6.13

 校内公演を終えた翌日、まだ疲れの抜けきらない目に飛び込んできた両親からの連絡。祖父の体調が悪いらしい。寝耳に水とはこのことだと分かるような感覚。かといって何をどうすればいいのか、今すぐ大阪に瞬間移動できるわけでも無い。
 嘘では無いことは重々わかっている。数年前からいつかこういった日が来ることは分かっていた。それでも落ち着かない、頭に祖父の頭が何度も過ぎる。最後に会話をしたのはいつだっけ、なんて喋ったっけ。

 今年になってから地元に帰る回数はどんどん減っていった。ちょうど数日前、後輩から今度いつ大阪に帰ってくるのかと連絡が来たが、そんな予定はないと言った。そう、昨日公演が終わり、次は来月の公演に向けて動かなくてはいけない。今週末には東京でお世話になった劇団が豊橋で公演をする。それにも行かなくては。そして日曜日には東京へ行く。
 タイムツリーを見る度、2ヶ月後まで敷き詰められたスケジュール、予定をこなす。そして次、そのまた次へ。だからこそ、余計に今日の出来事は驚きだった。

 この年になるまで近い身内に訃報を聞くことはなかった。初めて死というものを肌で感じたのは中学2年生の大阪北部地震。テレビに自分のよく知る土地がヘリコプターの音と共に映っている。そして友人からあそこの野球チームの子が壊れたブロック塀に潰されたと言う話を聞いた。自分よりも年下の人が、そしてこんなにも身近の人が。もしかしたどこかで見かけたかもしれない人が。
 思春期になると幻想のように死後やそれに対して興味を持つようになっていった。読む本では必ず誰かが死ぬ、自分もそう遠くない未来できっと。なんて思ったこと、実行しかけたこともあった。

 新幹線に乗っている僕はやけに落ち着いていた。今もそうだがまだ実感がそこまで湧いていない、よく分かっていない。天国という名称の土地かはわからないけど、どこか僕の知らないところで生きているのだと思っている。菊の紋様の入った布団のようなものに包まれた祖父の顔は本当に眠っているかのようだった。何度も見たあの寝顔。一瞬寝息が聞こえたような気がした、本当にただ眠っているだけだと思っていた。
 「じーちゃん死んじゃった」
 祖母のその声でようやく戻ってきた。
 「そうなんや」
 何も理解していない、ただの返事の言葉。だって本当にただ寝ているだけだもの。線香の匂いもじぃちゃんの家に行けばいつもしていたし、何年も前からじぃちゃんとはまともに会話をできたことがなくていつも疲れて自分の部屋で寝ていた。後ろで色んな書類を書いている叔母さんを見て何となく状況が分かってきたような気がした。これがそういうものだということが。

 「こんないい人が死んだらアカンで」
いつも口数の多い祖母の声が今日はやけに響く。本当にその通りだと思う。こんないい人はいない。もっと話しておけばよかった。
 じぃちゃんの家には数え切れないほどのトロフィーとモノクロのユニフォームを着たじぃちゃんの写真があった。それを僕が見ているといつも嬉しそうにこれはいついつ優勝した時のトロフィーで、これがその後行った海外旅行での写真だよ、なんて言ってくる。
 ばぁちゃんが地区の人間全員が友だちみたいな人だからばぁちゃんと歩いているだけで色んな人から話しかけられることがあって、その度にあの人の孫なんだ、握手してくれと言われた。だからこそじぃちゃんとばぁちゃんは僕が野球をしている時、本当に喜んでくれたんだろう。


 高校生の時、自分自身エチュードを作るときに僕は自分の野球経験について表現しようと思った。まだ野球に対して、野球をしている時の自分に対して嫌悪感があった時。祖父の名前はコトバンクやWikipediaで出てくるような人だった。じぃちゃんは自分から俺はすごい人間なんだぞなんてことは言わなかったし、そんな素振りも全くなかった。だからきっと一回”憧れている野球選手は?”と聞かれた時に「僕の祖父です」と答えたのだろう。
 今、改めて考えてみてもじぃちゃんがどんな人だったか、よくわからない。モノクロの世界のかっこいい野球選手、部屋の中は子どもたちの写真と野球選手図鑑で埋め尽くしている野球好きのじぃちゃん。
 僕が野球を辞めて演劇を始めた時も特に何も言わずしゃがれた声で「頑張れよ」と言ってくれた。多分あれが最後のじぃちゃんとの会話。
 じぃちゃんもばぁちゃんに負けず劣らずの喋り好きだったけど、僕が中学生くらいの頃からはほとんど何を言っているのか聞き取れなかった。それでも何を言おうとしているのか、表情はほとんど変わらないけど笑ってるのが分かる。

 去年の従兄弟の結婚式でお父さんがじぃちゃんの肩を持って歩いている背中を今でも鮮明に覚えている。ずっと折れ曲がった背中だけどお父さんと同じくらい身長が高い。
 大きな、大きな背中。


 荷物をまとめたり持ってくるのに一回じぃちゃんの家に行った。ばぁちゃんが相変わらず沢山のご飯を生協で頼んでいて、僕たちが来るたびに「食べ、食べ」と言って大量に持って帰らせる。
 久しぶりに入ってじぃちゃんの部屋。机にはじぃちゃんのユニフォーム姿のモノクロ写真、大相撲の新聞と僕たちの写真、あと大谷さんの結婚報告の新聞が飾ってある。流石に笑った。本当に野球好きだな。
 「じぃちゃん撮っていい?」
 いつもみたいに返事は返ってこないけど声をかけてから写真を撮る。じぃちゃんの好きなものだけで埋め尽くされいるような部屋。お父さんが”これも捨てよか”と言って持ってきたのは学校にあるようなボロボロの下駄箱。どうやら叔母さんが学生の時に使っていたものをずっと持っていたらしい。ばぁちゃんは残しといてあげてよと言うのだけど息子と娘は大反対。いい加減あんなの捨てないと、と笑いながら言ってる。当たり前だけど、ここも家族だもんな。
 いつか、僕の生まれるよりもずっと前。僕が生まれるなんてこと誰も知らなかった頃にじぃちゃんとばぁちゃんは恋人で夫婦になって、父親と母親になって、そしてじぃちゃんとばぁちゃんになって。
 帰ってきてよかったなと思ったし、本当にこの家族の孫になれてよかったなと思う。供花を発注するための紙に孫一同と書いてある。孫一同、の末っ子、一緒に過ごせた時間は一番短くて、それでも多分一番迷惑をかけてて一番好き勝手やってる。それはもちろんじぃちゃんがいてくれたこともそうだけど、家族のみんながいてくれたからのこと、どんなに暴れても笑ってくれる家族がいたから今これだけ自由にやれてる。


 お父さんがじぃちゃんの写真を探しているとその途中にある写真を見せてくれた。宴会で浴衣にアフロ姿で踊ってるじぃちゃんの写真。笑いが込み上げてくる、こんなじぃちゃんの姿は初めてみた。僕の知らないじぃちゃんは今頃どこかで変な格好をして踊ってるのかな、それともまた全力で野球をしているのかな。
 また改めて言うけど、ここでも。
 じぃちゃん今まで本当にありがとう、これからじぃちゃんに負けないくらい自由に暴れて頑張ります。

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