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あまやりん
今日は自分のことを、少しだけさらけ出せたら。そんな風に思って文字を打つ。
少しだけ、仮面をとって
早いもので、noteを始めてもうすぐ3か月が経とうとしている。世間で新しい生活様式なるものが謳われ始めてまもなくの頃、このnoteを書き始めた。私にはこのnoteがまさに新しく生活の一部となった形だ。
そして最初はどこまで「自分」というものを開示して文章を書くか迷った。でもいくつか文章を書いている中で固まっていったのは、自分にとって確たる情報は、なるべくぼかして書く、というものだった。
これには、極力匿名性を保って書きたいということや、年齢、性別などで先入観をもたないで読んでもらえたらという思いがあった。一人称は、一貫して「私」。過去のnoteの文章の中にはもちろん、ある程度性別や年齢が分かりそうな表現や内容はあったと思う。でも、はっきりと性別を公開したことは一度もない。
このnoteの中では、あくまで「あまやりん」として書いてきた。そしてこれは私にとって大切で思い入れのある名前だから、変えるつもりもない。ただ、今のnoteの内容はフィクションの物語や創作がメインではなく、あくまで私の身の回りに起きたことや経験したことのアウトプットなのである。そういうことを扱って文章を書いているのに、性別というパーソナリティな部分をぼかして書くことに違和感と、限界を感じてきた。
逆の立場で私が読み手に立った時に、何となくでも人となりが分かったうえで読むことの方が、伝わってくるものがある。文章がより、内容を持って届く可能性がある。
前置きがかなり長くなってしまった。そして勝手に、ハードルを上げてしまったようにも思う。こんなに勿体ぶっておきながら、言いたいことは単純明快。
あまやりんは実在する、20代の男だということ。
かといって、ここまで引っ張ってきてこんなに盛大に一つの文章で発表しなくても、しれっとプロフィールに付け足すようなくらいでもいいことだと思っている。自分自身、男らしい文章を書こうだとか、男らしくとか、あるいは20代らしくとか、若者らしくとか。そういったことをこれから意識していくという意味や心づもりは全くない。その為に、さらけ出したわけじゃない。
ただ単純に、ありがたくもnoteを読んでいただく1人として、20代男性、これくらいは明かして、書いているのはこんな人間ですよ、程度に思ってもらえればというくらいだ。
リスタート
それでもなんで1つのnoteにしたのかと言えば、リスタートの意味もある。好きで始めたnoteだけれど、あらためて、書くことが惰性になってはいけない。自分を男性でもなく女性でもなく「あまやりん」というペルソナを借りて日々の出来事を書いていくことに難しさを感じていたのは事実だ。結果として、ペルソナを守ることを優先して言いたいことをうまく言えないもどかしさも感じていた。
そんな状態でとりあえず続けていくnoteは惰性の産物になりかねない。だからここで、今日からは少しだけ殻を破った「とある20代男性のあまやりん」が書くnoteにしたいと思った。これは小さいことだけれど、自分にとっては少し勇気のいる決断になった。
かといって、文章のスタンスを大きく変えるつもりはない。例えば一人称を「僕」にしたところで、普段会話で使う1人称とは違う。だから文章では相変わらず「私」になるだろう。そして、積極的にフィクションや創作もしてみたいけれど、しばらくは今の形態の文しか書けなさそうだから、それも変わらない。
20代男性のあまやりん。男らしいという声は、あまりかけられたことがない。あんまり怒ったりはしない。好きなことは野球を見ること、すること、音楽を聴くこと、料理を作ること、などなど。あとは、綺麗な景色や人と話すことが好きだったり。リアルタイムの話も書くけれど、大学時代の一人暮らしの思い出とか、過去の出来事をふりかえりがち。もともと広告関係に関わりたくて大学でも勉強していたけれど、今は全く違う業界で働く、社会人一年目。
そんな人間が、思ったことをただただ綴る、日常型note。あわよくば、読んでもらった人が少しでも気持ちを温めてくれたらという願いを、傲慢ながら込めさせてもらっているnote。幸運にも誰かに届くのなら、それはとても幸せなことだ。