その流れに身を任せちゃいけねぇよ、坊主
タイトルを決めあぐねて有名な曲タイトルなどから拝借する癖がある
絶賛うつ治療ニート中なので、Twitterに張り付いていることがすごく多く、まぁあんまり良くないよなと思いつつも、外にほとんど出られない状況下で例えそれが知らない人でも「会話」や「人の声」が感じられるのでぼんやり眺めていることが多い。
家族には「携帯ばっかり見て」と言われるが(さもありなん)、そこにしか世界がないように感じるのも確かで、
良くないよなと思いつつも携帯を置いた次の瞬間にはまた携帯を持ってTwitterを開いていたりする。
身内にアルコール依存症の人がいると前回の記事でも書いたが、ぼくも人のことが言えないかもしれない。携帯依存症。Twitter依存症。
病名になるかは知らんけど、良くないことだとわかっててやっちまうのだから似たようなもんであろう。知らんけど。
話をTwitterに戻すが、Twitter民もコロナ禍で色んな不自由や不安を抱えて精神的に参っているのか、流れてくるものに暗いというか沈んだ話題がぐっと増えた。
その中で最近よく分からん座りの悪さと気持ち悪さを感じたのが、
うつや精神疾患についての実体験レポや、セルフメンタルケア、心理学などの話題。
いちいちつらい。
いちいちつらいのだけれど、精神疾患というものは目に見えないので、もしかしてこんなことでつらいと感じるのは自分だけなんだろうかと不安になり、ちょっとでも正体が知りたくて、ちょっとでも誰か似たようなつらさを抱えてる人はいないのかと思って、いちいちつらいのに読んでしまう。
そして大概読んで後悔する。
記事そのものが悪いとか間違っているというわけではなく、ただただ人様の話を聞いて(読んで)ダメージを受けて帰ってきてしまうのである。
なるほどそうかもしれんなという部分にも、何か正体のわからん居座りの悪さを感じ、
正論ではあるなという部分にも苦しくなってしまう。
どうもそれを感じているのはぼくだけではないようで、
それらに対する冷静な分析、時には反論、そういった情報も入ってきて、いちいちなるほどと思う。
気持ちの悪さを代わりに文字に起こしてくれたと思う。
どうもそれがあかんのではないかと最近思い始めた。
あたまのいいひとが考えて的確な言葉で説明してくれていることを、ぼくは無心でもりもり食っているだけなので、
それに慣れきってしまって自分で調べて考えるということをサボりたおしているのではなかろまいかと。
遅っそ!というこのタイミングで気付いてしまった。
ぼくの前頭葉はおそらく萎縮している。
漢字を忘れるのも言葉が出てこないのも文章が滑って頭に入らないのも、もしかしたら半分はそれのせいかもしれないと思うと非常におそろしいので、今のところうつのせいだと思うことにしている。
お医者もそういうことよくあるって言っていた。(お医者の言うことはとりあえず聞いておく良い子のほーがちゃんである)
ちなみに言葉が出てこないというのは、失語的なやつではなく、「こういうのってなんて言うんだっけ」というやつである。
例えば今日は「カセットコンロ」という単語が出てこなかった。
出そうと思って耳の後ろ辺りまでは来るんだが「あの、あれやん、カチッて火つくあの、イワタニのガスのやつ」という有様で、
結局出てこないので実際家にあるカセットコンロの箱になんて書いてあるか確認しに行った。
日常当たり前に使っているはずの単語が出てこないほどおそろしいものはないぞ。
こないだは「特効薬」が出てこず「あの、あれ、病気とかにてきめんに効くやつ」という有様であった。
なんで「てきめん」が出るのに「特効薬」が出ない。
おかげで「薬 すごく効く」で検索する羽目になった。
日常的に使うはずの単語を検索するのがこんなにややこしいとは思わなかった。国語辞典を逆方向にひこうとしているわけだ。あほか。
完全にぶっ壊れる前、簡単な計算も出来なくなって「頭使わないから脳が劣化してる!」と死ぬほど焦って小学生の算数をやり続けていた時があった。
横にならないと死ぬほどしんどいのに、机にしがみつくようにして算数の問題を解く成人女性。やばさの極みである。
そこでおかしいと気付かないから病気だったんだろうなぁと今になって思うし、今でも「ああ、あれしんどいからそうなったんか」とついこないだのことも後になって理解することが多い。
ああ、あれはしんどいから頓服を飲んでもいいやつやったんや。的な。頓服の意味がない。
というか、「不安な時」と書いてある頓服をいつ飲んでいいのか自分で判断が出来ない。これはもうずっと出来てない。
不安。不安とはなんぞや。
将来どころか翌月とかいう直近未来ですらいつでもビジョンがなくて不安で死にたいが。
不安·····
不安ってどんなんやっけか。
脱線したので時を戻そう(使ってみたかった)。
ともあれ、この「自分の感じたことを他人様に言語化してもらった気になって満足する」というのはよろしくないとやっとこ判断した。
他人様は本当に知的な人が多く、そのおこぼれをもらえば楽ちんなのは当たり前のことで、
そりゃ自分で考えずにただ流れてくる情報にどんぶらこどんぶらこと漂えば、あたまのわるいひとの顔(あのアレ)になるわな。
というわけで、タイトルの「その流れに身を任せちゃいけねぇよ、坊主」になるわけです。伏線回収(?)。
別に坊主ではないが、お江戸の下町に住んでいるおじさんのイメージでお読みください。
という、とりあえず本来の目的である「Twitterの140字ではおさまらないよしなしごとを脈絡なくていいからとにかく書く」ということは出来た。
吾輩はぼくである。脈絡はない。
一日の半分を寝ているぼくは、ほとんど猫かもしれない(お猫さまに謝れ)。
おやすみなさい。