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#108 ひとり旅で思うこと
ひとりの旅が好きである。
一人旅と複数人旅は、もう全然違うんである。
全てをひとりでやらなければならない。
頼る人がいない。
ビロウな話で恐縮だが、急にもよおしたらどうする?
同行人がいれば、暫く荷物を見てて貰い身軽なまま用を足しに行ける。
だが、一人だとその時は仕方ない、荷物を背負ったまましゃがむしかない。
そう思うと、二人以上いた方が絶対に楽なのだが、一人で旅することの自由さがそれを上回ってしまう。
二人の人間がいつも同じ場所、同じ方向に進みたいと思うはずも無い。
必ずどちらかが諦めたり、折れるものである。
それは自分であっても相手であってもストレスの溜まることだろう。
いつでも簡単に来れる場所でもないのだから行きたいところに行きたいし、食べたいものを食べたい。
また、自由さに加えて心細さがあるのも私は好きなのである。
半径千km以内に、自分を知っている人間が誰も居ないという環境に身を置くことはもの凄く刺激的であり、また若い頃の私には必要なことだと感じていた。
そしてとんでもない絶景や滅多に見ることができない場面や事柄に出会った時に
「これを誰かに見せたい。」
そう思うことが一人旅の醍醐味であり、意義であると個人的には思っている。
※個人の感想です。
「誰かに見せたい」ということは「これを見せてあげたいと思う『誰か』にここにいて欲しい」ということとイコールなのかも知れない。
それなら「ここにいて欲しい」と思う人と始めから一緒に旅をすればよさそうなものだが、そうはならないのが私が天邪鬼といわれるところなのだろう。
一人で旅をしたいのである。
旅先で知り合った者同士がしばらく一緒に動くこともあるが、不思議なものでそれをあまり拒否することもない。
勿論、気が合えばの話であるが。
相手も一人旅であることが多く、それは"二人の旅"ではなく、"一人と一人の旅"という感覚なのでお互いが楽なのではないだろうか。
「人生も一人旅なのだ」などと結論じみたキメ言葉を言うつもりはないが、そんな感じに思った今。
これは外国を旅した時に気付いたり感じ易いものだが、それらに限らず日常生活の中でもそんな瞬間が必ずある筈であって、それを感じ取れるセンサーを磨いていきたいと思う。
「抜くことはないが、懐に秘めた短刀はあくまでも鋭く」のようなものである。
全然違うか。
まだまだ、もっと「誰かに見せたい」ものがあるはずだ。
それを求めて次の場所へ。
旅は寂しがる為に行くものかも知れない。
私の場合。