見出し画像

20240901学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第32章-2 第3インタナショナル設立のよびかけ

20240901
[第3インタナショナルのよびかけ]

 ベルンの社会主義者会議開催の直前の1919年1月24日は、パリで講和会議(1919年1月18日から1920年1月21日)が開かれていた時である。この日、モスクワでは、インタナショナル設立のための世界大会開催をよびかける会議が開かれた。この会議に参加したのは、ロシア、ポーランド、ハンガリア、ドイツ、オーストリア、レットランド、フィンランドの党、バルカン革命的社会主義連盟の8つのマルクス主義政党の代表者、アメリカ社会主義労働党の非公式代表者1名(ラインスティン)であった。会議では、ロシア共産党の名前で「よびかけ」を発した。この「よびかけ」の招請状は、世界中の39の左翼政党、労働組合、そのほかの団体に送られた。
 「よびかけ」は、「原則と実践に関する基本綱領」とも言うべきものであった。その内容は「ドイツのスパルタクス団の綱領とロシア共産党(ボリシェヴィキ)の綱領に一致して」起草された。内容は、「革命によって権力を獲得し、プロレタリアート独裁を確立し、ブルジョアジーを武装解除してプロレタリアートを武装させ、生産手段の私的所有を廃止してそれをプロレタリア国家の手に移せ」というものであった。また、右翼、中間派の役割の性格をマルクス主義的に描き出し、「共産主義インタナショナルという名称の新しい世界組織を樹立しよう」とよびかけた。

 この時期というのは、歴史的な「よびかけ」に最も相応しい時期であった。ロシアの労働者農民は、ソヴェト政府の権力を後ろ盾に、残虐な国内の反革命軍と帝国主義的連合軍による武力干渉に抵抗して、政治的存亡をかけた死に物狂いの闘争をしていた時期である。あの恐ろしい世界大戦が終わり、革命の波はドイツ、オーストリア、ハンガリア、イタリア、バルカン諸国で沸き返った。イギリスやフランスなどでは大きなストライキが起こり、アメリカでも同様であった。
 共産主義インタナショナルがまさに生まれようとしていた。これは、マルクス、エンゲルス以来の長い間の、大衆の左傾化の進展が実を結んだものである。1903年にロシア国内にボリシェヴィキが誕生したこと、メンシェヴィキ修正主義者やカウツキー派中央主義者に対してロシアと第2インタナショナルの内部で戦ったこと、左翼のツィンメルワルド運動の中で激しい反戦のたたかいをやめたこと、そして、ロシア革命が偉大な勝利を収めたこと、さらにドイツその他の諸国で革命的闘争が行われたこと、そうしたことが直接的な背景である。
 この革命運動を理論的にも実践的にも指導し、全体的に発展させた指導者は、偉大なレーニンであった。

[モスクワ大会]

 共産主義インタナショナルの設立大会は、1919年3月2日から6日にかけて開かれた。19の政党と団体が代表を送った。ほかに、数人の代議員が敵対的な政府の手で逮捕された。
 代議員とその票の数は以下のようなものであった。
アメリカ共産党 1
オーストリア共産党 3
エストニア共産党 1
フィンランド共産党 3
ドイツ共産党 5
ハンガリア共産党 3
レットランド共産党 1
リトアニア共産党 1
ポーランド共産党 3
ロシア共産党 5
ウクライナ共産党 3
ノールウェイ社会民主労働党 3
スウェーデン左翼社会党 3
バルカン革命的社会主義同盟 3
ロシア内のドイツ植民地共産党 1
ロシア東方諸民族 1
左翼ツィンメルワルド派 5
スイス社会民主党(非公式) 5
 このほか、ポーランド、ユーゴスラヴィア、朝鮮、ペルシア、スイス、トルキスタン、トルコ、アメリカ合衆国、アゼルバイジャン、ブルガリア、中国、チェコスロヴァキア、フランス、ジョルジア、イギリスから、個人的なオブザーバーが出席した。
 会議の議事日程は次のようなものであった。
(1) 諸報告の提出
(2) 共産主義インタナショナルの綱領
(3) ブルジョア民主主義とプロレタリア独裁
(4) 社会主義諸政党とベルン大会に対する態度
(5) 国際情勢と連合国の政策
(6) 委員選挙と組織
であった。

 レーニンによる開会の言葉
「ロシア共産党中央委員会の委嘱により、ここに第1回国際共産主義者の大会を開催する。まず初めに、第3インタナショナルの最も優れた代表者、カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルグを追憶して敬意を表するため、出席者全員の起立を願います。
(全員起立)
 同志諸君! われわれの会議は、大きな世界史的意義を持っている。この会議は、ブルジョア民主主義のあらゆる幻想の崩壊を証明している。ロシアだけではなく、ヨーロッパの最も発展した資本主義国は、例えばドイツのようなところでも、国内戦はまさに事実となっているではないか。
 ブルジョアジーは、プロレタリアートのますます成長する革命運動を前にして、度はずれの恐怖を味わっている。帝国主義戦争後の諸事件の成り行きが、プロレタリアートの革命運動を不可避的に助けており、国際的・世界的な革命があらゆる国で始まり、強まっていることを注意に入れるなら、この点ははっきりしてくるであろう。
 民衆は、現在高潮しつつある闘争の偉大さと意義を意識している。必要なのは、プロレタリアートの支配を実現する可能性を彼らに与えるような、実践的形態を見いだすだけのことである。プロレタリア独裁を伴うソヴェト体制が、そうした形態である。プロレタリアートの独裁! ——この言葉は、今日まで、大衆にとってはラテン語であった。ソヴェトの体制が全世界に広まったおかげで、このラテン語は、あらゆる現代語に翻訳されている。独裁の実践的形態が、労働者大衆によって見いだされている。ロシアのソヴェト権力、ドイツのスパルタクス団、その他諸国のこれに似た諸組織、例えばイギリスの”Shop Stewards Committee ”(工場委員会)のおかげで、独裁のこの実践的形態は、広範な労働者大衆にわかりやすいものとなった。全てこうしたことは、プロレタリア独裁の革命的形態がもう見いだされているということ、プロレタリアートは今では自分の支配権を実際に行使することができることを証明している。
 同志諸君! ロシアの諸事件、ドイツの1月闘争が見られたあとであるから、他の国々でも、プロレタリアートの運動の最も新しい形態が芽を吹き、支配的になりつつあることに注目するのは、特に大事なことだと私は考える。例えば、今日私は、ある反社会主義新聞の中で次のような外電を読んだ。イギリス政府は、バーミンガム労働者代表ソヴェトを認可し、ソヴェトを経済団体として認める用意のあることを言明したというのである。ソヴェト体制は、遅れたロシアだけでなく、ヨーロッパの最も発展した国であるドイツでも、また最も古い資本主義国であるイギリスでも、勝利したのだ。
 ブルジョアジーがなおも暴威をふるおうとしても、幾千の労働者を殺そうとも、——勝利はわれわれのものである。世界共産主義革命の勝利は保障されている。」

いいなと思ったら応援しよう!