調理場の作業を覚えるのに必死な調理スタッフ。
 仕事の合間に何度か話してるうちに良い感じになり、やがて付き合う事になった。

 大学を卒業して、俺は地元で就職し、運送担当で働いた。学生時代は、力付ける事ばっかしてたから体力もあって、力仕事には適した体格に自然となっていたから、まあ、流れでその仕事に就いたってわけだ。

 俺達は大学卒業後から同棲し、結婚も視野に入れて付き合いをしだした。その頃からだったなぁ、なにかと不思議な事が起きだしたのは。
 買ってもいない服を部屋で見かけたと思ったら突然消えて、数日後に同じ服を美野里が買ったり、夕食の支度で魚を仕込みだったから魚料理だと思ったら実は肉料理で、美野里に訊いても魚は触ってないと言う。
 こんな感じで俺が見間違える事が相次いだ。単に疲れて見間違えただけなのかもしれないし、同棲中の美野里が『出来た嫁』みたいな、”良い主婦感”出てたから浮かれてただけなのかもしれねぇ。だから、不思議な事かどうかって、はっきり言い切れなかったんだ。

 そんなこんなで月日は経って、俺達は籍を入れて新婚生活を送った。ただ情けない話、金が無いから式はまだ挙げてない。正直、申し訳ないけど、金稼ぐ目標に”結婚式”が出来たから、頑張って稼ぐ励みにはなったよ。

 新婚生活から数か月後、俺が二十八歳、美野里が二十七歳の時、子宝を授かった。しかも双子だ。
 性別はまだ分かんないが、男だったら……平凡な考えだけど、キャッチボールやサッカーとかして遊びたい。女の子だとしても、何か武術か茶華道を習わせて、”強くて優しい女”ってのにしたいとか思ってしまう。
 まだ分からないことだらけだし、不安もあるけど、何かワクワクしてならなかった。

 俺のワクワクする思いに反して、若干の嫌な異変が、俺達の住む町で起きた。美野里が妊娠五か月を迎えた三月だった。
 やたらと人が襲われる事件が相次ぎ、被害者は誰も死んでいないが意識不明で見つかる。
 知り合いから噂で聞くには、被害者はいつ襲われたのか覚えてないらしく、体中に青痣はあるものの、押さえても痛くない奇妙な痣らしい。

 何かが町で起きているのは分かる。だからそんな場所に美野里を出歩かせるのは危険だと思ってならない。けど、動かないと身体にも双子にも悪影響だと言われ、”外出禁止”なんて言えなかった。でも、”夜に出歩くのは禁止して、必要なモノだけは人通りの多い昼間に購入する事”って言ったんだ。神経質な奴みたいって思うけど、そんなことはどうでもよかった。心配性だと思われても構わない。

 俺は、この日から町のニュースや美野里の容体など、未だかつてないぐらいに気を使った生活を送った。

1 真夏の仕事と家族旅行

 十一月十日、午後十三時二十分、千堂家応接室。
 斐斗は、岡部からA四サイズの茶封筒を渡された。
 茶封筒の表面にはある町の名前の後に『神隠し事件・【状況】』と表記され、”秘匿”と書かれた赤い判子が捺されている。
 中には三枚の紙が入っており、斐斗は、目を通した。

「……資料分けしたんですね」
 岡部は珈琲を一口啜った。
「ああ。お前に見てもらうのに事件の概要が書かれた資料なんざ必要ねぇだろ。それに、静奇界(あっち)でも重要書類だ。そう易々と表に出せねぇし、わざわざ上から怒られることする必要ねぇだろ」
 資料を茶封筒に戻すと、岡部に手渡した。
「こっちは問題ありませんよ。広沢一家より、ここ最近、街で頻発している奇跡についての情報はないんですか?」

 十月に起きたアパートの話は、岡部にしかしていない。そして岡部も、『大いなる奇跡』に心当たりはないと言っている。

「ワシだって聞いたこと無い奇跡だぞ。そう簡単に情報が入りゃあ苦労しねぇわ。あー、レンギョウ辺りに訊いてみたらどうだ? 何でも知ってそうな不思議女だろ」
 不思議というが、”静奇界や奇跡に関わる人間は全て不思議枠に分類されるのでは?”と、黙っていつつも斐斗は思う。
「そういや明日だったな、親父さんの命日は。それに、もう五年経つんだな」

 忘れていたわけではないが、斐一が他界して五年目を迎えると思うと、月日が経つのは早いとつくづく実感する。

「双子が生まれて三か月後ですからね。今思い出しても、あの夏は色々と忙しい夏でしたよ」
 斐斗は棚に置いてある、自分達が幼少の頃に撮影した写真を眺めた。そこには斐一と雅道も写っている。


 五年前、八月五日午後十五時。
 斐一(六十五歳)、斐斗(二十五歳)、叶斗(二十一歳)、耀壱(二十二歳)。
 四人は組合からの指令に従い、某港町へと訪れた。正確には、斐一と斐斗に下された指令だが、家族旅行も兼ねて叶斗と耀壱も半ば強引に連れてこられた。

「あっつ~。おじさん、早く旅館行こうよ」
 耀壱は四人の中で唯一旅行意識が高く、内心では早く海で泳ぎたがっている。
「待て待て、岡部がいる筈なんだけど」
 改札口から出て周囲を見回すも岡部の姿はどこにもない。探す最中、斐斗のスマホに着信が入った。それは岡部からであり、”先に旅館にいるから来てくれ”というものだった。
 場所は駅から浜辺へ向かう途中にあり、歩いて十分ほどの所だと指示された。

 西日の日差しが強く、肌が痛く感じる昨今、四人は汗をかきながら旅館へ向かった。
 途中、耀壱が土産屋や駄菓子屋へ足を運ばせようとする事態もあったが、半ば強引に引っ張って向かわせないように叶斗が働いた。
 十五分後、千堂家の三人だけ汗だくで笑顔なく、耀壱だけが楽しそうに見える一行は、旅館へ到着した。

「おお、暑かっただ……」
 気遣う言葉がゆっくりと途切れさせてしまう程、部屋に入った千堂家三人の表情は死んでいた。
「すごい。ねぇ、後で海行かない?」
 ただ一人だけ元気な耀壱は、窓から見える遠景の海に興奮が治まらなかった。
「あー、俺パス」叶斗は大の字に寝そべった。

 冷房の効いた部屋は涼しく、熱い身体が徐々に冷めるのが心地よかった。

「なんでだよ」
「分かるだろ! つーか、なんでお前はそんだけ元気なんだよ!」言いつつも、大の字の姿勢は崩れない。
「耀壱、もう少し夕方になってから考えよう」
 斐一がこう言うと、あとで、「うっかりしていた」と言い訳に行こうとしないのは目に見えている。
「斐斗兄は?」
 答えを聞くまでもなく、黙って横たわっている姿が返事である。
 岡部は扇子で顔を仰いだ。
「あっははは。千堂の血筋は夏に弱いらしいな」
「何言ってんだよおっちゃん」言い返すも、やはり大の字姿勢は崩れない。「猛暑だぜ猛暑。朝からあっち行きこっち行きして、俺らの”これ”が普通だってぇの。耀壱の元気は底なしか?」

 どうやら、何を言っても海に行けないと思った耀壱は、残念そうに外に目を向けた。
「皆いいの? 今の夕焼けと海、ロケーション的に最高だよ」
 それぞれバラバラに、明日明日と返された。矢先、斐斗は何かに気付いて起き上がり、窓の外を眺めた。その行動に、耀壱は希望が復活した。
「斐斗兄、行く?」
「いや、行かん」
 即答され、再び耀壱は不貞腐れて外を見た。

「どうした? 斐斗」
 訊いてくる斐一の様子を見て、今自分が気付いている事に斐一は気付いていないと感じた。いや、斐一だけでなく、他の三人も気づいていないのだと見て取れた。
「熱で何か見えたか?」
 挑発的に訊く叶斗を無視し、斐斗は言葉を選んだ。
「……いや、何でもない」この返事が色々都合がいいと判断した。
「じゃあ、斐斗も起きたし、仕事の話をしようか」岡部が座卓に就いた。「叶斗と耀壱は先に風呂でも入ってくるか?」

 興味が海から温泉に変わった耀壱は、叶斗の傍まで歩み寄った。
 暫く耀壱の誘いに鬱陶しく感じていた叶斗は、斐一と岡部の後押しにより、強引に風呂へ行く事になった。

「安心した。ここに来ても耀壱に変化はないな」
 岡部はこの町で起きている奇跡の情報を知っているため、一番に耀壱の変化が気になった。
「なんかあるんですか? ってか、あの疲れ知らずが既に異常なんですけど」
 斐斗の意見に、斐一はゆっくりと頷いて納得した。
「それで岡部、この町で一体何が起きてるんだ?」
 岡部は座卓に腕を乗せて凭れ、説明を始めた。

2 暑く、静かな町で

 八月六日午前九時。斐斗は一人で町を歩き回っていた。前日に引き続き、九時でも暖気の毛布でも纏っているかのように不快な気分だ。
 情報では、町は過疎化が進み人口は少ない長閑な港町。それ自体は日本の田舎で深刻な問題となっているが、どこにでもある問題な為、奇跡とは関係ない。
 奇跡が関係しているのは『時間』。現在分かっているだけでも、時間の進みが早いか遅いぐらいで、確証のない情報では、数秒か数分か、過去に戻ったという事例もある。
 斐斗が旅館について、夕方になるのが早いと感じたのは錯覚ではなかった。しかし、叶斗や耀壱は気付かなくても、岡部と斐一が気付かない理由が、まるで分からない。

 『二人が結託して異変をひた隠しにし、斐斗の知らない所で解決に当たる』という事も考えられるが、耀壱の時と違い、今回の件は斐斗に隠してもメリットがない。

 もし仮にあったとして、それなら斐一と岡部だけで当たればいい。今回、この町に来た時も、斐一から仕事の相談を受けて訪れた。叶斗と耀壱を連れてくる事も踏まえると、尚更秘密にする必要がない。
 素直に二人が気付かなかったとして、斐斗だけが気付くというのも理由が分からない。

 斐斗は、気付いた謎をメモ書きし、さらに探索を続けた。

 町には人があまり出歩いていない印象が強い。午前九時だから仕事に出ていると考えられるが、子供は夏休みだから外に出ていてもおかしくないのだが。
(ゲームかなんかしてるのか?)内心、そう思った。
 昨今、スマホゲームが人気を博し、子供達が相次いでスマホ依存に陥っている。この田舎も社会問題の煽りを受けているとも考えたが、それにしても人通りが少なすぎる。
 斐斗は土着型の可能性を疑い、近くの神社仏閣を目指した。


 同日、午前九時五十分。岡部と斐一は、旅館から少し離れた所のマンションへ訪れた。
「このマンションに何かあるのか?」
 斐一は岡部に頼まれてついて来た。町の奇跡とは別件だと言われて。
「いやぁ、町の奇跡とは無関係だと思うんだが、ここにちょいと面倒な状態の奴がいるんだ」
「才能型か?」
「いんや。土着型の副作用か、はたまた別か。とにかく面倒くさい状態の奴だ。十一時の約束だったが、まあ早いに越したことないだろ」
「おい、一時間以上も早いってのは向こうも困るもんだぞ。俺だって約束の時間で願うわ」

 マンションはオートロック自動ドアで、岡部は近くの文字盤に部屋番を押すと、相手が出るのを待った。
 中々出てこず、三度押したが返事はない。
「ほら見ろ。早すぎなんだよ」
 これから一時間、どこで時間を潰すか二人は考えた。


 さらに同日、午前九時十三分。
 前日に我慢していた耀壱は、無理やり叶斗を海水浴場へ連れてきた。
 朝も早いから砂浜も熱くなく、一応サンダルで来ていた二人であったが、耀壱は砂浜に立つとサンダルを脱ぎ、裸足で砂の感触を楽しんだ。

「叶斗! 先行くよ!」
 右手を上げての合図が帰ってくると、耀壱は海目掛けて走った。
「体操ぐらいしろっての」
 前日に続き、耀壱程元気のない叶斗は、砂浜に立つと、周囲を見回してどれだけ人がいるか、屋台がどこにあるか等を確認した。
(あれ? 屋台もなしか?)
 いくら海水浴シーズンとはいえ、屋台が出ていないのが不思議に思えたが、田舎ではこういった所は珍しくなく、広い海水浴場であっても、ここはそういった所なのだと割り切った。
 耀壱のように走りはしなかったが、歩いて到達した叶斗も海へと飛び込んだ。
 二人はそれぞれに、今年入っての初海を堪能すると、砂浜で寝そべった。

「自販機でジュース買って来る。叶斗何にする?」
「コーラ」
 耀壱はまたも走り、「走らんでいいぞ」と叶斗が言うも、聞かずに走っていった。
「どんだけ元気なんだよ」
 寝そべって、両目を閉じて小波の音を聞き入った。すると、徐々に音が遠退く感じがした。
 そんな事も気にせず、叶斗は寝そべったままでいると、突然声をかけられた。
「友達、元気いいな」

 すぐ近くで声がして、はっと起き上がると、波打ち際に近い砂浜で寝ていたはずが、入り口近くの砂浜で寝そべっていた。
(なんで?!)
 不思議がっていると、いつの間にか隣に座っていた男性が、叶斗を心配した。
「どうした?」
「え……」
 流石に見ず知らずの人に、瞬間移動したなど言うと、変な目で見られるのは分かっている。
「――いや、なんか背中で動いた気がして……カニか何かかなぁって思って……」
 苦しい言い訳を通し、違う話題を考えた。

「……あの、地元の人っすか?」
 男は頭を左右に振った。
「越してきて一年半ぐらい。なんかあった?」
「いや、別にたいしたことじゃないっすけど。夏休みなのに泳ぐ人少ないなぁって。朝九時半ぐらいだし、まあ、こんなもんかなぁって感じもすっけど」
 男は時間感覚に疑問を抱いた。
「もう十時過ぎだぞ」
「へ?」
 意表を突いた反論に、情けない声で返してしまった。

 叶斗なりの感覚だったが、旅館を出たのが八時五十五分程、十数分歩いて到着し、そんなに長く海に入っていない。これも十分か十五分程だと。それから砂浜で寝ころび、瞬間移動して時間も進む。そんな事は考えれない。
 叶斗の時間感覚がズレたとしても、これはあまりにも経過しすぎている。
 咄嗟に、これが奇跡の影響と思った。


 叶斗が男性と出会った頃、自販機前で自分は何を買おうか迷っていた耀壱は、先にコーラを購入し、自分の飲みたいジュースを消去法で絞っていた。   そして二分悩み、コーラにするかグレープの炭酸飲料にするかで悩む。
 さらに二分後、ようやく自分のジュースを購入して叶斗のいる所へ戻ろうとした。

 ふと、誰もいない屋根付き休憩所のベンチが気になった。
 なぜこの行動をとったのか耀壱自身も分からなかったが、ベンチの傍まで行くとジッと全体を眺めた。
(なんだろ?)
 暫く眺め、何もないと判断して踵を返した。すると、背後の少し離れた所から、女性が向かってきているのが見えた。
「……? どうかしましたか?」
 妊婦であった。どうしてこんな所にいるか分からないが、こんな所にいて良いのかどうか迷った。


 同日、午後十時十一分。
 斐斗と斐一と岡部は、何か空気が張り詰める感覚に陥り、同時に奇妙な寒気を感じた。
 各々、緊張しながら警戒したものの、何一つ変化は起きなかった。

3 霞んだ人

 午前十一時。
 斐一と岡部は、依頼主の部屋の座卓に胡坐を掻き、冷たい麦茶を頂いた。

「やれやれ、いくらなんでも、出産近い妊婦をこんな猛暑日に、離れた浜辺に連れて行くのはどうかと思うのだがねぇ」
 岡部はハンカチで顔の汗を拭いた。
 男性は頭を下げて申し訳なさそうな雰囲気であった。尚、妻は海から帰ってすぐ寝室で横になり、心地よい寝息をたてて眠っている。

「早速ですが、お宅の奥さんの話を聞いて来た者です。ワシは岡部、こっちは千堂です」
「千堂斐一と言います。大体の事情は伺っておりますが、もう少し詳しく。それと、ここ最近の変化についてお聞かせ願えないでしょうか」
 男性は言い難そうに躊躇いを見せた。

 岡部は麦茶を一気に飲み干した。
「えっと、広沢平祐さん。奥さんの来原美野里(きはらみのり)さんが普通でない状況に巻き込まれた。それを話すと変な目で見られたり、共感された後に変な勧誘を受けそうな不安があるのは重々承知しておりますよ。ワシもそういった連中はごまんと見てますので。ですが、話さなければ、何が起きてるかまるで分からんし、解決の手も打ちようがないんですよ。分かって頂けますかな?」
 とはいえ、それでも平祐は躊躇った。

 仕方ない。と思った岡部は徐に立ち上がった。

「そいじゃ、ワシが普通でない所を見せますんで、よぉく見てて下さいよ」
 岡部は三歩歩くと、ゆっくりと姿を消した。その様子に驚いた平祐は、目を皿のように見開き、周囲を見渡した。
 数秒後、岡部は姿を現して同じ場所に座った。
「ワシは向こうの世界とこっちを行き来できるんですよ。で、こっちの千堂君は、世に出回る不思議な案件を解決に導く事を生業にしてるんですわ。どうです? ここまで普通とかけ離れた連中なんですよワシらは。これでも話す気になりませんか?」
 目の前で起きた不思議な現象と、岡部の言葉を信じ、平祐は話す決心を固めた。


「あのなぁ耀壱さんよぉ。物事には何事も加減ってのがあんのは知ってっか?」
 午後十二時二十分。旅館の自室にて。
 海で思う存分泳ぎ倒した耀壱は、軽度の脱水と熱中症により、旅館に到着した時には立眩みと頭痛に耐え切れず、寝込んでしまった。
 旅館の従業員に頼み、氷枕と額に貼る冷却シートを用意してもらい、叶斗は耀壱が落ち着くまで看病していた。
 耀壱は天井をゆっくりと見回して知らぬ振りをした。
「おめぇ、惚けてやり過ごせると思うなよ。親父や兄貴が帰ってきたら同じ事言われるからな」
 耀壱は叶斗の手を握った。
「叶斗は、僕を助けて」
「存分に助けた。そして自業自得だ」
 有無を言わせず、縋ってくるのを断ち切った。

「俺、ちょいと買いもん行ってくっから。親父達もそろそろ戻ってくんだろ、昼飯時だから。先食ってろって伝言頼むわ」
「ああ~、置いてくの?」
「病人は寝てろ。熱中症も十分病気だ」
 あっさりと耀壱を置いて叶斗は外へ出た。旅館の従業員に、少し出かける事情と昼食の事を伝えて。

 叶斗は外出にこれといった用事は無かった。ただ、一人で何気ない時間が欲しかっただけである。
 外に出て五分。叶斗が一人でいる時間は呆気なく終わりを迎えた。
「叶斗。耀壱と一緒じゃなかったのか?」
 しかもそれは斐斗であった。正直、あまり話をしたくない思いが勝っている。
「あいつははしゃぎすぎて熱中症。旅館で寝てる。兄貴は今帰り?」
「昼飯だからな。ちょっと遅れたって親父には伝えた。お前、どこ行ってんだ?」
「子守りからの解放」耀壱の事を言っている。「もう十分くらいぶらぶらしたら戻っから、先に飯してて」
 ちゃんと言葉は返すものの、どこかぶっきらぼうな所が表情や態度で見える。
 高校時代よりは成長しているが、どうしたものかと、斐斗は悩んでいる。
「お前も熱中症になるなよ」
 返事は右手を気怠そうに上げて返された。

 叶斗を見送る最中、突如として、前触れすらなく、“ソレ”は二人の間に現れた。一言で言い表すなら、“霞んだ人”である。
 まるで瞬間移動でもしたかのように、斐斗の眼前に現れ、体の輪郭はまるで濃霧の中にいるかのように朧気で、服や肌など、全体の色合いも薄くなったり濃くなったりを繰り返している。

「――なんだ?!」
 斐斗は霞んだ人と距離を取った。
 気配か、斐斗の声か、どちらにせよ、何かが反射的に作用し、叶斗も振り返って霞んだ人を目撃した。
「――おいおい、なんだこいつ?!」
 同じように下がって距離を取った。しかし、叶斗は更なる存在に気づいた。
「兄貴後ろ!」
 声に反応して斐斗は振り返ると、更に霞んだ人が三人現れた。

 霞んだ人は暴力的な襲撃素振りは見せないものの、ゆっくりと手を伸ばしてきたので、斐斗は触れないように身を躱し、距離をおいて叶斗の傍まで寄った。一方で、叶斗も周囲に異変を感じ、見回すと、数人の霞んだ人に囲まれていると気付く。
 斐斗と違い、叶斗は相手をどうにかしようと思考が働き、条件反射のようにヘブンを使用した。
「叶斗!」
「加減してる!」
 とはいったものの、霞んだ人に微かな挙動も、周囲の変化も起きなかった。
「失敗か?」
「いや、使った手応えはあった」
 なら、この存在は才能型の力が通用しないのかもしれない。と、仮説が立った。
 この町に来てからの相次ぐ些細な異変。そしてこの大々的に現れた存在。
 斐斗はもっと情報を求めた。

「叶斗、本気でヘブンを使え」
「はぁ?! そんなことしたらヤバい事になんだろ!」
「ヘブンの変化がピークに達するには時間が掛かる。何か起きても俺のリバースライターで修正は間に合う。信じろ」
 とはいえ、久しぶりの本気であり、少し緊張した。
「じゃあ、行くぜ」
 叶斗は腕を振り、同時に指を鳴らした。
 本来なら、三から五秒以内で変化が起きるものの、十秒経っても何一つ変化が起きなかった。
「……なんで?」
 才能型の力がまるで効かない。

 斐斗は次の行為に及んだ。それは、霞んだ人の情報が乏しい中で行うのは少々危険度が高い行いであった。
「おい兄貴! 何やってんだ!」
 まるで血迷ったのかと、叶斗には見えた。
 斐斗は霞んだ人に触れとうと近寄り、ゆっくりと手を伸ばしたのだ。
 ほんの僅か、指が触れると、触感は何も感じないが、霞んだ人自体は水面に指が触れたように波打った。そして間もなくして消えた。

 一体が消えると、連鎖して次々に霞んだ人は消えていく。その消え方と猛暑のアスファルトの陽炎とが混ざって見え、より一層、鬱陶しく思う陽炎が周囲を包み込んだ雰囲気であった。

 この消失は、時間が経過したものなのか、斐斗が触れた事によるものか、叶斗のヘブンが時間差で影響したのか、原因はまるで分からなかった。

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