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ころばあちゃん
1月28日、12時19分。わたしは駅の改札から出たところ。
携帯に着信。知らない、携帯の番号が表示される。
いつもなら知らない番号には出ない。
だけどこういう時、虫の知らせ的なことってホントにあるんだなって思う。
なぜかその日は電話に出た。
「……もしもし、赤松さん?」男性の細い声。
「はい、、、。」恐る恐る返事をする。
「露田です。」
あまりない苗字に、聞き覚えのある声に、ピンときた。
「あぁー、、、ころばあちゃんの。旦那様ですよね?ご無沙汰しております。」
駅の改札から出たところ。地上出口に向かって歩く足を止める。
「8月にね、女房が他界したもんで。やっと少し気持ちの整理ができて。連絡が遅くなってしまったね。」
膝から下、力が抜けて座り込みそうになるのを、何とかこらえていたと思う。
通話時間は4分だった。そのあと私が何て言葉を返していたか、覚えていない。
わたしが今働く店舗へ移動になる前、もう2年くらい前のことだけど、ころばあちゃんのご主人から電話番号を教えておいてほしいと頼まれた。
ころばあちゃんは、ころころ笑う可愛いおばあちゃんで、ご主人と二人暮らし。パーキンソンという病気を抱え、そのころは少しずついろんなことがわからなくなり始めていた。
いろんなことがわからなくなり始めていたけれど、当時の私の恋愛相談だけはしっかり覚えていた。
ふわふわと、とんちんかんな会話をしていたかと思うと、「それより、ねえあなた、あれはどうなったの?」と毎週しっかり確認された。
他の人がいる前では、「ここではだめ、二人の時にね」とひそひそ、ふざけて「ころちゃーん、聞いて。」と友達のように下の名前で呼ぶと、「ころちゃんなんて、よしなさい」と少女のように照れてころころ。
周りがころばあちゃんを「そういう風に」接するようになっていくのが信じられないほど、楽しい内緒話を続けていた。
露田さんの娘様は海外生活で、ご主人が一人でころばあちゃんの介護。
ころばあちゃんの送迎に行くと、いつもご主人が少し疲れた様子で送り出し、お迎えをしてくれた。
三重県の親戚からたくさんみかんが届いたときは、あなたの地元のものでしょう、隠せる分だけ、と左右両方のポケットに二つ、持たせてくれた。
わたしの異動が決まったことを伝えた日。頼れる人がいない中で、女性もの下着を買う時とか助けてほしいから、とお願いされ、施設に内緒で電話番号を渡していた。
でも、一度も電話がかかってきたことはなかった。
あの電話で、露田さんから頼まれていたことがあった。
区から支給される介護用品でころばあちゃんが使わず残っていたもの、施設で使ってもらえないかと。
電話番号を教えていたことなどは、優しさでスルーしてくれた会社の人と、今日、露田さんのおうちへ伺った。
前と変わらない露田さんの笑顔が迎えてくれて安心した。
段ボール3箱ほどと、介護おむつ5パックほど。車に積み込んでからお線香を。
施設をやめてからのこと、露田さんが少しずつ話してくれた。
最後は病院で、ころばあちゃんの手を取ることができたと、話してくれた。
「電話があってね、とんで行ったの。手を握ってね。少しして、ピーって、鳴ったんだよ。先生、って言ったら、話しかけ続けてくださいっていわれてね。まだ脳は生きてるからしばらくは聞こえていますって。でもだんだん、手が冷たくなってきてね。手が冷たくなってきましたって言ったら、先生が、10時41分です、って。」
今日のことなのに、これにも何て返したか覚えていない。
露田さんは8月にころばあちゃんを亡くしてから私に電話をかけるまで、整理がつかなかったと話してくれた。
「あなたのことを気にかけていたんだよ。やっと、顔が見れて、女房も安心していると思う。連絡が遅くなってごめんね。」
ころばあちゃんが気にしていたのは、わたしのことか、それとも恋愛話か。
まあ、どっちでもいい。
「露田さんも、まだまだこれから、ね。体調気を付けてね。元気でいてくださいね。連絡くださって本当にありがとうございます。」
ころばあちゃん、どうぞ安らかに。
わたしのこと、恋愛だけじゃなくて、見守っていてね。
おわり
※お名前は仮名。ころばあちゃんはころころ笑うからころばあちゃん。