秋の入り口
深夜2時にコンビニへと出かけると部屋の中よりも外の方が涼しいことに気付く。半袖なのが心許ない。家から少し離れたコンビニまで”木綿のハンカチーフ”を聴きながら歩く。風が吹くと受験期の寒さと孤独がやってくる。時期として考えれば僕は今まさにあの時と同じだ。
日に日に頭の中がうるさくなってくる。外部の情報がうるさくて複数のタスクがないと行動を起こせない。珍しく家事なんかをしてみると少しだけ生活にリズム感が生まれてくるのだけれど、散らかった部屋を片すよりもやることがあるだろうと誰かに言われて机に向かう。
5年後の自分は何をしているのか。そう聞かれた時の対策案が未だに思いついていない。一ヶ月後の自分も上手く想像できない。仕事として演劇を続けているのか、それならいいけど絶対してるとも言い切れない自分もいる。最初に思いつくのはその時やっていればまだ僕が演劇でやりたいことが残っていること、もしくは今やろうとしていることが完遂していないということ。そして次に思ったのが、そこまで演劇に潜り込める自分がいるのか、ということ。今の自分が演劇以外の職業に就いている想像もできないが、演劇している未来も見えない。それが今の大体の答え。
”ここじゃないと思っていても、ここじゃない何処かがあるわけじゃない。”
高校の顧問が言ったその言葉をここ2年ほどはずっと思考の最初に置いていた。今の環境を否定してももっといいところが出てくる訳がない、この人とは一緒に居られないと思ったところで自分にとっていい人に巡り会えるわけじゃない。しかし、ある程度、いや変にボヤかして否定をするよりもちゃんと向き合って否定をするとしよう。でないと、また”今は我慢をしているだけ”と言い訳を作るだろうから。それにここが嫌だという理由だけで離れる訳じゃない、行きたい場所でやりたいことがあるから行くんだと、そう自分に言い聞かせる。それが今の僕の意思だと言い聞かせる。
過去は全て物語になるので何とも言い難い部分もあるが、ここ2年の僕はやけに人の目を気にしていたようだった。それはこの街の人々と上手くやろうという気持ちもあったのだろうし、多少のお道化を含ませないとこんな場所で自分が変わってしまうのは嫌だという嫌悪感もあったからだろう。
ここの絵の具に染まってしまうのは嫌だ。もっと良いものを吸収したい、もっと自分を好きになれる環境にいたい。そんなことを言い出す僕もいる。
もう9月も終わる、夏が終わる、秋が来る、きっと今年の秋は寒い夜があるのに昼間は日差しが暑くてしばらくパーカーを腕にかけるのだろう。電車の遅延は人身事故よりも台風の影響が大きくて、金木犀の匂いがちゃんと分かる頃にはタバコも辞めているかもしれない。そうなればいい、そうなって欲しい少し先の未来。のために今だけ、今とあと少し先の未来だけ頑張る。