【エッセイ】自己紹介という宿題(中学生編)
挨拶
ご機嫌よう、読者諸君。自己紹介が小学生編で止まっている。幕間で観客を5日間待たせているのだ。本当に舞台なら苦情の嵐が鳴り止まない。侮蔑の刃を浴びながら、それでも後編へ入ろう。さぁ、評判の奈落落とし公演が始まる。
中学生の私である
中学生時代。あまりにも浮き沈みの激しい3年間であった。喩えるなら、入学時に成層圏からのスカイダイビング。しかし、落下地点に巨大なトランポリン。跳ね上がって上昇気流と一体化。勢い余って大気圏を突破して卒業。である。我が中学生時代のなんと忙しないことだろう。
始まり
私の中学生時代は転居から始まる。小学校卒業と同時に引っ越し、東京から千葉へ移り住んだ。近場ではあるが、それまでの友達はいなくなった。
小学生3年から始めたサッカーは、新たに埼玉のクラブチームに所属して続けることになった。セレクションに合格して、何とか入ることができた。
新学期、私は全く新しい場所で、新しい人間関係を構築していくことになる。部活外でサッカーという肩書きは便利だった。周りからは一目置かれる存在となる。
独りぼっち
だが、蓋を開けてみればどうであろう。体力テストの結果は並み以下。勉強も不出来。周りの目は徐々に失望に変わっていった。クラスでは全く喋らない存在として、空気のように扱われる日々。
学校に通っても下校まで誰とも喋らない。そんな時間を約1年間ずっと過ごしたのだ。
あからさまないじめを受けたわけではないが、孤立無援の独りぼっちはなんと切ないことか。下ばかり見すぎて、首が痛かったことを覚えている。
一番辛かったのは、体力がなかったことである。何故か、常日頃から息切れが激しかった。持久走は毎回、最下位。ジョギングすらも困難だったのだ。冬は体育の授業が持久走になる。中学1年の冬は、正に一筋縄では凌げない、厳しい冬であった。
外部でサッカーをしているのに、帰宅部や文化部よりも持久走が遅い。能書きを垂れてばかりいる雑魚だと陰で笑われていた。
笑われて馬鹿にされていたのは知っていた。それでも学校を休む事はなかった。くだらないプライドが、辛うじて己の足を動かしていた。
しかし、やはり忍耐の限界は来る。1年生を終えたら、1度区切りを付けて、学校もクラブも休もうと思った。そうして3月。春になって転機が訪れた。
転機
「──なんでそんなに氷食べるの? 別に美味しくないでしょ」
母に言われた。私は小学6年生頃から無類の氷好きだった。暇さえあれば、冷蔵庫で製氷された氷を取り出して、むしゃむしゃと食べていた。
氷食症と言われる症状であった。これは貧血持ちの人に良く現れる症状であるらしい。それに気がついた親は、私に病院での検査を薦めた。
結果、鉄欠乏性貧血という病気だったのである。採血で取ったヘモグロビン値が2であった。通常は14以上あるらしい。
すぐさま入院し、胃カメラを飲んだり、大腿骨に太い注射を打ったりしながら、しばらくは安静にしていた。医者にはこう言われた。
「あなたは今までエベレストの頂上でサッカーをしていたようなものです」
登ったことはないから分からないが、災難である。しかし、大病でなくて良かった。学校で何をする気も起きず、運動も思うようにできなかった原因が改善されたのだ。私は希望を持って、再び学生生活をスタートした。
これが中学2年の4月である。一ヶ月ほど入院生活をしていたのだ。
出会い
学校に戻ると、クラス替えが行われていた。新たなクラスである。最初は緊張で吐きそうだった。また去年のようになったらどうしようと。
私の中学校は5月に体育祭がある。そのため、新学期始まってすぐに準備がスタートした。退院したばかりの私は、もちろん見学である。同じクラスにもう一人、骨折して見学している陸上部の男がいた。
「暇だな。二人で遊んでようぜ」
中学生になって初めて友達ができた瞬間であった。彼とは、その時から10年経った今でも、2人で旅行する仲である。あの時、彼がいなければ、どれだけ心細い日々を送ったことだろうか。今でも感謝している。
そこから私は徐々に回復し、所属するサッカーチームにも戻ることになった。ようやくスタートラインに立った気がした。
逆転劇
すると、どうだろう。日を追い、本調子を戻すに連れ、自らの体力が飛躍的に向上しているのが分かる。そういえば、医者は言っていた。
「──あなたは今までエベレストの頂上でサッカーをしていたようなものです」
つまり、最大級にキツい高山トレーニングを毎日していたことになるのだ。どうりで体力が上がる訳である。縮んだバネが大きく跳ね上がる瞬間を人生で初めて体感した。
中学2年の冬、私はクラブチームで2番目に持久走が早い人間になった。中学校では駅伝の選手に選ばれた。1年前を考えれば、あまりにも劇的な変化であった。
多くの友達ができた。クラスの人とも面と向かって喋れるようになった。もう首は痛くない。しっかりと前を向いた生活。中学に行くことが楽しくなった。
中学3年は、サッカーと勉強に奮闘した。サッカーは、病気でかなり遅れを取っていたこともあり、レギュラーにはなれなかったが、仲間と汗をかく日々は素晴らしかった。
勉強は、目標としていた高校に進学することができた。もともと頭は良くないうえに、サッカーとの両立は面倒だったが、中一の頃に比べたらマシだと思えた。
そうして、私は中学を卒業する。卒業式では涙を流すほど、3年間に思い出が詰まっていた。
終わりに
───次は高校生編である。また浮き沈みが激しい。読者諸君も付いてきてくれたまえ。それではまた。