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小学校教科書が歪めた国史⑥ 室町時代~忠義よりも一揆が重要だと教えた罪


 鎌倉幕府が滅んだ後、多くの教科書は南北朝時代を飛ばして、すぐに室町時代を迎えたかのような記述をしています。゛
 確かに後醍醐天皇による建武新政はたった2年で潰れましたが、その後80年にわたって続く、日本史上唯一の分裂時代である南北朝時代を無視するのは、いくら学習指導要領に明確な記載がないとはいえ、問題だと思われます。例によって、皇室の影響力を教科書は記したくないのでしょう。
 「足利尊氏は、天皇の政府をたおし、1338年に、京都に幕府を開きました」(光村図書)と教科書は書きますが、尊氏も、北朝の光明天皇から征夷大将軍位を受けて、幕府を開いています。「天皇の政府をたおし」たのではありません。結局のところ、武家の政権とは、天皇のご威光なしには、成立しなかったことを教科書は隠蔽したいということなのです。これは歴史理解とは正反対のミスリードです。そして後醍醐天皇の強烈なパーソナリティを執筆者が持て余していることもあるでしょうが、天皇を取り巻く新田貞義、北畠親房、楠木正成らの「忠臣」を取り上げたくない、というのが執筆者の本音でしょうか。
 一方学習指導要領は「京都の室町に幕府が置かれたころの代表的な建造物や絵画について調べて、そのころ新しい文化が生まれたことを理解すること」と指示しています。つまり室町時代のテーマは、金閣・銀閣に象徴される、北山・東山文化です。能や狂言、茶の湯の原形がこの時代に確立しています。今日に伝わるこれらの伝統文化を紹介することは大切です。子供たちは「国際化」のかけ声の中で、外国文化を学ばされることが多いのですが、日本文化を知る機会が意外と少ないのが実情です。教育出版は女性狂言師・和泉淳子氏の話をコラムで載せています。こういう工夫は評価できると思います。
 さて、室町時代の政治については、指導要領に明確な指示もないことから、足利氏が政権を掌握したことを簡単に紹介するだけに終わっています。確かに室町幕府は、足利義満の時代を除けば、強力なリーダーシップを発揮することはありませんでした。全国の守護大名による連合政権的な要素が強かったのです。ところが教科書は、比較的安定していた時期の幕府の政治についてはほとんど触れず、混乱時代の「応仁の乱」と「山城国一揆」を中心に据えています。
 確かに、弱体政権であった室町幕府に引導を渡すかたちになった応仁の乱は重要ですが、派生的な出来事に過ぎない「山城国一揆」を、5社の教科書すべてが横並びに紹介しているのはどういうわけでしょうか。山城国でたった8年間自治を行ったことを殊更に取り上げるなら、80年続いた南朝や、100年以上も全国を支配した足利氏の政権をまともに紹介しないというのは本末転倒です。
 ちなみに、学習指導要領は「一揆を教えなさい」とは指示していません。同じように指示がない南北朝時代を無視しながら、一揆は大きなスペースで記載するという編集方針を全社が採用しているのです。この奇妙な一致は、「現場が求めている」という需要に応えたものに違いありません
 執筆者や現場の教師は、学習指導要領が示す「新しい文化」とは「反権力」[造反有理」のことだ、とでも考えているのでしょうか。いずれにせよ子供たちは、天皇に忠誠を誓った人々が大義名分を旗印に戦ったことよりも、一揆の方が大切だと刷り込まれているわけです。この歪んだ教えが、いじめと呼ばれる犯罪行為や学級崩壊などの問題を深刻化させる一因になっているのではないのかと、私は思います。

※各社教科書の記述は、平成12(2000)年度版によります。
連載第98回/平成12年4月19日掲載


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