焦燥感じゃ作れない

金曜日は何となく学校が静かな気がする、単純に人口が少ないのか週末の疲れが出ているのかは分からないけど。久しぶりの金曜日の授業には見たことのない人が二人ほどいた。おそらく授業体験みたいなことなのかもしれないけど、やっぱりその年代の人はマイ手帳にびっしりメモするよね。お世辞にも授業態度が良くない大学生を見てどう思うんだろう。
授業後に先生と話していると、「久しぶりだね、出席日数とか大丈夫?」と言われた。(笑って誤魔化す)。多分、大丈夫じゃないということが分かっているからの質問なんだろうと思いながら、自分の唇に触れるほどの声量で「お疲れ様です」といい、荷物をまとめて帰った。今日の昼食はナンカレー、今日のカレーはチキンチーズ。

招待を受けた舞台の観劇まで時間があったのでそれまでは家で時間を潰す、と言っても寝るだけだけど。単に睡眠が足りてないような気がするのもそうだけど、特に家ですることがないのだ。台本を書こうにも気持ちが整っていないだの、調子が良くないだのと思って、少しの先延ばしを繰り返してるせいで進んだのは授業中の内職分だけ。でも、登下校や電車に乗っている時の頭の中はこの要素を作品に組み込みたい、足元の感応式の照明を置いてみたいだのと思うのだけれども、いざ文章にしようとパソコンを開くとその前にアップデートと課題が出てくる。早めにやっとかないと。停止。

栄駅の前を通ると夥しい数の人が電車に乗り込んでくるのでその前になんとか座席を確保していないといけない、いまだにちゃんと降り立ったことのない街だから想像がつかない。名前が体を表してる街なのだろうか。

もう3度目の新設劇場での観劇、ようやく周辺の道が分かるようになった。

劇中、内容に関係してもしなくても感情が昂ることがよくある。目の前の話は全然入ってこなくてもどこかのワードを取っ掛かりに妄想が膨らんで感情的に尻を痛めるなんてことがよくある。映画だとお尻が痛くなってきた頃にはもうすぐクライマックスシーンが来る、けれど演劇だと隣の近い距離に人がいるのでなかなか姿勢を変えるのが難しい。少しでも前傾姿勢になると観劇マナーがないとか思われそうな日本人が顔を出してきて結局動けない。あれ、何の話してたっけ。
自己妄想同様に、どこかのワードやムーブにとっかかりを見つけて作品に入り込もうとするにも苦手な小さな嘘が沢山あるファンタジーのせいで話に入り込めなかった。武士の話なのに鉄砲で処刑が行われて処刑人はジーパンを履いてて、言葉も時折ヤングマン。結局、相変わらず全てがLEDの照明を灯りではなく、灯体を見てお尻を痛めた。アフタートークは面白さがホームランバッターみたいな感じなので少し力を抜いて臨む。知り合いは先に帰ったらしいが後で合流するとの連絡だけ来た。今日は三振だったかな、ファールで少し粘ったけど質問でどこまで攻めていいか分からない恐怖感と、何故か張り詰めている舞台上と観客席との空気感を揺らせずに終わった。パンフレットに昔お世話になった照明さんの名前があったのでご挨拶に。

合流した場所は近くのカレー屋さん、晩飯もナンカレー。バターカレーとチーズナン、重いって。
話はもう随分と盛り上がっており、僕のカレーが到着するまでにもう話題が三つも四つも変わってた。最近感じる感受性のなさは情報量のなさから来るのかなとふと思う、名古屋での生活に焦りを覚えてた前期。何をしても安堵できず、更なる情報を常に求めていた。それから一変して現在は特に何もしていない。本当に特に何もしていないという状態。趣味としての演劇鑑賞へ行き、単位を取るためだけの授業は嫌い、周りとの関係性は少しずつ変わり、知り合いが増えた。平凡な生活に安定感があることに喜んでいたのかもしれない。数字で考えてみたらわかりやすい、もう12月。名古屋へ来て、色んな人と出会い色んな人との関係性が切れていった今年も後1ヶ月。予定がほとんどない。カレンダーに色が付いてない。いつまでも聞きなれない知り合いの知り合いの固有名詞を早く覚えれるようにしたいと思いながら自分のこれからの活動を少し妄想する。自分から始めるものもあれば誰かに乗っかるものもあるだろう、でも切れた糸があまりにも太いような気がするのも事実で一年近く前の常に作品作りをしたいと思っていた自分はもういない。何かをもっと変えないと、その前に手元のことから変えないと。そう思っても手元のチーズナンは残した。

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