江並哲志/REd Hot HouSe

作曲家、編曲家、DJ、プロデューサーなど。 アニメ、アイドル、イベントなど多数作曲。 …

江並哲志/REd Hot HouSe

作曲家、編曲家、DJ、プロデューサーなど。 アニメ、アイドル、イベントなど多数作曲。 名古屋在住

最近の記事

音楽人生その14(プロの作曲家になる道2)

さて、プロの作曲家とは?というと定義は何?という事になりますが、曲を書いてお金を稼いだ。これはプロの作曲家と言えるか言えないか? 広義ではプロと言えるでしょう。 自分も初めて作曲の依頼を受けてお金をもらったというと、記憶が曖昧だけど、とある地元のお祭りとかの営業バンドかな?カバーもやりつつ、オリジナル曲を演奏してました。あ、でもバンドのギャラだけで作曲のギャラはもらってなかったので、ちょっと違うかも?営業バンドも楽しかったですけどね。イベント会社の社長の趣味でELTとかm.

    • 音楽人生その13(プロの作曲家になる道、その1)

      前回の投稿編から、しばらく楽曲を作っては投稿し、リスナーさんの反応で一喜一憂するような日々を過ごしていました。 その間はちょっと前後しますが、着メロ全盛期に月50曲とか作って納品という時代もありました。まだスマホのない時代、いわゆるガラケー時代は機種数が半端なく、着メロの音源方式も各社バラバラで1曲作るごとに最高10機種近くサウンドチェックをして納品という今思えばよくやってたなという事もありました。 そう経歴でいうと、元々趣味で音楽やってた人間がJOYSOUNDの制作部に

      • 音楽人生その12(楽曲投稿編)

        前回やっと制作環境が安定して、楽曲をガンガン制作していた、という所までお話しました。 その頃はまだどちらかというと、今でいうトラックメーカーのような感じで、メロディーのない曲ばかり作っていました。 ハウスなどダンスミュージックばかり聴いていて、キックの音作りにこだわったり、ベースのフレーズ作りを延々とやってたりと、肝心のメロディーを作るのは後回しになってました。おそらくメロディーを入れるとダサく聴こえるのが嫌だったのかなと思います(笑)まだボカロなどもない時期だったので、シ

        • 音楽人生その11(DTM編2)

          さて、G3Macによる制作とMC-50による制作を並行してましたが、CubaseVSTがバージョンアップする度に今では当たり前になったVST(Virtual Studio Technology)が発展していきました。 元々Cubaseの開発をしていたSteinberg社が始めたVST規格でしたが、まだまだ他社のDAWでは安定した動作が微妙な頃でした。それから開発ソースを公開してからフリーのVSTプラグインが世界中で作られるようになり、今や当たり前な規格へと発展していったとい

        音楽人生その14(プロの作曲家になる道2)

          音楽人生その10(DTM編)

          前回DTMをやりかけたあたりで、またMC-50に戻ってしまった訳ですが、その後くらいから徐々にPCも進化し始め、次に購入したのがG3Macでした。そう、あの一世風靡したスケルトンカラーの筐体時代のMacです。ありましたね、初代i Macとか。この頃からよりポップなデザインとしてのコンピュータというのがAppleの売りだった気がします。 やっとDTMとして困らない程度の制作が出来るようになりました。ただまだまだ黎明期。スタジオクォリティのPROTOOLSならまだしもLOGIC

          音楽人生その10(DTM編)

          音楽人生その9(機材編3)

          前回はほぼ機材の話でしたね。今の時代ならパソコン一台とDAWソフトがあれば制作は済む話なんですが、本当にお金を使いすぎたなーと同時に今の時代は恵まれすぎている、と思ったりで感慨深いです。今なら多分総額でも50万円もあればプロと同じ制作環境は手に入るんじゃないかなと。 30年近く前はその10倍はお金掛けた気がします。 さておき、やっぱりPCベースに移行していくタイミングが2004.5年あたりにありまして、当時はとりあえずMacでしょ!という時代でした。 でも高かったんですよね

          音楽人生その9(機材編3)

          音楽人生その8(機材編2)

          前回から開いてしまいました。 えーと、JV-80とMC-50での作曲活動が始まりましたってとこでしたね。途中で格安のサンプラーAKAI S01が出て速攻で買って、当時金沢竪町にあったヤマハVANVANの店長に50枚くらいサンプラーの音ネタフロッピーを借りたりしてお世話になりました。 その後はしばらくこのセットで制作をしていましたが、JOYSOUND(株式会社エクシング)に就職してからは、入った給料をほぼほぼ機材に注ぎ込み、次々とシンセサイザーやミキサー、DATなどを買っては

          音楽人生その8(機材編2)

          音楽人生その7(機材編)

          前回に引き続き作曲の話をします。 大学時に新たに機材を購入し、最初の打ち込みはYAMAHA EOS B500という小室哲哉プロデュースのオールインワン型のシンセサイザーでした。 100種類以上ある音色にドラム、シーケンサー(音符をレコーディング、プログラミングできる機能)、スピーカーが一体となってて電源を入れればすぐ作曲ができるシンセでした。もう30年以上昔のシンセサイザーなので、音符もそこまで多くは記憶させられなく、今となっては懐かしい同時発音数に悩まされながらの作曲で

          音楽人生その7(機材編)

          音楽人生その6(作曲の始まり)

          前回からかなり空いてしまいましたね💦 今回は大学編を繋ぎながら、そろそろ作曲の始まりの話を書いてみようと思います。 音楽は聴き専だった自分が、小室哲哉に憧れて作曲家になりたいと夢見たのが中学生の時でした。でも音楽を習った事もなければ、どうやって作るのかも全く知識がなく、ただ漠然と憧れだけ持ってました。  ただ当時持ってたNECのパソコン、PC-8801FAでN88BASICというプログラミング言語でMMLによるちょっとした作曲はしてました。今考えるとそこからかい!って感じで

          音楽人生その6(作曲の始まり)

          2023年を振り返って

          今年もたくさんの新しい出会いがあり、仕事に遊びとしても充実した1年でした。 まずはラブライブサンシャイン松浦果南ソロアルバム(CV:諏訪ななか)に収録された センチメンタルレモネード 海が似合う80'sシティポップな1曲。 久しぶりのラブライブに楽曲提供できて嬉しかったです。感謝! その後はアイドルさん、アーティストさんのレコーディングを多分述べ4.50曲くらいかな?したり、楽曲提供したりと忙しい日々を過ごした1年でした。 1つ大きかったのはほとんどの楽曲を提供してい

          2023年を振り返って

          音楽人生その5(大学サークル編2)

          その後、初の定期ライブにキーボーディストとして初参加しました。 ギタリスト2人、ドラム、ベース、キーボードの5人編成。経験者はギタリスト1人とベーシストのみ。 課題曲はカシオペアのCoast to Coast 譜面を渡されてもコードも知らない初心者に、裏拍のリズムを取るのはホントに大変でした。しかもイントロのキーボードパート。今では当たり前に思えるのにこの頃は中々出来ず悩まされた1曲でした。この後に高中正義のSHAKE IT!の16部音符裏のリズムにまた悩まされる訳ですが😓

          音楽人生その5(大学サークル編2)

          音楽人生その4(大学サークル編)

          前回、キーボード募集の張り紙につられてフュージョン部(※実際の名称ではありません)に入部したわけですが、フュージョンって何?あ、F1で流れてるような歌とかない音楽ね、と軽い気持ちで見るだけ見てみようと言うことで。 内心あわよくばTM NETWORKみたいなオリジナルがやれる事を期待しつつ通い始めたのでした。 しかし、大きく期待を裏切られる事に… まぁ後々の自分にとってはフュージョンという音楽を体験した事は多いにプラスになったと思っています。でも当時の自分は若かったのでそん

          音楽人生その4(大学サークル編)

          音楽人生その3(初めてのシンセサイザー)

          さて、大学に無事入学はしたものの、そこにあった音楽系の部が、ジャズ、メタル(パンク系)、フュージョンしかなく、仕方なく入部は諦め1年生時はアルバイトでお金を貯め、初めてのシンセサイザーの購入を決意したのでした。 その頃、小室哲哉プロデュースで発売された、YAMAHA EOS B500というシンセサイザー。確か定価が168000円。ドラム音源も入ってシーケンサーも内臓された所謂オールインワンシンセサイザーでした。出音は今聴くとかなりしょんぼりする音ですが、大口径のスピーカーも

          音楽人生その3(初めてのシンセサイザー)

          音楽人生その2(大学にて)

          前回に引き続き、こんな小っ恥ずかしい事を書き留めるのは酔っ払ってる時しかできないと思い、今のうちに。 えー、前回が高校を卒業して大学に進学した辺りでしたね。高校は幸か不幸か当時で言う進学校だったので、そのタイミングで音楽に目覚めた自分は勉強は放り出して音楽にどっぷり、エレクトーンを弾き浸る日々でした。加えてTM NETWORKを狂うほど聴いて調べ尽くすオタクになってました。田舎すぎてライブに初めて行けたのは、再始動後でしたが。ただ、ライブビデオなどは購入して擦り切れるほど見

          音楽人生その2(大学にて)

          音楽人生その1(音楽の目覚め)

          今新幹線で移動中、約1時間ほどあるので久しぶりにnoteを書いてみようと思う。 ウイスキー水割りを飲みながら。 音楽人生ということで。 ホントは小学生〜中学生くらいまでは鳥山明や桂正和に憧れて、漫画家になる夢を持ってました。当時は周りから絵が上手いともてはやされ、いくつか賞も貰えた事がありました。 趣味でいくつか漫画も描いてみましたが、いかんせんストーリーが作れないという弱点に後々気づいたんですね。(後の作詞が苦手という事に繋がる言語的コンプレックス) そんなことを思いなが

          音楽人生その1(音楽の目覚め)

          作家としてベッド・インと

          ベッド・インTOUR2022 「祝!10周年!&アルバム発射記念ツアー」 始まりましたね!自分も名古屋で参加予定です! さて、性徒諸クンとして始まった自分のベッド・イン歴に事件が起きます。お世話になっている事務所に「TOKYO」アルバム制作時にコンペ案件が来た事によって、まさかファンから関係者になるとは! 「このコンペは絶対に取らねば!」 (コンペとは楽曲を多く募集して、その中からコンセプトに合う楽曲を選ぶという、言わばオーディションのようなもの) 結果、採用されたのが

          作家としてベッド・インと