【エッセイ】あなたは扉を開けてください
2週間ぶりだ、読者諸君。先週は旅行で大分を練りに練り歩いていた。練り歩き過ぎた結果、物書きとしての時間を失った。ご容赦ねがう。
しかし、名物の地獄巡りは良かったぞ。別府の湯気は身も心も温める。湯布院も山中の温泉街として風情があった。この素晴らしき大分旅行は、近いうちにエッセイで披露しよう。
旅行を経て、私はひと回りもふた回りもお腹だけ大きくなった。人間としては何も変わらない。蓄えた脂肪を落とすべく、現在は質素な生活を心がけている。辛く厳しい現実が私を襲う。
大分の幻想にいつまでも浸っていたい。働いてお金が貯まれば、再びあの湯けむりを浴びに行くだろう。旅愁に耽る幸せを渇望する私だ。
さて、話は変わるが、読者諸君は性格診断テストというものを知っているだろうか。経験がある人もいるかもしれない。端的に言えば、いくつかの簡単な質問に答え、その結果から性格を診断してもらうテストのことだ。
これほど簡易的な作業で自分の性格が知れてたまるか。と、思ったのだが意外と的を射てたりする。面白いので読者諸君もやってみるといい。
先日、会社の研修でこのテストをやらされた。
ちなみに私の結果は、人との結び付きを大切にする、同情心に厚いタイプだった。愛情豊かで親切という長所があるらしい。ふ、性格診断テストとやらよ、わかっているではないか。私はそんじょそこらの淡白な有象無象より数倍優しいのだ。しかし、短所の欄に押し付けがましくて高飛車と書いてあった。このテストを買い被り過ぎたようだ。
診断結果を会社の同期と共有することにした。こういうのは他人の結果も気になるものだ。あわよくば、私の方が良い人間性を持っているのだと、マウントを取りたい。
「メガネ君、性格診断の結果はどうだったろうか?」
「私はね、行動より観察を大事にして、何事もまず頭での理解を重要視するタイプだったよ」
メガネ君は、私と同じ部署で働く同期の一人だ。冷静沈着、沈思黙考。無駄な話は一切せず、必要最低限のリアクションで生きる男。その代わり、織りなす言葉は一級品。それがメガネ君なのだ。
「なるほど。長所はどんなものがあった?」
「冷静さと思慮深さがあるってさ。当たってたりするのかな」
「ほう、そうだな。当たっていると思われる。どれどれ。お、短所は無感動なところと書いてあるな」
「いやぁ、そんな事は……」
「当たっていると思われる」
かくして、メガネ君の性格を揶揄する事に成功した。日頃、女性も含め周りからの寵愛を甚だしく受けているメガネ君へ、森羅万象の軽蔑に苛まれている私からの些細な反撃だ。
「ちなみに私は、親切で共感と同情に強いタイプだったぞ」
「素敵だね。正に当てはまってるじゃないか」
彼の返答を聞いて、なぜか人間として負けている気がしたが、それは気のせいだろう。
さて、そんなメガネ君と映画を見に行った。「すずめの戸締まり」という新海誠の最新作だ。話題になっているので読者諸君も知っているだろう。仕事を定時で終わらせ、二子玉川の映画館へニ人で飛び込む事にしたのだ。
「いやはやメガネ君。平日も意外と余裕を持って映画館に来れるものなのだな」
「うん、仕事早く終わって良かったね。少しはしゃいでポップコーンまで買っちゃったよ」
「社会人にもなって随分とわんぱくだな」
「そっちこそ同じもの買ってるじゃないか」
「お腹が空いてたのだから仕方ない。しかし、なかなかの量だな。これでMサイズか。メガネ君は確か少食だったろう。食べ切れるのか」
「多分、食べれるはず」
「自信なさそうだな」
映画館は満席だった。木曜の午後19時頃。明日も平日である事を考えると、やはり人気の映画だと思わされる。事前にチケットを取っておいてよかった。
すずめの戸締まりは良い映画だった。
まず絵が素晴らしい。新海誠の映画は、軒並み絵が綺麗だが、今回も評判通りの力を発揮していた。今作は、絵の美しさが物語の内容をより鮮明に伝えるためのメッセージとなっていた。少なからず私にはそう見えた。
少しネタバレになるが、'戸締まり'というのは、気持ちのうえで死者と決別する事を意味していた。心残り、後悔、懺悔、悲しみ。そういった捨てきれぬ思いに別れを告げ、鍵を閉める。人はまた希望を抱いて生きていく。死者の世界にもきっと光はある。先立った方、残された方、お互いに前を向くべきなのだ。だから、両者の媒介となる扉の戸締りをする。なるほど、感動と希望をくれる映画であった。
感想はこの程度にしておこう。もし詳しく知りたい読者諸君がいれば、劇場へ急いでくれたまえ。ヒロインの鈴芽が諸君らを待っている。
映画のラストシーン。不覚にも泣きそうになった。しかし、紳士たるもの、人前では泣くべきではないと考えているため、涙は堪えた。隣のカップルはしくしく二人で泣き合っていた。私はそれを見て泣きそうになった。
ふと、もう一方の隣を見た。メガネ君は、泣くどころかいつもの仏頂面で大画面を眺めていた。無表情でポップコーンをバリバリと口に放り込んでいた。
バリバリバリ……
「──メガネ君! 今、1番良いとこだ!」
バリバリバリバリ……
「──少なくともポップコーンをそんなにたくさん口に放り込むタイミングではない!」
一瞬、物語の音楽が消えた。映画が圧倒的な絵とセリフだけで鑑賞者にメッセージを伝える。心に訴えている。メガネ君はハッとしたように、ゆっくり丁寧にポップコーンを口に運び出す。音が立たないように細心の注意を払っていた。
パク、パク、パク、、、
「──そういう事じゃない! メガネ君、あなたに感動は無いのか。一度その手を止めてはどうだろうか。今までそんな早いペースで食べていなかったのにどうしたのだ。まさか、映画が終盤に差し掛かった事を察して、残ったポップコーンを早く片付ける事に執心しているのか。感動のラストを、映画がもうすぐ終わる事を伝えるためのチェックポイントとしか捉えていないのか。なんて男だ、メガネ君。その手を、その手を少し止めて映画に集中してみてはどうだろう!」
再び物語に音楽が戻る。メガネ君の咀嚼音は大音量に紛れていく。まさにこの時を待っていたかのごとく、メガネ君の食は進む。
バクバクバクバクバクバクバクバクバク……
「──こいつ感情がないのか?」
映画は終幕を迎える。エンドロールも終わり、館内は明るくなる。私の方を見たメガネ君が一言。
「面白かったですな」
「──本当か!?」
性格診断テストを思い出した。メガネ君の短所は無感動だった。やはりあれは意外と的をいてるかもしれない。
「戸の鍵を閉めるシーン、格好良かったね。私もやってみたいと思ってしまった」
「それは別にいいが、ぜひ君はまず自分の心の扉を開いた方がいいぞ」
「どういうこと?」
「そういうとこ」
ちなみに私の短所は'押し付けがましい'だった。物語の見方なんて各々の自由なのだ。あまり気にする事ではなかったのかもしれない。そう考えると我々の短所が実に目立った映画鑑賞だった。
しかし、これもまた一興かな。メガネ君とはまた映画に行きたい。以上、最近の出来事である。
それでは読者諸君、また次の機会まで。寒い冬を共に頑張ろう。