【小説】パンタレイ (remake)
花は散る。川は流れる。
ものは灰になり、すべては朽ちていく。
陽光が庭園の花々に燦燦と降り注いでいた。丁寧に磨かれた窓ガラスに手を触れ、活き活きと元の色を主張する花弁を眺める。ロビーに置かれた黒革のソファは、座り心地が良すぎて思ったより身体に合わない。
「もう少しらしいから、荷物まとめときな」
「あ、はい」
叔母の声にそそくさと立ち上がって控室に戻る。久々に会った親類縁者たちの、なんともいえない砕けた空気がその場を占めていた。和気あいあいとするには気が引けるが、重い空気を留め続けるには1時間半という時間は長すぎたのだろう。
安物の黒いスクールバッグに、机の上のおにぎりと菓子類をいくつか詰めておく。貰っておいて損はない。染み付いた貧乏性はどこでだって健在だった。
祖父は今、柩の中で燃えている。
今頃はきっとかつての姿は見る影もなく、いくつかの骨と灰になっているのだろう。炎はすべてを物質にする。誰にどんな事情があろうと物理法則に従ってすべてを燃やして、数日前まで自律的に動いていたものの物質性を突きつける。
「えーと数珠数珠、ユウちゃん数珠持った?」
「あります」
それが供養とされるのならば、炎が人のかたちを変えることが弔いならば、両親はちゃんと天へ昇ったのだろうか。骨組みさえ残ることなく崩れ落ちた生家が棺ならば、いったい誰の祈りを受けながら燃えていったのだろうか。あの夜、舞う火の粉を受けるような距離で呆然と繰り返し続けた言葉は、果たして彼らへの読経になるだろうか。順番を誤った弔いに、何の意味が残るのだろうか。
すべてはいなくなる。どんな命もいずれ失われ、跡形もなく消える。
同居していたといえども祖父との思い出は少ない。祖父はいつも自分を遠巻きに見ていたような覚えがある。物理的にも、比喩表現としても、自分と祖父がきちんと正面から向き合ったことがあったかすら思い出せない。だから今日のような日に思い返すのは故人との日々ではなく、自分の中にある葬儀の前例だった。
場の片付けが始まった控室の隅で、またあの言葉を口にする。誰にも聞こえないような小さな声で、記憶を焼き付けるように言葉を紡ぐ。これを唱えると落ち着くのだ。失望と諦念と自己嫌悪の感情を対価に、発生源の見つからない不安と焦りが収まる。
その言葉を唱えるたびに向けられる、祖父の気味が悪そうな視線ばかり覚えている。その眼球さえも今や灰になってしまった。影も形も失った。得られる嫌悪が一人分だけ減った。
収骨室に向かおうと控室を去る祖母の黒い背が、驚くほど小さく丸まっている。
記憶の隅で火花が散っている。炎の中へ消えていく父の背に手を伸ばす。小さすぎる手が空を切る。現状を理解できない幼さを、行かないでと言えない強欲さを、抱きかかえられた隣人の腕の中で持て余していた。
祖父はまだ、それなりに生きただけましだ。
そう思ってしまう自分がいる。死に良いも悪いもなく、病も火事も等しく人の死なはずなのに。死は誰にだっていずれ訪れる出来事の一つでしかないし、燃えれば誰の姿もほとんど同じになるのに。
────『今からママ起こしに行くから、お前はここで待っててな』
今日もまた誰も救えないことばに縋って、不特定多数を救うことばを聞き流して。記憶に滲む声を反芻して、ただこの感情が雪がれるのを待っている。
すべてが変わってゆくのならば、この罪は何処へ行くのだろうか。
人だったものをたった一つの壺へ収めるために、他の親族に続いて控室を出た。