デジタルネイティブなはずなのにSNSの使い方がわからない

 気持ちは浮つかないまま沈まずに漂っている大学一年生の春休み末。予定はあるし、大方忙しい。あまり落ち着かない、多分落ち着かないように刺激を求めてあちらこちらに行っているんだろうけど。
 中学を卒業して初めて自分の携帯を持ってからというもの、依存症になってもできる限りSNSで誰かへの悪口や誹謗中傷を言わないように努めてきた。単純に気持ち悪いから。自分はXの返信欄を見たりするけど、いつまでここで永遠に続く引用リツイートの口喧嘩は続くのだろうかと思うから。でも、先日初めて自分のXにて特定の人物を批判した。

 事を過度に拡げてはならないという気持ちとこのことをより多くの人に知ってほしいという気持ちが混濁する。
 自分の通っている大学の人間で学生に対してセクハラをした人間がいた。その人の講義を僕も受講しており、結果的には飛んだ。その人の人間性からか、自慢話に辟易したのか、女子生徒の髪を触ったからか、日に日に受講生は減っていった。友人は夏期講習みたいだと冗談を言ったが、そんな平和なものじゃない。ただ苦痛に耐える2週に2コマ3時間の講義。一部の女子生徒は下の名前で呼び、男子は名字。密接な関係性ができる前のボディタッチ。
 講義において学生とのコミュニケーションを図ろうとしてか回答を得ようとする機会は多かったように感じるが、多くの学生(と言っても人数は限られてしまった)は自分は当てられたくないと身体を微動だにせず一点を見つめていることが多かった。そこに後ろから肩を叩くなどとすることが講義では普通にあった。

 しかし、昨晩は僕に手を挙げた母が翌朝になると当たり前のように朝食を作ってくれるようにその人も全てが全て悪いというわけでもないことで迷いが生まれる。どれだけ気持ち悪い、早くこんな講義辞めたいと思っても時折有益な情報が来るものだから我慢してでもここに来ないとと思ってしまう。もちろん成績のこともあるが。
 その人は何度かこの発言はセクハラにならないかと気にすることがあった。しかし、そこでセクハラだと言える人間はいないだろう。高圧的な態度や講義スタイル。長時間に渡り語られた輝かしい反省と社会的立場。講義に必要のない会話、もっと言うなら、その人の作り出す教室に不利益な発言は許されないと言う空気感は確かに存在した。
 何にも初めの方の講義で自分たちの学部のトップが今までには見せたことのないようなウキウキした姿でその人と話している姿を見せられるのだから尚更批判的な発言はできないだろう。

 現在の不安材料としては来年以降、その人が次期学長であることから自分たちの学舎が衛生的でなくなること。それよりももっと差し引いた個人の立場になっても次年度を迎えることには多くの不安が残る。本当にこれからどうしようが募って仕方ない。
 そして、誰かを非難したという反動はちゃんと身体にやってきている。先述した不安もあるのだろうが、言語化したことによってあの講義が少しトラウマのようなものに変わってきている。人は刺していないけど、石を投げた一人としてその石の行方が気になってしまう、しかしそれを追求できるほど個人的な力も精神的余裕もない。学校が始まるまで1ヶ月もない。ここで言語化したことによってより深く思い出される。

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