![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/26348434/rectangle_large_type_2_b325818cd688a320be3b91abba4f053e.jpg?width=1200)
ラストはお静かに。
今回は「ラスいち」について。
農業は単純作業が多い。耕したり、均したり、植えたり、収穫したり。機械化されているものは、効率的にはなっているけど、人だろうが機械だろうが、同じ作業を繰り返すことに変わりわない。今の時期の我が家はまさにそれで、トラクターや田植え機に乗り、田んぼをぐるぐる、ぐーるぐると回り続ける日々。
もちろん田んぼの形状や状態など、状況によって臨機応変に対応をすることを求められはするけども、僕が主に担当している機械操作のオペレーター業務(運転する人)というのは、基本的には繰り返し。田んぼを回ったり、端と端を往復したりしながら作業をし、次の田んぼ、そしてまた次へ…。朝から晩まで、それが何日間も続く。これはこれで、飽きてくることもある。でもどちらかと言えば、そういう仕事の方が性に合っている気も少ししている。そういう単純作業の中に、何か小さな変化や自分なりの目標や楽しみなんかを見つけ出し、それを密かにクリアしたり、クリアできなかったりして、大小さまざまな失敗と成功をコツコツ積み重ねていく。こういうのが嫌いな人もいるかもしれないが、こういうのが好きな人なのだろう、きっと自分は。おかげさまで「就農8年生」となった今も、ギブアップすることなく農家を続けられている。ここだけの話、よく晴れた日の、田植機からの景色はなかなかどうして、良い。
ただ、そんな僕が恐れ、絶対にやらない!と心に決めていることがある。それは「ラスいち宣言」。これは何かというと、「最後のひと行程の時に『ラスト』と宣言したり思ったりする」こと。これを、僕はやらないことしにている。中高大とバスケ少年だった身としては、ダッシュのトレーニングやシュート練習などで、目標の数(何周とか何本とか何セットとか)に対して、「あと1周!」や「ラスト1本!」という掛け声は、当然「あるべきもの」だった。あと1周で休憩できる…!のような「ラストスパート」的な思いが、最後の頑張りに効くということを、身に沁みて知っていたし、チームメイト同士の掛け声として、ごく当たり前の行為だった。だから、就農当時も、先に述べた田んぼの機械作業に限らず、繰り返す作業の時には、「よしこれでラストだ!」「ラスト1周で終わり!」「あと(畝)1列!」「あと(木または枝)1本!」と、声に出したり、出さずとも心の中で叫んだりして、自分を奮い立たせていたりした。
ところが、これがとても良くなかった。あの事件は田んぼで起きた。それは就農してまだ間もない頃の田植え作業。田植えの時は、基本的には一人ではなく、お手伝いさん2、3人ととともにやる。植える苗を育苗ハウスから運んだり、田植機に乗っている僕に苗を渡したりしてもらうというその役割を、我が家では主に両親や親類にお願いすることが多い。そう、あの時はもう夕方で、今日はこの田んぼを植えたら終わり!ということになった。苗を田植機に積み込み、植えて、戻って、苗補給して…を何ターンか繰り返し、いよいよ最後にあと一周すれば終わる…!という時、運転手の僕は言った。「さぁラスト一周!」と。周りの人や自らにも気合を入れ、「無事終わりそうだ。あぁこれで家に帰れる」という、充実感と安堵感が混ざったような空気がその場に流れた。ところが!
僕はその最後の一周の途中で、みんなのところへ戻ることが出来なかった…。
田んぼの端の方のぬかるみにどっぷりと田植え機の車輪をはめてしまい、身動きが取れなくなってしまったのだった。どうにかしようと父が駆け寄ってきて、ハンドル切ったり、アクセル全開にしたり、足掻いてみたものの、完全に田んぼにはまり込み、お手上げ状態。トラクターで引き上げるしかないということで、その日は諦めることになった。気付いたときにはもう真っ暗で、お手伝いさん組はとっくに帰宅してしまっていた…。翌日、ワイヤーをひっかっけ、トラクターで引っ張って、田植機は無事救出。その後は順調に作業を続けて、完了することが出来たのだけど、あの時の、自分の不甲斐なさは今も忘れられずに鮮明に覚えている。
その後、同じようなことが、稲刈りの時のコンバインでも、実はあった。父に「この田んぼ刈って今日は終わりだ」と言われたので、「よっしゃーラスト行くぞー!」と叫び、意気揚々と田んぼに突っ込み、そして同じようにぬかるみにはまった。…ジ・エンド。多分、「ラスト!」と宣言することで、自分や周りを奮い立たせようとするのはまぁいいとしても、自分自身に気合いを入れ過ぎたり、調子に乗り過ぎたりしてしまうのだろう。思っている以上に、急いだり、焦ったり、はたまたカッコつけたりしてしまって、判断や操作をミスる。結果、早いどころか遅れる。終わるどころか、終わらない、という惨状。あれほど悲しくて切ないものはない。
「言霊」というものがあって、言葉にすることによって実際に叶う、みたいなことは、多分あるとは思う。ただし、逆に言葉にするからよくないものも、少なからずあるんだろう。もはや「呪い」とでもいえるような…。僕にとってが「ラスト!」が、そいういものだったのかもしれないと思うようになり、その「ラストの呪い」に怯えはじめ、そうしていつからか僕は「ラスいち宣言」を封印した。
声に出すなんてもってのほかだし、心ですら思わないことにした。「ラスいち宣言」チャンスは、当たり前だけど毎日訪れる。「これやったら帰る…」と思った瞬間に、無心になるようにしている。今、まさに代掻き・田植の真っ只中で、連日機械作業をこなしているわけだけど、最後の一周・一往復と分かっていても、興奮することなく、淡々と行う。僕はそうするけど、時に周りから漏れ聞こえることもある。田植えのお手伝いさんが、「最後だよー」的なことを言う。本当にそうだから責めることは何もないのだけど、その時も僕は聞こえないふりで、ラスト一周へと繰り出す。そして、作業を終え、機械のエンジンを切り、大地に降り立った時に言うことにした。心から「お疲れ様でした」とだけ…。
今年の田植えもぼちぼち佳境。後半戦の代掻きも無事終わり、最後の植え付け作業の日程を天候を見極めながら調整中だ。いつかこの呪いから解放されることはあるのか…?それは分からない。どちらにせよ、無事繁忙期を乗り越えられることが出来るのなら、それで十分。無傷で無事故に勝るものはない。修行中の農家の長男坊が仕掛けるドラマティックな演出など、ちゃんちゃらおかしく、100年早いのかもしれない。呪いは解けなくても構わないので、今年も最後の最後まで、言わずに、思わずに、厳かにその時を迎えたい。
とりあえず今回はこの辺で。またそのうちに。