ヒロ海
多分、今は途中。スタート地点もゴール地点もボヤッと見えるけれど、今いるのはその途中のどこか。まだ少し、ゴールに近いと思う。 文章を書くにあたって、何かを始める時やそれが一段落ついた時、タスクが終わった時とかにそれらを振り返りながら文章を書きます。だけど、今はその途中なのでろくな文章書けないだろうなとか思いながらも、書く訓練は多少なりともしておかないと、と思いまして今パソコンを打っています。 一時期に比べると頻度はかなり減りましたが、誰にも見られないところで日記を書いたり
本日、無事に学祭公演を終えることができました。毎度毎度、”無事に”という言葉を僕は意識的に使うのですが、今回の製作もまた様々な危険に晒されながらの活動になったので”無事に”終えることができて、本当に良かったと思います ・公演に関して どれだけ稽古場で作り込んだものがあっても、本番の魔物はやはり存在することを今回改めて知らされる結果となりました。学祭公演という周りも落ち着かぬ環境の中で俳優たちはもちろん、観客も中々落ち着けない中での公演でした。 予想を上回る当日券発行に
公演当日です。公演日が近づくにつれて睡眠時間は顕著に短くなり、疲れているはずなのに目が覚めてしまう、寝ようとしても眠れない。感覚的では今日はぐっすり眠れた方だと思います 一から自分から脚本を作り、演出をして作った作品は今回が初めての様な気がします。故にいつも以上に演出中は手が震えていたのを今でもしっかりと覚えています。上手くいかないと脚本が間違っているんじゃないか、もっといい表現が他にあるのじゃないのか、この役者に掛ける言葉はこれではないのじゃないか、などなど。表には出
Xで"No risk No story"という文字を見てなんとなくカッケーなと思いながらも僕は元来、どこか分からない場所から物語に対して苦手意識があります。今思いつくものでいえば、同じような設定の同じような展開ばかりする連ドラに辟易した学生時代があるのかなと思います。それに加えて、昔のそれが良かったならそれを模倣したこれも良い作品でしょう、誰も言っていないけれどそんなことを思ってしまいテレビから離れました。 あとはそんなことない、そんな展開になるはずがないのに主人公マジッ
最近の自分が何をしているのか、それが分からなくなるタイミングがある。公演まであと2週間。それは稽古場に行けば嫌なほど見えてくる。悪夢で見る当日の公演は思いの外成功していた。しかし、今回の公演場所は演劇をするようなところではない。いまだに夢と現実の擦り合わせができない。しかし、それでも毎日のように稽古をしていると公演日よりも先のこともぼんやりと見えてくるようになる。それは自分自身のことよりも周りの人たちのこと。これからの団体がどのように運営されていくのか、作品の印象はどれほど
20歳の冬、真面目な表情をした母に就職について話そうとテーブルに座らされた。演劇を続けるというと母は「演劇は仕事じゃない」と言う。高校卒業の際に進学や就職の道ではなく、フリーターとして演劇を続ける道を応援してくれた母だが、この2年一度も舞台に立つことのなかった俺に痺れを切らしたのだろう。俺とは違い大学で演劇をしていた兄さんのことを聞くと、母は兄の苦労話を始めた。 兄は大学卒業してからも自分の好きな演劇を続けたいと息巻いていたが、資金難により、演劇を作るどころか生活すらままな
深夜2時にコンビニへと出かけると部屋の中よりも外の方が涼しいことに気付く。半袖なのが心許ない。家から少し離れたコンビニまで”木綿のハンカチーフ”を聴きながら歩く。風が吹くと受験期の寒さと孤独がやってくる。時期として考えれば僕は今まさにあの時と同じだ。 日に日に頭の中がうるさくなってくる。外部の情報がうるさくて複数のタスクがないと行動を起こせない。珍しく家事なんかをしてみると少しだけ生活にリズム感が生まれてくるのだけれど、散らかった部屋を片すよりもやることがあるだろうと誰か
改めて大学の講義に出席してみると普段の自分が一人部屋にこもっているよりも簡潔でその場に適切な情報が来ているのだなと思う。分かってはいるが無我夢中にあれこれ調べたり歯止めも知らずに闇雲になっているよりかはいいだろう。 しかし、どれだけ集中を注ごうにも講義中に必ずと言っていいほど横槍は入る。専門科目ばかりの学部だから仕方のない部分はあるのだろうが、自由な発想を生むこととやりたいことだけをやるために空間を無法にすることの分別が付いていないのだろうと感じる。僕には馬鹿に見える。自
ここにいる間、もう少しだけは我慢の期間かなと思うんです そうは言ったものの結局この数ヶ月の間でしていたのは我慢なんて忍耐的なものでなく、自分の中の脆いものを守るだけだったように思います。それは少し先の未来に賭けた夢であったり、稀有な経験から得た知見やそれを昇華させるための僕の今までに蓄積したもの。 高校時代によく言われた”消費的”というものがどういうものか、どういった行為が消費的だと言われるのかは未だ分かっていないが、感覚として僕は消費されていっていることだけは分かります。
10代のうちにやりたかったこと、もっとやれたことが沢山あったんじゃないかと、故郷に帰った時にだけ出てくる自分の弱い部分の影を見ると、そんなことを考える。 まだ弱い自分がいても赦せて、失敗を悔やんで、毎日がこれかも繰り返されていくのだと思っていた時のこと 頭の中にまだ鮮明に残る高校時代の日常の景色は少しずつ変わってきて、故郷と呼ぶには開発が進みすぎていて、出身地と呼ぶには僕はもうそれのほとんどを知らない もう何年も前に潰れた駄菓子屋さんはまだ残っている。看板の英語がタバコの
普段日焼けなんかを気にしてるけど、今日だけはちゃんと陽の光を浴びる
8月に入ってから上手く眠れない日が続いている。バイトで疲れた日に早々と晩御飯とお風呂を済ませて布団に潜っても次に目を覚ますのは午前2時。次に眠気がやってくるのは午前9時。寝て起きるともう1日のほとんどが終わっている。 今は忍耐の期間であると我欲に走り出しそうな自分を何度も躓かせる。さっき読んだ本のことも今日感じたことも、ポッと出てきた良いアイディアも。今はすぐには文字に起こさずにメモを取る。 朝の5時ごろ、窓から朝がやってきたことがわかる少し前に蝉は鳴き出す。今年の
誕生日を迎えることに張り切りすぎてか、数日前から発熱を起こした。生活習慣が悪いのか、実家にいる時は全く起こさなかった風邪が頻発している。おかげで誰かに連絡することもなく1人で勝手に寝込むこともできる。 熱はすぐに下がってが、喉の痛みと鼻と頭痛が長引き半ば強引に外を歩いても時々フラついてしまう。 誕生日を迎え、年を取ったはずなのに自分の行動は少年の時のようだなと思うことがあった。LINEをもらったらそりゃ嬉しいし、中学の友人は少し前の公演で関わった人、家族から連絡が来て
公演が終わりそういえばもう7月だってことに気づき、それからもう2024年と言うのに慣れてきたこともそれがあと半分もないことに気付く。本格的にこれからの自分よどうする、と放り投げた疑問はどっかの道端に落としてしまった。 総合大学などではテスト期間の7月中旬、どういう訳か僕は今週一度も授業がない。月曜日は休みで火曜は元々全休、それから休講や飛んだ講義があって、全く学校に行かずに1週間を終えてしまう。なんか焦る。 今週の自分よ、君は何をした。 東京で観劇してから本読んだり、
学部の公演が終わり、一段落ついたところで僕は次の日から東京へと行った。自分への労いも少し込めて。 公演直前に一度お会いしたことのある演劇関係の方が亡くなられたという情報が入った。一度WSに参加したからなのか、少し前の祖父の死をまだ処理できていないのか、考えないにしてもやけに引き摺った。 テレビもなく、ニュースもほとんど見なくなったせいで交通事故や殺人事件で人が亡くなるという情報が極端に減った。きっとその影響もあったのだろう。 公演が終わり、いつもの教室でコースのみん
久しぶりに映画を観た、「リリィ・シュシュのすべて」 いつぞやに一度見ようと思ったものの30分ほどでギブアップしてしまった作品を再生。 今週末に公演があるというのに、直近になったやることを見失い昨日はスマホを見ていても掃除をしても頭に情報が入らなさすぎて気持ち悪くなった。疲れでもリベンジ夜更かしでもないのに眠れなかった。 今日は何をしたかというと特に何もしていない、5限に一コマだけ講義を受けて未払いだった家賃を払って失恋した高校の同級生の話を聞いた。それだけ。 何