最近のメモ
10代のうちにやりたかったこと、もっとやれたことが沢山あったんじゃないかと、故郷に帰った時にだけ出てくる自分の弱い部分の影を見ると、そんなことを考える。
まだ弱い自分がいても赦せて、失敗を悔やんで、毎日がこれかも繰り返されていくのだと思っていた時のこと
頭の中にまだ鮮明に残る高校時代の日常の景色は少しずつ変わってきて、故郷と呼ぶには開発が進みすぎていて、出身地と呼ぶには僕はもうそれのほとんどを知らない
もう何年も前に潰れた駄菓子屋さんはまだ残っている。看板の英語がタバコの銘柄だと初めて知った
あの角を曲がればあいつの家がある。でもあいつはいない。
この道を真っ直ぐ行ったところに幼馴染の家がある。でも、あの子はもう僕を見ても分からないかもしれないし、僕も分からないかもしれない。分かっても挨拶もしないだろう。
ふいに母が懐かしい名前を呼んだ。友人の名前だった。車の窓から数人の顔を見たけど誰とも納得がいかない
駅に行くと妙にワクワクしてしまう。誰か知り合いに会うかもしれない、知っている制服を見るかもしれない
毎日通った8時16分の普通電車、これに乗ればギリギリ遅刻をせずに済む。20分に乗っても近道をして走れば間に合う
高校時代の後輩と会った。前に会ったのがいつかはわからない。会話の内容が同士ても昔の話ばかりでこちらは思い出すのに必死だ。話しているうちに自分があの頃に戻ったような感覚になり、冷房の空気を感じるまでは制服を着てるんじゃないかと思った
今の僕を形成してもの、今の僕は周りに意識的に出しているキャラクター性のほとんどは高校時代に作られたものだ。それでも関わる人によって相対的にそれは変わっているのだと思う
他人への関心も、友人が勝手に間違った方向へ行くのも、恋人が離れていくのも、20歳の僕にはドラマチックな出来事ではない
皆独りでに僕の知らないところで生きてきて、これかも僕が全く関与できないところで生きていく。それに悲しさも覚えるけれど3日後には僕も3日前の自分が予想だにもしなかった道を歩いている
高校時代は今にも増してメンヘラだったので僕に関わる人間にはある程度、卒業後も執着していた
自分で自分自身を切り離そうとして時、結果的には捨てきれなかったのだけれど、これから僕の関わってきた人たちは皆、勝手にどこかへといってしまうことに深く納得した。人の繋がりや関係性とはいってもそれは彼を手の届くとこに置くことではなく、これから彼らが行うすべてを全く知らないところでたまに想像する、彼らが僕の知らない全くの別人に変化していくことを尊重することなのかもしれない
僕の愛がいつかの君に何かをしてやれるかはわからない、もしかしたら悪い方向に働くかもしれないけれど、確かにそんな時間は君と僕の間にあった、存在したことは過去になっても嘘をついても変わらない
もうここには居られないのかもしれない
義務教育を受けている最中にも何度か頭に浮かんだ言葉がまた出てきてしまった
追い出されたことは一度もないのに家出を企んだことは何度もあった
居住地が変わり友人が変わり自分が変わり思い出せる過去も変わって、その言葉の”ここ”も変わっているのだけれど逃避行癖は治らない
誰もいない、休みの日には自分の声を一度も聞かないワンルームで今日の予定と1週間先の自分を想像する
ロクでもない自分を想像できたら今日もまた自堕落に過ごせるのだけれどそうもいかない。顔も髪型も服装も想像できない1週間後の少し成長した僕を想像してベッドを出る