祖父祖母の人生はドラマチック2
終戦後一年ほどたってから祖父は戦地である朝鮮半島から
帰ってきた。
その足で木の下に埋められた油紙に包まれた祖母の手紙を
見つけ、祖母の疎開した町までたどり着いた。
身ぐるみボロボロの状態で祖母の前に現れた。
そこから祖父祖母の極貧戦後生活が始まり「芋のつる」まで
食べて空腹を満たした。次の日の替えの下着が無いほど貧しか
ったと祖母が言っていた。
このままでは乳飲み子の父を含め飢え死にしてしまうと、祖母が
漁師町の出身であったという事もあり、その町まで週十キロ自転車で
通い魚などを仕入れたと聞いた。
当時は発砲スチロールなどもなく木で作ったトラ箱に魚を仕入れ売り
捌いた。時にはトラ箱が祖父の背丈以上も自転車に積んだという
事もあり、自転車が止まればウイリーよろしく後ろにひっくり返った。
しかし、次第に魚を捌くだけでは生活するにも苦しくなり、明治の職人さんを雇入れ和食の店へと変えていった。
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