日本人の知らない『台湾誌』
時は1704年、場所はイギリスのロンドン、
とある本がベストセラーとなりました。
その本の名前は『台湾誌』。
著者は台湾人であるジョルジュ・サルマナザールという人物で、
その当時の台湾の歴史や民族、文化などを事細かく記載された本でした。
航海技術が発達して、人々がようやく世界旅行へ行く事ができるようになった時代、
未だ海外旅行は一部の人々の特権だった時代、
アジアの知識が乏しかった人々に受け入れられ、大ブームとなりました。
・・・しかしこの本、全くの創作で書かれたものだったのです。
当時の人々からすれば台湾は極東の小さな島、
ユーラシア大陸の正反対にあるブリテン島の人々は、
創作で書かれた本を読んだとしても、
それに書かれた事が真実なのか、はたして嘘なのか、
調べるよしもありません。
今ではインターネットが発達しており、
Webカメラやストリートビューなどでも現地の様子を確認する事ができます。
(それでも国によって可能なところ、不可能なところと様々ですが)
でも当時の人々は、命の危険を冒して、
何ヶ月もかけて長い航海に出かけなければなりません。
たとえ行けたとしても、
その国の人々の文化など、事細かく確認する事は不可能に近いでしょう。
それをサルマナザールは利用して、嘘で塗り固められた本を出版しました。
彼が果たして何を書いていたのか、
その一部はこちら、
・台湾人の祖先は日本人である
・子供の心臓を神に捧げる習慣がある
・上着を1枚羽織るだけで、陰部を金属製の皿で隠している
・台湾には食人の習慣がある
などの全てでまかせな内容でした。
その他にも、台湾の地理、文化、風習など37章に渡り記されています。
いったい、このような本を書いたサルマナザールとは、
どのような人物だったのでしょうか?
サルマナザールは1680年代に南フランスで生まれました。
但し、その名前は旧約聖書のアッシリア王から取られた偽名であり、
本名は分かっていません。
幼少期は生まれ故郷の教会で様々な学問に触れながら育ちました。
その知識を活かして彼は家庭教師として、
子どもたちの指導をする仕事をしていました。
しかしある時その仕事を辞め、
修道士として偽り、ヨーロッパ各地を放浪する生活を始めます。
その中で、彼はイエズス会の宣教師と出会い、
彼らから遠い極東の国、「日本」という国がある事を聞きます。
その話を聞き、彼は、「これを利用しよう!」と考え、
自称日本人を名乗り極東の出来事を話すようになります。
当時、彼は軍隊におり
彼は元々幼少期から勉強をしており自頭もよく、
賢い神秘的な「日本人」の言葉に次々と人々は騙されていったのですが、
その頃とある人物に出会いました。
ウィリアム・イネスという牧師でした。
彼は、すぐにサルマナザールが日本人であることを見抜き、
その詐欺師としての才能を活かすため、スカウトをします。
彼はその過程で、日本人ではなく台湾人を、
そして、完璧な独自の言語、「台湾語」を作り出し、
嘘で周りを塗り硬めます。
そしてサルマナザールとイネス牧師が考え出したのが、
「日本皇帝支配下の島、台湾の歴史地理に関する記述」でした。
当時、全く取り扱っていなかった台湾の事を研究したとして、
彼はそのままオックスフォード大学の大学講師となるまで上り詰めます。
しかし、実際に極東へ行った事のある人にとっては誤魔化しきれず、
ついに当時中国へ布教活動を行っていた、
イエズス会の宣教師、ジャン・ド・フォンタネーに虚偽だと訴えられてしまいます。
最終的には、ハレー彗星を発見した事で名前が残る、
エドモンド・ハレーに天文学的視点からの矛盾点が数多く発見されるとともに、
嘘に綻びが出てきてその他様々な事について追求され、
ついには、自らの供述する台湾についての事は、全て作り上げた嘘だと告白します。
サルマナザールはその事について、罪に問われる事は無かったが、
名声は落ち、大学講師の職も辞職し、田舎で隠居生活を送ります。
しかし当時の人々を騙した卓越した文章力を買われ、
その後はゴーストライターとして、細々と生活を続けたそうです。
その後、この本は、詐欺師、ペテン師、バカバカしい作り話と評価されたり、
またある時は、偉大な文学として評価される事もありました。
実際にその後、ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』の創作に大きな影響を与え、
更に、直木賞作家の陳舜臣のフィクションの題材にもなりました。
フィクションの冒険旅行記といった点においては、後世にも影響を与えた人となります。
今回の話は、下記の三崎律日著の『奇書の世界史』という本に掲載されていました。
こちらの本には、台湾誌以外にも様々な奇書を取り扱う本として、
非常に興味深かったので、もしよかったら読んでみてはいかがでしょうか?