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「アメリカでの日本人教育」の巻

■日本人学校と補習校
 日本人学校は、文字通り海外において、日本人の子弟が学ぶ学校である。文部科学省が教職員を派遣している日本人学校は、世界各地に96校ある。米国は世界最大の在外邦人を抱えているが、公設日本人学校は3校(分校を入れて4校)しかなく、しかも内1校はグアムにある。日本人が最も多いカリフォルニア州には、何と1校もないのだ。だから、日本人の子弟は、現地校で米国人の子どもと机を並べて教育を受けるか、私の勤務校のような、私立日本人学校に籍をおくことになる。
 補習校は、現地校に通う子どもたちを対象に、日本語や日本文化を教える為に、土曜日や平日午後に開設されている学校である。親が長期滞在や永住の場合、或いは日系人やハーフの子どもの多くは現地校に通い、塾のような感覚で、補習校へ学びに来る。

■「バイカルチャー」のススメ
 2、3年の比較的短い米国滞在の場合でも、子どもに早期語学教育を受けさせるチャンス、とでも考えるのだろうか、現地校に通わせるケースが見受けられる。しかし、残念ながら現地校+補習校で、簡単に子供をバイリンガルにできるわけではない。
 「でも、カリフォルニアには、多言語プログラムがあり、バイリンガル教育に力を入れているのでは?」と半可通から批判されそうだが、以前に書いたように、すでにバイリンガル・プログラムは破綻している。
 今、補習校4年生の国語を受け持っているのだが、日本語能力が遅れている子供を散見する。しかも、他の子供との差が著しい。これは、親が普段から、我が子の日本語を矯正したり、会話を促したり、一緒に勉強したりしていないからではないだろうか。その子供が米国で中・高等教育を受けるならばまだしも(それでも、日本語ができなければ、日本人として恥ずかしい話だが)、英語も日本語も中途半端のままで、帰国するとすれば悲惨だ。
 日本のアメリカンスクール出身の子供たちにも同じことが言える。日英両語の読み書きが普通にできるのは、非常に少ないと聞く。純粋な日本人なのに、学校で日本語教育を受けたことがないから、漢字の読み書きができないというケースもあるという。近年は、子供を国際学校に通わせたがる親が増えているが、その場合、親がしっかり日本語教育を行わないと、宇多田ヒカルのように敬語が使えなくなる、つまり、まともな日本語が話せなくなるということを、肝に銘じておくべきだろう。勿論それでは、バイリンガルではない。そもそも、双方の文化を学び、アイデンティティをしっかり持つ、「バイカルチャー」でない限り、本当のバイリンガルではないのだ。
 私が勤務する日本語学校では、ネイティヴの教師が、能力別でESL(第二言語としての英語)の授業を毎日行う。客観的に考えて、現地校で英語での授業をみっちり受け、土曜日の補習校や家庭学習で、親も子も休みなしで日本語能力を維持するよりも、英語が身に付くのは遅いかも知れないが、日本語で主な勉強をして、ESLで英語を第二言語として学び、土曜日はスポーツでもさせる方このやり方の方が健全だと思う。

■無意味な英単語の日本語化
 こういう環境に身を置いてみて、日本の小学生に英語を教えるということについては、慎重に対処する必要があると改めて思った。
 「せめて単語だけでも、早いうちからゲーム感覚で覚えたら良いではないか」という意見もあろうが、通じる発音で英単語を教えられる有資格者を、果たして何人集められるだろうか。例えば、Waterを教えるときに、「中学英語」のように「ウォーター」と教えるなら、やめておいた方が良い。せめて「ワラ」と教える度胸がないと、小学生への英語教育はムダ以外の何ものでもない。そのような「日本語化」された英単語は、山のようにある。未だに小生はその呪縛から解き放たれていない。
 ご承知の通り、日本語にあるカタカナ言葉の中には、南蛮渡来の言葉をはじめ、ドイツ語や英語のカナ読みなど、雑多なものが混じっている。小学生に英語を教えるのならば、或いは、使える英語を学校で教えようとするならば、せめて英語語源のカタカナ語だけでも、英語の発音に近いように修正すべきである。
 日本語のテレビ番組や新聞を見ていて、非常に滑稽に思うのは、何故 
ネイティヴが発音していないようなカナ表記(や発音)を、あえてするのか、ということである。
 私はMLBファンなので、そこから例を挙げよう。
 贔屓チームはもしろんDodgersであるが、カタカナで表記すると「ドジャーズ」よりも「ダジャーズ」が近い。今年トレードに出された人気選手Paul Lo Ducaは、なぜか「ロ・デューカ」と表記されているが、正しくは「ラ(ロ)・ドゥーカ」である。レッドソックスの4番バッターDavid Ortizは、「オーティーズ」だが、日本語メディアでは全て「オルティス」としている。
 マスコミ、とりわけニュースを配信する通信社が、何故とんちんかんな読み方を創り出し、英語での発音から遠ざけるのか、理解に苦しむ。

■仁義なき外国地名表記
 地名の表記も酷い。現地ニュースでよく登場する、LAの隣にある(去年の山火事で有名になった)、San Bernardinoは「サンバナディーノ」と発音するのが正しいが、日本語メディアは、絶対に通じない「サンベルナルディノ」と表記する。スペイン語読みに近いようだが、残念ながらそれとも異なっている。  
 地名表記の問題は、日本にいたときに、地図帳の地名表記を見て気づいた。地理の教師に聞くと、現地の言葉に近いように表記する、という原則があるということなのだが、それが非常に出鱈目なのである。
 特に中国の地名。日本語にない発音が多いのに、わざわざ広州を「コワンチョウ」、四川を「スーチョワン」と無理やりにカナをふる。その一方で、香港、北京は、漢語では決して「ホンコン」、「ペキン」と発音しないのに、慣習だからと、そのまま読ませている。矛盾もいいところだ。
 余談であるが、西武ライオンズの台湾出身の投手・張志家は、「チャン・ズージャ」と表記されているが、「志家」は最も近いカナ表記では「チーチァ」であって、絶対に「ズージャ」とは発音しない。支那語には全て決まったローマ字表記(ピンイン。彼の場合は、Zhang Zhi-Jia)があるのだが、それをムリに日本語読みするなら、漢字を日本語読みする方が、余程マシではないか。
 外国語をそれに近いように表記するというのなら、日本語が外国語を単純化しやすい、音の少ない言語であることを忘れてはいけない。ズーズー弁など日本語の方言すら、カナ表記は不可能だ。思いつきでカナ表記をしてしまう愚行をやめない限り、いつまでたっても英語は話せるようになどならない。
 私がその良い例だ。  

■日本人の為の英語教育を創れ
 バイリンガルを公教育で育成する、ということの愚かさに気づいたLA教育委員会が、近年力を入れているのが、ELD(英語能力開発)教育である。プログラムや考え方は、同じ外国人生徒に対する英語教育でも、従来のESL教育とも異質のものである。生徒の英語能力の発達に応じて、生活と密着した内容で、スキルを向上させていくのだ。
 小学校から英語を教えればバイリンガルが増える、とでも思っている、能天気な文科省の官僚達に、カリキュラム構築を任せておけば、子どもが犠牲になるだけだ。小学校で英語をしなければならないのならば、本当に子どもの為になる、「日本人の為の英語教育」を構築する必要がある。その一つの鍵が、ELDではないかと思う。

『歴史と教育』2005年2月号掲載の「羅府スケッチ」に加筆修正した。

【カバー写真】2003年に訪れたヒューストン(テキサス州)日本人補習学校の教室風景。週1回の授業を楽しみにしている子供は多いが、負担は大きい。(撮影筆者)


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