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ユーイング肉腫という病 序
平成30年3月のある日、我が家に2人の女の子が生まれました。
しかし父となった僕は、心のどこかで素直に喜べない自分に気づいていました。そしてそれを押し殺そうとする自分に。もちろん生まれた双子の女の子に問題があるのではありません。家族にもない。問題を抱えていたのは僕です。
東京から遠く離れた、大きくもなく小さくもない地方都市に僕は暮らしています。2010年に京都の大学を出て、私立高校の教師として働くと決めた僕は、10年くらいは各地の高校で非常勤講師でもしながら日本を渡り歩くつもりでした。
教師を選んだのは、社会とバレーボールが大好きであり、大人になってまでその両立をしたいと思ったためです。要するに思考回路が幼いのです。どちらも大学までそれなりに努力したもので、せっかくだからそれを活かしたいと安易に考えていただけでした。
しかし、結局僕の旅は僅か2校で終わります。2つ目の高校は、実家のあるS市のすぐ近くのU市にありました。ここで教師をしているうちにあっという間に5年が過ぎ、地元の人と結婚、そして2人の娘が誕生しました。もちろんそれは自分自身の選択で、全く後悔はありません。結婚や出産は私にとって一大事ですが、それは決して僕を苦しめるものではありません。むしろ当然ですが喜ばしいものです。妻からも娘からも、僕はずっと大きなエネルギーをもらっています。娘の誕生を素直に喜べない原因は、僕の個人的な欠陥、自分の病でした。
そもそも僕は自分のことを語ることが好きではありません。まして嬉しいことは喋っても、苦しいこと、辛いことについては、基本的に他人にはあまり喋ったことがありません。そんな僕が、自分の葛藤も含めて自分のことを文章にして披露しようと思った訳は、何より死期が近いからに他ならなくて、さらに言えば最期の時を前に自分の生きた証をわずかでも誰かに語りたいという弱い心のあらわれです。
ただ、この拙くて、無機質な文章を、自分の娘がいつか目にする可能性を思うと幾分か躊躇はあるのですが。
僕の病が非常に珍しい病気であることも重要な動機の一つです。ユーイング肉腫という悪性腫瘍がどのようなものかについては章を改めますが、インターネット上にもユーイング肉腫患者の声など、ほとんどありません。この病気にかかった人が、どのような治療を受けて、何を感じ、何を思い、どんな決断を迫られるのかを、同病の方、そして家族に知ってもらうことはそれなりに意味のあることだと信じています。もちろん病状には個人差があるのですが、記録に残すことで、もしかしたら同病者を励ますのかもしれないと思うのです。もちろん僕の望むのと反対の効果も考えられますが、できるだけ自分の感じたまま、経験したままを書こうと思います。
断っておきますが、この文章は記録として描きます。多くの人にとって退屈な読み物でしょう。そもそも、先にも述べた通り自分の気持ちについて語ることは苦手ですし、多くの人にとっては、それは意味のないものだとすら思っています。ですが、誰かの目にとまりその人の心にプラスの効果が生まれるのを信じて、また、医療に携わる人にも自分のように感じるものもいるということを知っていただく機会として、さらに言えば、幼く、過度に神経質な僕にとって、この文章を書くこと自体が癒しになることを信じて、勇気を持って自分の人生を晒します。
この記録のテーマは「教師」、「病」、「死」。絶望もなく希望もない。34年の人生の後半生を綴ります。