夫と死別して10ヶ月
久しぶりに作ったお弁当を食べた。
外のベンチで風を感じながら。
お弁当箱を見ると夫との会話を思い出す。
「朝は眠いからいい。コンビニで買うから。」
「お弁当くらい作りなさいよ、もー。」
私より早く起きて、
私の弁当を作っている。
夫はお弁当必要ないのにね。
台所で手際よく動く背中が見える。
心地の良い音がする。
卵が好きな私のために、いつも卵焼きを作ってくれた。
綺麗な巻き方で、焼き目もなくつるんと美しい。
つくねやハンバーグが好きな私をからかって、
「ハイ、丸いお肉入れといたからね」
と、お母さんが子供に話すような口調でお弁当を渡してくれる。
ベンチでお弁当を食べてる時、
「生きてたら、また俺作ってたよ」って、
優しく話す口調が思い浮かんだ。
お弁当を食べながら涙が出てくる。
と同時に、頭に小さい硬いものが落ちてきた。
「痛ッ!」
見上げると、ドングリの木。
もう泣かないで.いい加減.笑いなさい。
ってことかな。
「泣きたいなら好きなだけ泣いたらいいよ」
って、言いそうだけどな。
【意識を「今ココ」に向けろ】ってことかもしれない。
意識が悲しい「過去」に向いてる。
意識が不安な「未来」に向いてる。
「今」を生きたい
という気力も想いも、もう無い。
ドングリの痛みは、
【「今感じること」を大事にしなさい】
というメッセージかもしれないな。
そう感じた。
涙は1秒で流れる。
10ヶ月経ってやっとその段階に来た。
「感情に蓋をしない」
10ヶ月間、ずっと涙を堪えてきた。
「泣いていいんだよ」って、
主人が私にそうしてくれたように
私が私の心に寄り添い、癒す言葉をかける。
相手家族の私への仕打ちに対する怒りや憎しみが消えない。
怒りや憎しみが、心身の不調や息苦しさに繋がっている。
それでも怒りがおさまらない。
なぜ怒りはおさまらないのか?
10ヶ月経ってますます心身がしんどいのはなぜか?
「怒り」はどこから来るのか?
「怒りの始まりは、【深い悲しみ】」
絶望、喪失感、不安感、孤独。
そこの根本の感情達を癒さない限り、
怒りをありのまま受け止めて浄化することはできない。
通夜葬儀ですら微笑みながら挨拶回りしたり、
相手家族からどんなに酷い言葉や態度で罵倒され続けても、言い返すことなく、丁寧に対応した。
自分の感情を殺した。
何度も何度も押し殺した。
深い悲しみから、自分の命を守るため。
だから10ヶ月経った今、涙が出るようになったんだな。
疲れやすくて、長時間寝ないともたない。
睡眠時間が短いと、とたんに起き上がれなくなる。
感情の起伏の下幅が大きいから、身体への負担は大きい。
もう何も考えず、感じずに、
日々仕事に忙殺されるやり方。
そんな方法じゃ、心だけじゃなく、身体の方も殺してしまいそうだ。
ドングリの痛み。
空からコンコンって、
「今の過ごし方、今一度見直しませんか?」
涙を流しながらお弁当を食べている先に、
赤ちゃんを高い高いしてあやす若いパパと、
レジャーシートに座って笑ってる若いママが見えた。
もっと努力してたら、
もっと気配りができる性格だったら、
ああいう未来が私と主人にもあったんじゃないか、って。
ああいう未来が私と主人にあったら、どんなに周りも幸せだっただろうかって。
「もし」を考えてしまう。
「もし」はもう無いのにね。
「怒りの始まりは、【深い悲しみ】」
絶望、喪失感、不安感、孤独。
そこの根本の感情達を癒さない限り、怒りをありのまま受け止めて浄化することはできない。
【自分を癒す】
【自分の心が望む事をすべて叶える】
主人が私にしてくれたように。
「何も考えずにただ布団で寝ていたい」
「感情に振り回されすぎて疲れた」
「ずっとお布団で寝ていたい」
「疲れた、しんどい、寂しい、不安、安心感癒され感0」
感情を直視し、
感情を吐き出して、
客観的に見つめて、
心身の望みで、叶えられるものは叶えて、
その繰り返しかな。
とりあえずは。