永野猛蔵元騎手引退に思う
2024年11月13日
仕事終わりにスマートフォンの機内モードをオンにしたところ、衝撃のメールが知人から届いた
『たけぞー引退…』
10月5・6日東京競馬場内の調整ルーム内でスマートフォン使用が発覚して10月8日より裁定委員会の議定があるまで騎乗停止中だった永野猛蔵騎手が騎手免許取り消し申請をして引退となった。
このニュースはまさかと思った。だって競馬学校受験時の面接において『騎手になれなかったら?』の質問に対し、それは考えてないと答えたとされる永野騎手が自ら騎手免許を取り消すなんて考えられなかったから。
やったことを反省し、てっきり騎手を続けると思っていただけに言葉では言い表せない気持ちでいっぱいだ。
公私に渡り親交があったとされるセイウン・ニシノの冠名で有名な西山オーナーのブログ記事によると、騎乗停止処分が出てそうそうに引退の意向を示しており、師匠の伊藤圭三調教師をはじめ何人かの調教師が引退を思いとどまるよう説得を試みていたようだ。処分内容は同じくスマートフォンの不適切使用により騎乗停止中の水沼元輝騎手の9ヶ月を上回るであろうと見られていたことから、その期間は西山オーナーの会社で働いてもらうのはどうかとの声もあったが、本人の辞める意思は固かったよう。
恐らくスマートフォン2台持ちで1台のみ提出とだけ聞かされていたから皆一生懸命説得したのだと思うが、フタを開けてみたら発覚までの1年4か月に渡り2台のうち1台のみを預けてスマートフォンを継続使用していたこと。そして骨折休業期間中に親族へ予想行為を行なっていた(所属厩舎馬及び過去に騎乗していた馬に関するものではないという)ことが発覚した。
説得に応じず、申し訳ないを繰り返していたということはよっぽど隠したかったのだろうか。
わたしは伊藤圭三厩舎を応援していて20年を超えている。1頭の馬に魅せられて追いかけるようになり、ある時先生の笑顔に惚れてこの先生なら信じてみようかなと思ったことから厩舎の応援を始めた。
以前はあちこちの競馬場に足を運び、パドックに横断幕を掲示していた。コロナ禍を経て現在JRAの競馬時では横断幕が掲示できなくなったが、地方競馬ではできるだけ横断幕を掲示している。
厩舎には過去に1人競馬学校生が実習していたが、色々あって途中で退学したようだ。その後しぱらくはいなかったが、ある日圭三先生が競馬学校の制服を着た男の子と一緒だったのを競馬場で目撃した。
それが当時の永野猛蔵騎手候補生だった。
『伊藤圭三を応援してるんでしょ?あの子“ながのたけぞう”って言うんだよ。』
競馬場で顔見知りの方に教わった。
教わった通りに検索したら漢字が判明。
今どき珍しい名前だな。
この子が無事デビュー出来るといいな。
過去の苦い経験から競馬学校時代の写真は騎手デビュー出来るまで載せないようにしよう。
その時決めた。
基本的には見守りスタンスでいこうと。
2021年3月騎手としてデビュー。初騎乗初勝利を挙げた。同じ日に同期の小沢大仁騎手が初騎乗初勝利を挙げたことで発奮したようだが、この勝利は嬉しかった。夏は新潟で騎乗し、当時の新潟日報で大きく取り上げられた(訳あってこの時の記事を持っている)。
残念ながら新人賞は小沢騎手が獲得となったが、2021年は29勝を挙げ、顕著な成績を残した関東の新人騎手に贈られる民放競馬記者クラブ賞に選出された。
しかしここから疑問に思う出来事が増えたように感じる。
・民放競馬記者クラブ賞授賞式での浮かないような顔
・競馬学校時代は応援していた方々の口から永野騎手の名前が聞こえなくなった
・親族が表立っての応援を禁止されたのか?SNSは鍵をかけ、話題にしなくなった
・どうやら親族問題があるかのようなツイートが見受けられた。しかも根深いもののようだ
この間、鎖骨骨折で戦線離脱を余儀なくされた。
そんな時に書いたブログ記事の一部を引用する。
引退となって気持ちが落ち込むなか、ふとこの記事を書いていたことを思い出し、改めて読み返すと親族から予想行為を求められて断ることが出来なかったのだろうか。親族も彼の立場を理解していたのだろうかとの疑問が湧いてくる。
結局親族も道を閉ざす要因のひとつに加担したことにならないか?もちろん本来のルールを破った永野騎手の問題であるわけだが、果たしてそれだけなんだろうか?
通信機器(スマートフォン)の使用に関する諸々はJRA何とかしてとの思いだがそれは置いといて。
永野騎手はもしかしたら“孤独”だったのではないだろうか。
SNSはやっていなかっただろうし、他の騎手と交流があるようには見えなかった。2023年2月。福永祐一騎手(現調教師)が東京競馬場で日本最後の騎乗ということでセレモニーが行われ、最後に他のジョッキーが一列に並んで送り出す場面があったのだが、1人列の後ろでポツンと立っていたのが永野騎手だった。途中で気づいてもらえて握手をしていたが、列の中に入るよう促す騎手が1人ぐらいはいても良かったのではないだろうかとそのとき思った。
他の騎手のメモリアルに登場しているのをSNSで見たが、実際はそれほど付き合いというか交流はなかったんだろうな。強いて言うなら同時に騎乗停止となった小林勝太騎手ぐらいか?騎乗停止になった頃、わたしのX(旧Twitter)アカウントに謎のフォローがあり、辿っていくと永野騎手に関する裏話がいくつかあった。放置していたらいつのまにか消えてしまったが、スクショしておけばよかったかな。
それはさておき。
長らく伊藤圭三厩舎の番頭格だった橋本広喜調教助手がいまもいたら、少しは違ったのだろうか。
プライベートな悩みを相談できる大人がいたら。もしくは西山オーナーあたりにそういった話ができていたら。たらればでしかないが、1人で抱え込まないで欲しかった。引退も1人で決めたんだと思う。
この件でやり取りした中である友人の言葉が突き刺さった。
『本人がよく考えて決めたことなら仕方ないけど、発覚したあとすぐに辞めるって決めたり、もし最初からバレたら辞めるって考えてたんだとしたらモヤっとする』
ほんとこれ。
せっかく通算100勝達成してこれからという時に、何故こんなことになったんだ。そして何故自ら志したJRA騎手という職業を辞めなきゃいけなかったんだ。
バレたら辞めればよい等そんな簡単に投げ出せる気持ちでしかなかったのか。自分のやったことが許せない男なのだと西山オーナーのブログにあったが、だとしたらその前に思いとどまることはできたはず。
師匠である伊藤圭三調教師や厩舎スタッフの皆様。西山オーナーをはじめ乗せてくださったオーナーや厩舎、牧場関係の方々。そして応援するファン、後輩になるはずの谷原候補生に対しての思いは何もなかったのかな。谷原候補生は目標とする騎手として永野騎手の名前を挙げていたではないか。デビュー前に突きつけられた出来事を彼女は乗り越えていかなければならない。永野騎手は父親が亡くなって自分も仕事を失って、これからどうやって生きていくのだろう。
西山オーナーのブログの感じから察するに今後について関わりはないと思われる。永野騎手も恐らく連絡はしないつもりなのだろう。以前厩舎で実習していた現在地方競馬にいる彼のように今後SNSアカウントを作り発信することはあるのだろうか。どうか破滅の道に進まないことを願うばかりだ。
騎手復帰すると思い込んでたから、南極観測船しらせの風景入日付印郵頼で永野騎手宛にはがき書いちゃった・・・来年の春、きっと配達できなくて戻ってくるんだろうな。
実習生時代の写真、そしてこのコンビで重賞勝ってほしかったタマモロックをアップします。もっとあると思うけど、探すのも辛いや。
最後にこの言葉で終わりにしたい。
「いま、きみはどこで何を思う」