ここ数日のこと
学部の公演が終わり、一段落ついたところで僕は次の日から東京へと行った。自分への労いも少し込めて。
公演直前に一度お会いしたことのある演劇関係の方が亡くなられたという情報が入った。一度WSに参加したからなのか、少し前の祖父の死をまだ処理できていないのか、考えないにしてもやけに引き摺った。
テレビもなく、ニュースもほとんど見なくなったせいで交通事故や殺人事件で人が亡くなるという情報が極端に減った。きっとその影響もあったのだろう。
公演が終わり、いつもの教室でコースのみんなとリフレクションをしている時に初めての感覚がした。やけに皆が遠く、他人だと感じた。リフレクションの中で幾度も僕がこの場所を近い将来に離れるという話があったのからかもしれないが、改めて強く皆から離れているということを感じた。地元の皆のように段々と他人になっていくという感覚ではなく、皆が一人一人、それぞれで生きている人間なんだということに今更気づいたのだ。
愛知に来て一年と少し、最初はこちらの人間は宇宙人のようで、種類としては同じ人間という分類でも、何か中身というか身体の元となる何かが全く違うのだろうと本気で思っていた。そして次にこちらの人間の特異な集団性に嫌悪した。排斥的でありながらも”我らは家族である、そのため貴様も我らのために働け”。そんな声が聞こえた。おそらく向こうからすれば僕の方こそが宇宙人で、自分たちの持つ関係性の全てを破壊せんとする未確認生物だったのだと思う。しかひ、その気持ちが拭えないせいで随分の間、僕はこちらで居場所を作ることができなかった。いつまでも非日常、いつまでもよそ者、誰かの他人でいるまま。
先日の公演の当日パンフレットに演出補佐としてコメントを書きました。
私たちは常日頃から相手との関係性の維持をするためであったり、場の雰囲気を乱さないために自分では無い誰かを演じたり、相手に対して自分の都合いいキャラ付けをすることがあります。しかし、それがより相手に自分を押し付けてしまっていたり、自分自身に嘘をついてしまい、本当の自分が分からなくなってしまいます。
本作はそうした人間同士の関わりの中で生まれる葛藤や苦難、そして自分自身に対する愛し方について考えられる作品です。皆さんとは、今作を通して身の回りや自分自身について共に考えたいと思います。
この2ヶ月間で本を読んだり、稽古に参加したり、学生生活を送ったりした期間に朧に感じたことを書きました。
演劇をしていたり、友人や恋人といる時にふと、僕は観客や相手のためにしていると思っていることでも、実際には自分のためばかりにしているのではないかと思うことがあります。
相手を思うことであったり、愛することもそれは相手を通した自分のためにしているのではないかと。そう思うと最初はそんなこと避けないといけないと思うのですが、絶対的な悪でもなさそうなので今はまだ困惑中です。今の関係性、これからの活動でこの疑問にどんな回答を自分で付けるのか。
何度目かの東京、何度目かの池袋、何度目かの東京芸術劇場、シアターイースト。前に来たのは学校の授業。久しぶりの観劇だったのでやけに緊張していたと思います。上手の前から三列目の座席に座ると左に同年代くらいの男性2名が話しているのが聞こえました。
どうやら僕の隣の子は普段は音楽をしているらしく演劇を見ることはあまりない様子でその隣の男の子がこの公演に誘ったらしいです。携帯の電源は切ったし舞台美術もあらかた見たので僕は開演までの間、彼らの話を聞くことにしました。
隣人)なんで演劇のパンフレットってこんなに思想的なんだろうね。音楽だったら絶対にお客さん来ないよ
確かに、めっちゃ怖いよね。共感しているせいかもう1人の返答が聞こえなかったので僕なりに回答を見つけようとしたけど、彼に向けた正解は結局見つからなかった。そんなもんだもんと言うのも違うし、じゃないと興味を惹かないからと言うわけでもない。絶対にそれが思想的である必要性はないのだけれどうーん、確かになんでだろう。
そんなこんなで開演しても僕は意識の少しを横の彼に割くことになった。二つ隣の彼はかなり大袈裟に笑うのだが、3回ほど、横の彼が笑ったような気がして何故か嬉しかった。それからは集中して舞台が見れた。
しかし、ここ数週間チェーホフばかり見たり、公演もドストエフスキーの「白夜」を扱っていたせいか最後まで上手く劇に入り込めなかったと思う。面白いシーンで笑ったり一度通過してしまった言葉をもう一度頭の中で反芻したり、この話の重点が置かれているのはどの箇所なのかを考えたがそれらを上手く自分の中で昇華させることができなかった。カーテンコールの際、感じたことやモヤモヤを溶かし切るつもりで手を叩いた。しかしトリプルまであったのに全てをこの空間に広げることはできなかった。その時にふと横の彼の拍手が同じリズムでないことに気づいた。おそらく彼の中でも消化できたこととできなかったことがあったのだろう。もう一つ隣の彼はトリプルの際にスタンディングをしていた。なるほどなるほど。
横に彼らがいて良かった。
その後、高校の友人と八王子まで移動し人生で初めてのはま寿司を食べた。先輩との恋が終わったり、自転車で転けたらそれが思いの外大怪我で入院することになったり、明後日テストだったり、結婚観や彼氏にするならこんな人がいい。などなど、さっきの作品に負けず劣らずの情報量だった。多分僕は「そうなんだね」「そっかそっか」「あらまぁ」くらいしか言ってなかったと思う。寿司を食べ終えてスタバに行っても話は止まらなかった。しかも僕がスマホを触るだけでそれを注意して、それからまた「でもやっぱり彼氏には〜」と言う話になるのでまだまだ大阪魂は捨ててないのだなと思った。
二日目は世田谷へ、初めて劇場で見るダンス作品。京都の劇団の方で元々名前は知っていたけどなかなか見るタイミングのなかった人。演劇的な要素があったことと、どこか僕が昔京都でやっていたこと、やろうとしていたことに似ている部分があったことにより随分と飲み込みやすかったと思う。
開演前、まだ直前アナウンスがない時。誰も始まるとも何とも言っていないのに会場内が静かになる時間が続いた。観客全体が劇を見るための集中力を高めていた時間であったのだと思う。舞台に出る側の人間としてもものすごくいい時間だったなと思う。
終演後、劇場の外に出ると僕が初めてお芝居をした時の演出家さんに会った。前に会ったのがいつかは分からないほどだけどすぐにわかってくれたのは嬉しく、それから少しの間話した。高校2年生のまだ芸術なんて全く知らない時の僕はこの人の言っていることが何一つ分からなかった。
稽古が始まったばかりの夏、朝のニュースで何十年の一年の大雨のせいで川が氾濫したと言う話題が上がった。その時の僕からすると「毎年何十年ぶりの大雨とか、災害って言ってますよね〜」っていう話になるはずだったのに、気づいたら資本主義の話になっていて僕はそれからの稽古がものすごく心配になった記憶がある。稽古場に出てくる言葉も、物事に対して向ける視点も、人に対して気にかけるところも、その全てが全く違う。
あれから三年経ったけど結局舞台用語を少し覚えたくらいで全く考えられる物事も関心を持つものも全く違うのだろうなと思った。
それで今回の東京観劇旅は終わったのだが、明日からの半年間で自分に何ができるのか、何をすべきなのか。今回のお土産はそれとバウムクーヘン。