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悪夢

 最近の自分が何をしているのか、それが分からなくなるタイミングがある。公演まであと2週間。それは稽古場に行けば嫌なほど見えてくる。悪夢で見る当日の公演は思いの外成功していた。しかし、今回の公演場所は演劇をするようなところではない。いまだに夢と現実の擦り合わせができない。しかし、それでも毎日のように稽古をしていると公演日よりも先のこともぼんやりと見えてくるようになる。それは自分自身のことよりも周りの人たちのこと。これからの団体がどのように運営されていくのか、作品の印象はどれほど変わるのか、大学内でも健全に稽古ができるようになるのか。

 公演の話になると去年の学祭の話をする機会が何度かある。”去年は大変だったよなぁ〜”。大変なんてものじゃない。到底表現なんてできる環境じゃなかった。製作を重ねる度、毎回、前回よりも大変になるのだが、あの時ほどの地獄はもうやってこないと思う。思いたい。
 どうしても、その時のことを思い出すと頭が重く怒りに満たされて回らなくなってくるのがわかる。何か一つ行動を起こす度に内外から十の反発が起こる。稽古場を借りようとすれば、向こうの手違いで稽古場が取れないだけでなく、”団体があるのにハコすら取れないってどうなってんの”と非難された挙句吊るし上げられ、優しい顔をした人に”だから演劇なんてこの学校ではやるべきじゃないって言ったのに”と諭される。そのループ、繰り返し、どんどん強くなってくる。
 終わったから、とりあえず公演はやりきったから。そう手は叩いてもそれから先に進む力も明日のことを考えることもできなくなるほどだった。
 おそらく、今もっと詳細に思い出したらまた先が見えなくなりそうなのだこの辺りまで。そうやって目を覚まして朝が来る。考え事をしたまま眠った日の夢はこんな感じ。日に日に夢は鮮明になってきて突発的に起きた時間はAM2時。これで本当にこれから先の僕はやっていけるのだろうか。文字と向き合う日々の果てに何があるのか、その時の僕がどこにいるのか。それだけは全く分からない。

 最近、自分がどこに立っているのか分からなくなります。集団の中でどの立場にいるのか、ちゃんと足を踏んで歩けているのか。浮ついた足は僕の居場所はここにはないと言っているようですが、演出中に見える鏡にはペンとノートを持った僕がいます。そこで何をしている。本当に作品を作り込もうと、発展させようと演出しているのか。ただ、俳優たちの上手くいっていないところにアドバイスしているだけじゃないのか。今回もまた作ってはい終わりになるんじゃないかと、僕は僕を責めてみますが、どうにかなるわけではなさそうです。
 あまりにも分かっていないことが多すぎる。しかも自分のことが全く分かっていない。僕が本当にやりたいことは何なのか、今していることは本当にやりたいことなのか、今の向けて過去の僕がしてきた選択に責任を持てているのか。今日の僕に向けて希望を持てているのか。ちゃんと自分を信じることができているのか。
 そんな疑問ばかり増えてくる。また1年後くらいには思い出しているのかな。僕は自分がしたことにちゃんと誇りを持てているのかな。ねぇ、そう思うんだけど。

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