「純な心」と「かくあるべし」
5月も終わり、今年も半分が過ぎてしまいました。
新型コロナに関しては、一向に収束の気配がなく、去年よりもひどくなっている感じがします。
経済は不安定、先行きが見えない不安の中、5月独特の気候の変化、みなさん、体調等は崩されていませんか?
という自分は、最近の無理がこたえて、少し弱り気味です…涙。
やることが多くなる、不安なことが増える、気候も不安定、そういう状態で体調が優れない。これはいたって自然で、普通のことなのかもしれませんね。臨機応変に目の前にことに対応して、気持ちが乗らないときは「ゆっくり休む」これに限ります。
さて、今日は「純な心」と「かくあるべし」のお話です。
森田療法を語るうえで、欠かせないこの二つの言葉。わかりやすく言うと、
「Don't think,feel」ということでしょうか笑。
自分も含め、神経症の方は、物事を「かくあるべし(観念)」だけで解決しようとしまいがちです。ただし、観念は「自分の頭で作り上げてしまったもの、自分で作ってしまったルール」ですので、これだけで実際の問題を解決するのは「不自然で、不可能」なこと。そう、私たちは自分で考えて作り上げた「かくあるべし(観念)」だけで、この「不自然で、不可能」なことをやろうとして、神経症のからくりにはまってしまった。
だから、「かくあるべし(観念)」だけで物事を解決するのは、無理ということなのですね。
ただし、人生を送るうえでこの「かくあるべし(観念)」は大切で必要なことでもあります。決して悪者ではありません。
なら、どうしたらいいの?となりますが、そこで大切になるのが「純な心」です。
正確にいうと「純な心」と「かくあるべし(観念)」のバランスをうまく保つこと。
「純な心」とは、「きれいな心」とか「清純なこころ」という意味ではありません。
「頭より先に心にわいた気持ち」とでもいいましょうか。よく「初一念」という言葉で表されます。
我々の指標となるのが、理性、価値判断を離れたこの「純な心」なのでしょう。いわゆる「feel」ですね笑。
「純な心」「かくあるべし」を最近の自分の気持ちで例えてみたいと思います。
実は昨今のコロナ影響で自分が働いている会社も大打撃を受けています。最近は将来が不安(「純な心」)になり、転職活動を始めてみました。
ただし、この転職活動が想定していたよりとても大変で、つらい(「純な心」)…。思うようにいかずに頑張れない。いや、そんなこと考えないで、しっかり頑張らないといけない(「かくあるべし(観念)」)。だから今の仕事の合間を見て、しっかり頑張るんだ(「かくあるべし(観念)」)。でも、うまくいかない、身体もしんどい、つらい(「純な心」)…。
今日は休みだから、しっかり勉強して、転職の武器になる実のあることをしなければ(「かくあるべし(観念)」)、でも眠い、しんどいから今日はゆっくり休もう(「純な心」)←今ここです笑。
「純な心」、「かくあるべし(観念)」のバランスをしっかり保って、自分のやりたいことが可能な限りできる人生になるといいですね。
こんなことを考えながら、投稿していますので、自分の「森田療法」もまだまだです。
でも、やっぱりしんどい時はゆっくり休みましょうね。
お付き合いいただき、ありがとうございました。