途中経過
多分、今は途中。スタート地点もゴール地点もボヤッと見えるけれど、今いるのはその途中のどこか。まだ少し、ゴールに近いと思う。
文章を書くにあたって、何かを始める時やそれが一段落ついた時、タスクが終わった時とかにそれらを振り返りながら文章を書きます。だけど、今はその途中なのでろくな文章書けないだろうなとか思いながらも、書く訓練は多少なりともしておかないと、と思いまして今パソコンを打っています。
一時期に比べると頻度はかなり減りましたが、誰にも見られないところで日記を書いたり、思いついたことや考えたことを書いたりするのですが、誰かに見られるかもしれない、知人に見られるかもしれない場所で書くとやはりちょっとはちゃんと書こうと思うんです。
公演が終わってから2週間、日常が戻ることはなく、相変わらず毎日コンビニ飯。無理矢理にでも人に会わないと学校には行かないし、友人に会う機会もないし、LINEで喋ってくれる人もいないしで。自分の声を丸一日聞かないことだってあります。
家に体重計はないのですが、鏡はあるので自分の変化にある程度気づいてきます。痩せたのはもちろん、ずっと寝不足みたいで疲れている様な顔をしてます。髭を剃って日焼け止めを塗って、髪を整えて撮った証明写真も本当に自分か分からないほど。
それでもあと一ヶ月を健康的に過ごそうと朝ごはんを食べて、日光に浴びて生活しています。
先日、高校の演劇部の大会があったらしいです。日程的に行けなかったのですが。いや、行こうと思えば行けたのかもしれませんが、合わせる顔がないってやつで行けませんでした。高校を卒業してからの2年は本当に長かった。高校時代にしていたこと、しようとしていたこと、できたいたこと、それらがほとんど思ってもいない方向へと変わってしまい、それに加えてまだ途中駅にも着いてないものだから今帰ったところで____そんなことを思って、違う予定をいれました。
成人式にも最近ようやく行こうかなって気持ちが湧いてきました。全く持って楽しみでもないし、成人式の日周辺には重要な予定が入ってるので、その気になれば健全な理由で成人式に行かないこともできるのですが、特に目的も持たずに行ってみようかなと思っています。
昔の友人を思い出せるかな、あの人は今頃何をしているのだろう、先生にも挨拶をしないと、成人式の後ってお酒飲んだりするのかな。なんて妄想はせず、計画も立てずに帰ります。
この間、母親から幼馴染が居酒屋にいる写真を送られて、中学以来に聞く名前だけを送ってこられました。僕はそれを母が僕を成人式に行かせるためにやっていることだと睨んでいるのですが、そういうことをされると逆に行きたくなくなります、お母さん。地元のみんなは中学卒業後も高校が一緒だったり、大学で再会したり、駅でたまたま会ったりしている中、僕は高校も地元を離れて大学は県外へと行き、今度はもっと遠くに行こうとしてる。地元のみんなは今も交流あって楽しそうよ、なんて言われるとめちゃくちゃ行きにくい。
やらないといけないことを溜めすぎると結局何もできないで終わる、そんなことが最近増えてきたなと思います。宿題や課題が案外早めに終わらせるタイプで余裕があったら予習もするタイプの人間だったのに。自分で課したタスクを最近、段々とやらなくなってきました。水道の支払い、日用品の購入、ゴミ出し、洗濯、洗い物、読書、部屋の掃除、バイト、着替え。あれもやらないといけないし、それが終わったりこれも。前までは当然やっていたことが億劫になってきて、堕落生活というか、生活を営むこともできていないような気がします。
東京へ行くと先生に相談した時、演劇に関しては良いかもしれないけれど、あの街は生活することがどれだけ大変なのか、それがまず最初にやってくるからね。と脅されたのですが、現時点で生活もままならない日常を行なっているのに、本当に大丈夫かと、今は少しだけマシな生活を目指しています。ゴミはなるだけすぐに捨てて、物は床に置かない。後でやれそうなことは今やる。そうしないと自分への信頼が段々落ちていってしまう。自分を上手く愛するためにまずはできることからコツコツとやる。
最近、名言にハマっている話。書いていて長いなと思いますが、最近誰とも話してないんで許してください。大阪出身が一定期間誰とも話さないとこうなります。
さてさて、Xを見ていると短歌や名言、文学から一文抜粋してきて、私の座右の銘です。みたいに紹介している人を最近よく見かけます。以前まではどんな耳触りのいい言葉もその文脈や対象が変わってしまえば、言葉が機能しなくなる。葉脈のない葉っぱみたいに形だけあるすっからかんになると思っていました。今でもそう思っていますが、何故か妙に最近、そういった名言たちに感銘を受けてしまうんです。どうやったらこんな言葉が生まれるのだろう、どういう状況に置いてこの言葉は機能するのだろうとか、一回は誰かに言ってみてぇな、なんてことをめちゃくちゃ思います。その後すぐにその理由は孤独に起因していると、これまた太宰の言葉に教えられるのですが、一回タスクキルしてからもう一回開いたXでまた違う名言に唆されます。
なんか、感覚としていい感じじゃないんですけど、快楽的にいえばいいことな気もします。僕は文学者じゃないし、人よりちょっと言葉にうるさい人間だけど、名言に心打たれてもいいんじゃね、って思うんです。もちろん濫用は御法度なのでしませんけど。いつか使えるようになったら、告白とかを名言っぽく言ってみたいですよね、多分振られるけど。