多様性
髪色の統一、髪型の統一、制服の統一、学習時間の統一、学校で行われるあらゆる統一そこから来る不自由そして反発。多様性は許されるものではなく、元々奪われたものだと思う。
僕のチームではないが、ある野球チームと戦った時来るバッター来るバッターが同じ構え方、同じ打ち方をしていた。当然同じ抑え方ができた。そのチームは決して弱いという訳ではなく、寧ろ強いチームだった、ランニングは全員が揃っているし、声もよく出ている。全員が当時の僕より身体が小さかったけど、大きく見えた。でも、全員が「ほぼ」同じチームと戦っても何も楽しくなかった。(そんな相手は初めてだったので興味があったが恐怖も感じた)
当時の僕にとってピッチングはゲームだった。次々に色んな種類の敵が出てきてそれを倒す。それが楽しかった。でもそのチームはそれが少なかった。顔は違うし、体格も多少は違う。でも「ほぼ」同じだった。そのためにシュチュエーションが変わっても何も変わらない。ランナーが出ても同じ構え方、チームが負けかけても同じ打ち方。退屈。現在は教え方をする指導者は少ないのかもしれない、でも僕が今いる教育現場ではそれが依然として既存している。1人の教師が多様性を叫んでも組織がそれを行動するにはきっと相当なプロセスと苦労があるのだろう。そんなことは知っている。誰もが知っている。でもみんな変え方が分かっていない。僕が万が一教育現場に立つ時には変えれるだろうか。
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