Ancestorsがヤバい。2
前回までのあらすじ
『カワウソがヤバい』
引き続き、『Ancestors』について書いていく。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
という、人が恐れを抱く心理をあらわしたたとえがあるが、このゲームではまさにそんな瞬間が数多い。
森に埋まる茶色い岩はとぐろを巻くニシキヘビ、海辺の岩礁は濡れた体躯のカバやカワウソの姿を想起させ、プレイヤーの心をかき乱す。
その瞬間、プレイヤーと未知の場所を歩む画面上のヒト科の抱く恐怖が同期している。
このゲームをプレイする現生人類の多くはドーパミンが分泌されているため画面から立ち去ることはないかもしれないが、中生代のヒト科たちは恐怖の中にさらされ続けるとヒステリーを起こしてその場から逃げ出してしまう。
また肉体へのダメージは精神のバランスも崩す。
カポックの樹上に成る実は、体に塗ることで出血を回復させる。どのように利用しているかは定かではないが、おそらく繊維がガーゼのような役割をするのだろう。
探索の途上で捕食者に襲われ、命からがら逃げだすが、そんなときに限って見つかるのは実ではなく枯れ枝ばかり。
深い森の中で危機を感じ、焦燥感に駆られながら目を皿にして実を探しまわる。
このゲームの象徴的なシーンに『恐怖の克服』がある。
彼らにとって未知・無知とは恐怖だ。それはおそらく我々現生人類ともそう遠くないものだと思う。ゲームでは自分たちの知らない地に足を踏み入れた際に恐怖のビジョンが画面上に現れてプレッシャーを与え続け、それが彼らのドーパミンを奪い去っていく。
その状況を打破するのは周辺にある物体を知り、把握するという行為。
自分たちの知っているものを見つけだすこと、知らないものに触れて知っていくことで快さを得て、ドーパミンが分泌される。
未知だった情報が、少しづつ確定されていくことで自分たちの居場所の輪郭が見え始める。拡大させていくことがこのゲームの目的のひとつだ。
彼らはそこで雄叫びを上げ恐怖を克服する。
この一連の反復が『Ancestors』というゲームを物語る。
「ヒト科の動物に、ホモ・サピエンスになる方法を教えるつもりで行動しましょう」というこのゲームの文言は、前回の記事でも紹介した。
しかしプレイヤーは彼らを操作しながら、彼らヒト科の動物に教えられてもいる。
前述したカポックが繊維質の実であることや、現生人類が消化可能な食物が彼らにとってもそうとは限らないこと、毛づくろいによる交流。
少なくとも自分はこのゲームをプレイしながら、知らなかった彼らの生態や活動、環境について知った。
彼らが未知を切り開いていく行為は、プレイヤーである自分にとっても同時に知識を拡大させるものだったのだ。
欄外:この記事を書きつつ想起していたゲーム
・レガイア伝説(プレイステーション/1998年/SCE)
プレイステーションのファンタジーRPG。
ゲームの物語設定に『霧』が深く関わっていて、この『霧』を晴らすために主人公たちが各地を巡っていく。
霧を晴らすシーンはこのゲームの象徴で、反復して何度か見ることになり印象に残っていた。『Ancestors』での恐怖の克服のシーンを見ているうちに、レガイア伝説のそのシーンが思い起こされた。