映画 ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーとは何か 2
■まだまだ絶賛爆進中の映画ザスーパーマリオブラザーズムービーです。興業収入(国内)20億越え、(海外)1,400億越えと、既に今年公開映画の最大ヒット作品となっているようです。
■宮本さんが関わったことで、実に細やかに配慮された作品になり、ある意味この時代だからこその神ヒット作品になったのではとおもいます。
■配慮①
うっすらポリコレ配慮している。そもそもなんでもありのゲームの世界。スマブラの世界では老若男女怪物化け物天使から悪魔まで殴り合う時代です。ピーチ姫が囚われ役ではない事で配慮が見られます。基本困り顔のマリオ、大困り顔のルイージと、ピーチ姫の組み合わせの妙は、両さんと麗子の様に、存在そのものがギャグであるマリオと、強き存在であるピーチ姫と重なる気がします。
■配慮②
子供向けに配慮している。「誰でも楽しめる」はある意味条件縛りの意味合いを持ち、それに向けて調整が求められる。そういった意味では任天堂はそこに特化したノウハウを持ち合わせるゲームメーカーだ。そのバランスを永きに渡り持ち続けた、守り続けたメーカーでもある。やり過ぎず過不足なく、でもこれはとても難しい。この作品には、一瞬でも「ん、何か引っかかる」ような作り手側の「思想の欠片」というものが現れていない。全て雑草を抜くかの如く排除されている。
■配慮③
映画で得る事ができたワクワクのその先には、家でのマリオが楽しみを何時でも追体験させてくれるのだ。アトラクション感はUSJのマリオワールドでも楽しめるし、体験アトラクションは今後世界中に広がる予感しかしない。その足掛かりとなるよう作られているのだ。アトラクションとして現世に立体化するための映像作りにも配慮されていると言えよう。
■かつて映画されたゲーム原作の歴史を振り返ると、ごく僅かな成功例(トゥームレイダーやバイオハザード、ソニック)を除けば、ほぼ全てが期待外れであり、厳しい評価、黒歴史化している作品が多い。
言い方は悪いが、「喰い物にされた」と言うべきだろう。成金が言葉巧みに金を出さされて、挙げ句の果てに感謝もされず、お座なりの仕上がり物で茶を濁されてきた歴史である。
■ゲームメーカーは作品を作り世に出してきた作り手側である。今後のゲーム原作化には、金だけではなく口も意見もガンガン出すべきである。
■今回のマリオ映画が良かったのは、子供向けゲームを作っている会社が、子供向け映画を作った事である。これがブレると、作品に口出す時に意見を通しづらい。経験がないから説得力が無いのだ。そのため映画側の意見が罷り通ることになる。
■任天堂は、ゲームに対する偏見とずっと戦ってきたメーカーである。言われの無いエセ科学に言い掛かりをつけられた事も、親の教育監督不行き届きの罪をゲームに被せられたことも少なく無い。今ですら続いているクソ議論である。
■任天堂は一貫していた。大人向けと敢えて言わず自らは子供向けに高品質な商品を提供し続けてきた。悪意のある監視の目に晒されながらである。そのブラッシュアップされた作品作りは、まさに宮本さん筆頭に任天堂作り手側の努力と対応の歴史の賜物である。
■だから任天堂が自ら監修した子供向け映画が面白くない訳が無い。
■任天堂はゲームに対して大人向けへの欲を出さない。子供向けに特化する、それが強みだと知っているから。映画でもそれを完遂したこと、それが勝利の要因である。
■ちな花札は大人向けである。