小学校教科書が歪めた国史⑩ 明治時代~明治人の気概を無視し、維新を蔑んだ罪
学習指導要領は明治時代について「明治維新、文明開花などについて調べて、明治時代に入り廃藩置県や四民平等などの諸改革が行われ、欧米の文化を取り入れつつ我が国の近代化が進められたことを理解すること」「大日本帝国憲法の発布、日清・日露の戦争、条約改正などについて調べて、国力が充実し、国際的地位が向上したことを理解すること」を目標として示していました。
もちろん明治維新のような大変革期には、さまざまな矛盾や歪みが生じるのは当然ですが、大きな流れとして、我が国が明治の改革によって、前進したことを示すことが大切なのです。ところが教科書は、明治の改革を素直に評価したくないようです。
廃藩置県は、中央棄権を確立する上で非業に重要な意味を持っています。しかし教科書「藩を廃止して県を置き、政府の役人である知事を県にはけんしました」(大阪書籍)と述べるだけです。全国を一元化し、近代化を進める上で重要な措置であった廃藩置県は文字通り「県を置いた」という事務手続きに矮小化されています。一滴の血も流さずに、大名の権利を剥奪できたのは驚くべきことです。
明治の改革を推進したのは武士でしたが、彼らは同じ「階級」の人々を贔屓することなく、近代国家建設という大義のために、それを断行したのです。フランスの哲学者モーリス・パンゲはこれを「武士の集団自殺」とさえ呼んでいます。
大日本帝国憲法については、「主権は天皇にあり、天皇が大臣を任命し、軍隊を統率し…国民の権利も定められました。ただし、法律で制限できるものとされていました」(教育出版)と否定的評価ばかりです。その前段で持ち上げていた、テロリストを含む自由民権運動の活動家が、この憲法を大歓迎した事実などまったく無視です。人権が公共の福祉のために法律で制限されるのは、昭和憲法下の今日でもありうることで、それをことさらに批判するのは、意図的だと言われても仕方がないでしょう。執筆者は「臣民の権利」が画餅であったと教えたいのです。
さらには、大正デモクラシー期には、「天皇主権説」は「天皇機関説」により事実上否定され、天皇が実は象徴的な権能しか持っていなかったにも関わらず、まるで独裁者であったかのような書き方は、ミスリードもいいところです。
チャンバラの時代からわずか20年で、諸外国に負けない立派な憲法を作った伊藤博文を筆頭する明治人の気概が、教科書からは一切伝わってきません。
極めつけは、日清・日露戦争の扱いです。極東を虎視咄々と狙っていたロシアの存在を扱きにして「朝鮮に不平等な条約をおしつけ、勢力をのばしていきました」(東京書籍)と書けば、我が国が侵略国家だったという誤ったイメージだけが子供の心に植えつけられるでしょう。
これが、学習指導要領が教えるように求めていた「国際的地位の向上」なのでしょうか。当時はまさに弱肉強食の時代でした。もしも日露戦争でロシアに敗れていたら、わが国も朝鮮もロシアの支配下に陥っていたごとでしょう。執筆者はその方がよかったとでも考えているのでしょうか。筆者にはそうとしか思えません。
明治以降の教科書における近代史の記述を読めば、怒りを通り越して悲しみさえおえます。幸いにして偏向教科書の問題は心ある人々を動かしました、この記事を書いたころに誕生した『新しい教科書』は、社会にインパクトを与えました。
子供がどのような教科書で学ぶかというのは、教育権の問題です。保護者自身が教科書を吟味し、そして大いに発言すべきことです。多くの方が教科書に関心を持ち、そして、誤りや偏向を指摘して、書き直させるような力にしていくことが重要だと思います。
※各社教科書の記述は、平成12(2000)年度版によります。当時の現行の小学校教科書の諸問題については、藤岡信勝編・自由主義史観研究会著『2000年度版歴史教科書を格付けする』(徳間書店)に詳述されています。
連載第102回/平成12年5月17日掲載
追記
自由主義史観研究会と『新しい歴史教科書』は偏向教育に風穴を開けました。あれから20年の年月が経過し、ここ数年、反日勢力の反撃は激しく、偽慰安婦の記述が教科書に一時的に復活するなど、文科省の検定官を取り込んだ、新たな戦いが始まっています。本文にも書きましたが、保護者が教科書にもっと注意を払うべきです。お子さんのプリントや資料集にも目を通してください。教科書会社は金もうけ、学者は保身に忙しく、日本の未来など考えていません。お子さんの将来を考えるなら、教科書や教材に無関心にならないでください。
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