人間をやめた男と人間味『龍が如く5 夢、叶えし者』
『龍が如く5 夢、叶えし者』はセガから2012年12月6日にプレイステーション3で発売されたアクションアドベンチャーゲームだ。
架空の繁華街と極道をモチーフにした「龍が如く」シリーズのナンバリングタイトル五作目で、本作では札幌、名古屋、大阪、福岡、東京の五都市を舞台に五人のキャラクターたちを操作してゲームを進めていく。
本作以前の『龍が如く3』、『龍が如く4』と比較して街やキャラクターのグラフィックが一新され、戦闘シーンのプレイ感覚も大きく変化した。他にもリアルタイム描画のイベント演出の増加や、戦闘開始のシームレス化など技術的な向上を感じる部分が多い。
PS3専用タイトルの「龍が如く」としては最後にリリースされたこともあり、同ハードで展開された龍が如くシリーズを締めくくる、数多くの要素が詰め込まれたゲームとなっている。
『龍が如く5 夢、叶えし者』PS4版プロモーション映像
龍が如くスタジオ公式YouTubeチャンネルより
※細かくは書きませんがネタバレにご注意ください。
「grand theft auto」シリーズに代表されるオープンワールドゲームは様々なジャンルを一皿に乗せた、個々の要素が常に混在したものであることが多い。
一方で「龍が如く」シリーズのようなアクションアドベンチャーゲームは、オープンワールドに接近しつつもジャンルを混在させず、それぞれのジャンルが個別の皿に乗ったものという印象を自分は持っている。「龍が如く」シリーズはバトルアクションをゲームプレイの中心に置きつつ、探索の舞台となる街に多種多様なジャンルのプレイスポットを取り揃えているのが特徴だ。
特にこの『龍が如く5』はそれぞれのキャラクターと都市がゲームジャンル上の役割を持ち、これまで以上にジャンル間の違いを意識させられる。
キャラクターごとに用意されたサブシナリオ『アナザードラマ』はプレイ必須ではないものの、各キャラクターたちが担うゲームジャンルを用いて、キャラクターの人物像をより深く描いている。
そして本作は、シリーズ中初めて主人公「桐生一馬」に対し、私が人間味を感じたゲームだ。
ミサイルを避ける桐生一馬。
逆に言えば、本作以前の桐生に私はそれほど人間味を感じていなかったし、それが当たり前のものとして受け取っていた。その理由については後述し、まずは主人公たちが担うゲーム中の役割とジャンルについて記す。
それぞれの人物が担う役割と都市
第一部 桐生一馬 福岡・永洲街 タクシードライバー(ドライビング・レース)
本シリーズの主人公・桐生一馬。かつて「東城会」という極道組織に属していた伝説の極道。
前作までは沖縄で養護施設を経営していたが、本作では福岡「永洲街」で「鈴木太一」という偽名を使い、タクシードライバーとして生活している。
桐生パートはゲーム上、自動車運転の要素を担う。
龍が如くシリーズはこれまでプレイヤーが自動車を運転する要素は存在しなかったこともあり、シリーズを長く遊んだプレイヤーほど新鮮に感じるだろう。タクシードライバー業務は福岡編の舞台となる「永洲街」で交通ルールを守りつつ時間内に安全に乗客を目的地まで運ぶ、シリーズでも珍しい至極真っ当な職業シミュレーションとなっている。
地道に着実に業務をこなしていくことは、刺激的な戦闘シーンと異なった緊張感と喜びがあり、プレイヤーと桐生はタクシードライバー・鈴木太一としての日々をロールプレイする。
一方の公道レースは、高速道路で一対一のレースに臨む、タクシー業務の裏の顔だ。こちらは題材、演出ともに派手でこれまでの「龍が如く」らしい要素となっている。
このパートは桐生が堅気の人間として仕事をしながら、独りアパートのワンルームで暮らしている様子が描かれる。こうした生活感のある桐生が描かれることはこれまでほとんどなかった。
「2」以前の桐生はどこに住んでいるのか定かでなく、「3」以降は沖縄で養護施設を営み、遥や子どもたちと生活していた。しかしそこでの生活描写は彼らから「おじさん」と呼ばれ慕われる関係や役割の部分に重点を置いていた。彼が独りで居を構えているのは、本作と後に発売された「龍が如く0」くらいである。本作では回数こそ少ないものの、自宅から会社へ出勤するという、桐生にとっては非日常的な場面を体験することができる。
第二部 澤村遥&秋山駿 大阪・蒼天堀 アイドル(音楽・リズムアクション)
初代『龍が如く』から登場し続ける、桐生と並びシリーズ全体の主人公といえる少女・澤村遥。本作では初めて操作可能なキャラクターとなった。
大阪・蒼天堀でアイドルとして活動し、ダンスや歌唱といったリズムアクションのジャンルを担う。このジャンルは「3」から登場したカラオケのミニゲームを引き継いだものだと言える。
彼女が芸能界に入り、アイドルを目指すまでの動機付けは「5」までは存在しなかったに等しい。「龍が如く2」でアイドルにスカウトされるというサブストーリーこそあったが、その際に彼女は誘いを断っている。
本編開始の1年半前、沖縄で暮らしていた遥を見かけた芸能事務所社長「朴美麗」が、彼女にアイドルの才能を見出しスカウトに訪れる。朴は極道だった桐生の過去が芸能活動の障害となると考え、養護施設への資金援助と引き替えに、施設から退去するよう桐生に求める。結果として桐生は施設を離れることを決め、朴からトップアイドルの夢を託された遥も大阪で芸能活動を開始することになる。初代で9歳だった彼女も本作で16歳となった。これまで保護者でありパートナーともいえた桐生のもとを離れ、彼女の成長や自己確立が描かれる。
遥は他のキャラクターと異なり殴り合いの戦闘は無く、その代わりに「ダンスバトル」が存在する。「ダンスバトル」は音楽や身振りに合わせてタイミングよくボタンを押すリズムアクションゲームで、街中に点在するダンサーに話しかけて挑戦することができる。勝利すれば経験値が得られ、ダンスや歌のスキルアップや技を覚えることでバトルを有利に進められる。「ダンスバトル」の難易度はそれほど難しくなく、あまりリズム感のない自分でも敗北することはほとんどなかった。
ダンス以外にも芸能事務所に入る仕事を受けることができ、握手会やイベント、様々なテレビ番組への出演などがバラエティに富んだミニゲームとしてプレイすることで経験値や報酬、アイドルとしての人気が手に入る。
個人的には遥のパートが最も遊びやすく、操作していてストレスがなかった。他の操作キャラクターは街を歩いていると敵が近づいてきて戦闘になるが、遥パートでは自分から話しかけない限り「ダンスバトル」は発生しない。このため街中を自由に探索するにはうってつけだ。戦闘を主軸に置かない遥パートは、本シリーズ内でも異色のプレイ体験となるだろう。
なお前作から登場した主人公のひとり、金融業者の「秋山駿」は本作でも操作キャラクターとして登場し、遥とワンセットのシナリオとなる。今作の秋山は前作と比べて操作できる場面は少ないものの、このパートで果たす役割は小さくない。彼は時に遥を励まし、また戦闘や調査を通じて、これまで桐生が担ってきた遥の保護者役としても彼女をサポートしている。
第三部 冴島大河 札幌・月見野、山間の集落 マタギ(シューティング・狩猟)
前作で登場した主人公のひとり。シューティングの要素を担う。雪山で遭難し、マタギの男「奥寺」に助けられた冴島。厳寒の集落でマタギとして狩りをしながら、人々から「ヤマオロシ」と呼ばれ恐れられる巨大熊と奥寺の過去に迫る。なお冴島篇は序盤で刑務所での生活が描かれ、シナリオの中盤から狩りがプレイ可能になる。狩りのパートは最初以外をほぼスキップしてゲームを先に進めることも可能で、他のキャラクター以上にサブストーリーとしての趣が強い。
本作がリリースされる以前にスピンオフ作「龍が如くOF THE END」や同じスタジオが開発した「バイナリードメイン」といったシューティング要素の強いゲームが登場していたが、それらのノウハウが冴島篇でも活かされているのかもしれない。雪山では常に体力が減り続け、食糧や山小屋での体力回復が必要となる。狩猟採集で食糧や毛皮を得て、集落で換金して装備を充実させていく。この行程の繰り返しはさながらダンジョンに潜っているかのようだ。
冴島篇で登場する都市『月見野』はシューティング部分に直接関係せず、またシナリオ前半の刑務所で知り合った人物がシナリオ後半まで関わるため、個々のジャンルと都市、人物の結びつきは本作のなかではあまり強くない。
前作では脱獄した囚人という設定で、前作の終わりに刑期も終えていたはずだが、本作の冴島パート冒頭で再び収監されたうえ、更に脱獄している。彼自身が禊の為に望んで収監されたという説明はなされているものの、いささかシナリオの都合に合わせられている感は否めない。
第四部 品田辰雄 名古屋・錦栄町 元プロ野球選手(スポーツ・バッティング)
本作から登場した新キャラクターで、名古屋・錦栄町で暮らす元プロ野球選手で性風俗ライターの男。
ゲーム上ではバッティングの要素を担っており、現在の職である風俗ライターの面に関してはイベントムービーなどで描写される。
バッターとしての矜持ゆえ戦闘中はバットを武器にすることが出来ない。バッティングセンターはシリーズ第一作からミニゲームとして登場しており、品田はそのバッティング要素にフォーカスしたキャラクターといえる。
自身がかつて球界を追放されるきっかけとなった、プロ野球選手が関与した暴力団による野球賭博事件を調査するのが品田篇のシナリオだ。この事件がメインシナリオに大きく関わり、ゲームを進行させれば必然的に事件の全容がわかるようになっている。この事件のモチーフは、現実にあった野球賭博事件「黒い霧事件」だろう。
品田の人懐こい性格は、寡黙な人物が多い本作において緊張をほぐす重要な役割を担っている。他のキャラクターとの最大の違いは経験値を使ってバッティングスキルを強化できる所で、投球をスローに捉える『ヒートアイ』を使用すればバッティングの難易度を下げることができる。メインシナリオ中バッティング要素のある部分は多くはなく、必要な場面に絞ってその要素を取り入れている。逆にアナザードラマではバッティング勝負を通して彼が高校球児だった過去が語られるなど、新キャラクターである品田の人物像の掘り下げとバッティング要素を推し出したものとなっている。東京出身の品田は15年前に野球選手を辞めてから名古屋で生活しており、他の主人公以上に地元住民との結びつきが強く描かれている。
品田が街に溶け込んだ存在となっている一方で、彼を含む主人公たちが各都市に対して外来者であることは本作で共通する部分である。物語のテーマ上それが欠かせない要素なのは承知しているが、多数の都市、複数の主人公の活かし方としては勿体ないと個人的に思う。
最終部 東京・神室町
各キャラクターのパートが終わると東京・神室町に5人のキャラクターが集結する最終部が始まり、それぞれのパートで描かれてきた人間関係が互いに交わりあっていく。最終部は東京で行われる遥のコンサートが物語の主軸に据えられ、その裏にある陰謀を阻止すべく桐生たちが奮闘する。
もともと「龍が如く」シリーズに見られた傾向ではあるが、本作は特に終盤になると「実はこうだった」という種明かしが頻発し、シナリオのバランスの悪さが目立ち始める。最終部より前の時点でも、何かを語ろうとした瞬間に都合よく中断される場面や勿体つけた描写が多く、明らかにシナリオ進行の要請によって状況が引き伸ばされている。こうした後付けされた部分の継ぎ接ぎや、伏線回収の粗さにはシナリオの綻びを感じざるをえなかった。
これまでのシリーズでは決戦の舞台は「ミレニアムタワー」や「神室町ヒルズ」といった高層ビルの屋上が定番で、例えば前作「4」のラストであれば主人公全員がミレニアムタワーに集まり最終決戦に臨んでいた。本作でも舞台のひとつとしてミレニアムタワーは登場するものの、5人の主人公たちはひとつの目的を共有しつつ、それぞれが別の場所で、別の相手と戦いを繰り広げる。彼らが最後に戦う相手はこれまでのシリーズと比べて、因縁のある敵や状況とは言いがたい。主人公たちとその敵対者は他人が作り上げた大きな目的とは別に、自己のアイデンティティを確立すべく戦いあう。
桐生一馬の自己確立
5人の主人公がドラマを繰り広げる『龍が如く5』だが、やはりシリーズの主人公は桐生一馬に他ならず、最終局面では桐生一馬にスポットが当てられる。
冒頭に述べたように自分はシリーズを通してプレイするなかで、桐生一馬という人物に人間味を感じたことが殆どなかった。桐生はその超人的な身体能力によってシリーズファンから「人間をやめている」と冗談交じりに言われるが、自分は彼の精神性もまた人間的ではないと感じている。彼はシリーズの主人公として自身が生きる物語の都合に従わされ続けてきた。シナリオ上で乗り掛かった舟に乗ってしまい、ほとんどのことを拳ひとつで解決してしまう。サブクエストで見られる「意外性を感じさせようと演出された桐生」は人格が分裂しているように見えるし、自らを取り巻く状況への反抗や、時に見せる失敗も彼の性格がもたらしたものではなく、物語側が要請するルールであるように自分には見える。敵対者たちが桐生を動かそうと躍起なのは、彼が物語を動かす装置であることを皆知っているからではないのか、と思う。
そして「龍が如く」は作を重ねるにつれて桐生の物語から、桐生を触媒に周囲の人々を描写する物語へと変化していった。
プレイヤーが彼を操作する以前、初代「龍が如く」の時点で桐生は周囲から伝説的な触れ得ざる存在として扱われていた。シリーズに登場するキャラクターの多くは一作ごとに消え去り、等身大の桐生個人を語れる他者はほんの一部に留まる。今作で登場したキャラクターの多くは、これまでのシリーズで桐生とプレイヤーが残した伝説をもとに、桐生の人物像を勝手に作りあげていく。
私が本作の桐生にこれまでと異なった印象を抱いたのは、彼がシリーズで築き上げたアイデンティティを一度喪失し、自己と向き合う姿を見たことにある。
彼の経営する養護施設は遥や子どもたちだけではなく、桐生にとっても自分の存在を許された場所だった。本作で養護施設から離れた桐生は空っぽで、ふとしたきっかけで暴発してしまいそうな自己を抑えつけている。自分の願望を諦めたふりをして、自棄を起こさないよう平常を装って過ごす姿はこれまでの「強く、揺るがない男」というイメージとは大きく異なる、私にとって人間的に映るものだった。
ゲーム中、コンビニのATMから養護施設へ送金を行うことができるが、それは桐生にとって子どもたちの生活費である以上に、彼自身の精神をつなぎとめる縁だ。彼が身をもって示す人間的な脆さや危うさは、プレイヤーや作中の人物が抱いた、「伝説の極道」という虚像を打ち砕く。
ラストバトルの舞台は桐生にとって古巣の東城会本部。最後の敵について詳述は避けるが、彼と桐生の因縁の無さ、唐突な登場は本作の問題点としてよく槍玉に挙げられる。しかし私は彼ほどふさわしい者はいないと思う。なぜここにいるのかを問う桐生に対し、彼は『自分でもよくわからない』と返す。この台詞は自身の望みと他者の夢が混じり合った結果、アイデンティティを喪失してこそ出たものだと思う。
他者が与えてくれる成功は彼にとって唾棄すべきものだが、一方で権力を持たない自身の願望を叶えるには他者の夢を利用しなければならない。自己矛盾のなかで自分のした選択と他者の思惑の区別がつかなくなる。ラスボスの座が舞い込んだ彼のキャラクター性は、自身を踊らせた本作の物語とそれに乗った自分自身への怒りそのものだ。彼は桐生を倒すことでしか自分の在り方を証明できず、それだけが唯一残った夢となった。
意図されたものだと思うが、ラスボスは桐生のまがい物のような姿をしている。
誰かの描いた絵図に踊らされる展開は「龍が如く」の十八番で、桐生はシリーズを通して物語に、ラスボスは本作で黒幕の陰謀に踊らされてきた。こうした展開を体現する、ある意味自己言及的な存在として本作のラスボスはとても興味深く、個人的に非常にいい描かれ方をした人物だったと思う。
桐生たちが死闘を繰り広げる最中、遥がコンサートで歌う場面が挿入される。「アイドル歌手・澤村遥」が個人ではなく、人の夢を受け入れる虚像であったとしても、遥は他者の思い描いた夢を自ら望んで受け継ぎ実現させた。
これまで作中世界が許さず、私も気づいてこなかった個人としての桐生と遥。彼らが本作の最後にほんの一時だけでも夢を叶えたと信じられるなら、本作とその後の物語の苦々しさを受け取ることができる、かもしれない。
本作は自身の在り方に迷いを抱いた桐生が、個人として望みを見出す過程が描かれた物語だった。彼以外にも多数の人物の夢が現れ、遠回りをしながら長大なボリュームの物語は進行する。登場人物の多さから描写の不足を感じる面も否めないが、シリーズとセガが培ってきた複数のゲームジャンルを主人公・都市ごとに配置した本作だけの試みなど、スケールの大きさはシリーズ中最大といっていい。
一方で本作はシリーズ内でも暗い印象を感じさせる。現実と同様に時間の流れがある「龍が如く」において、桐生の老い、遥の成長、そして二人の別離といった避けられない部分が本作で描かれた。それは桐生一馬が最後に主人公を務めた次作『龍が如く6 命の詩。』にも引き継がれるテーマでもある。
『龍が如く5 夢、叶えし者』はシリーズが一つの終わりへ向かいつつあることを告げるきっかけであり、これまでの「龍が如く」を象徴する大花火のようなゲームだ。
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