大切な場所
久しぶりの通学路。いつも遅刻ギリギリなので先生にバレないように近道していた。駅前のマンションは完成したんだ、まだこのガソスタあるんだ。相変わらずガタガタ名古屋コンクリートと今にも崩れそうな歩道橋。近くの公園には夕日で人影になっている子どもたちが遊んでいる、騒いでるのに聞こえない。
学校が近くなると知り合いに会わないかと緊張する、会った人によって反応を変えないといけないので心の位置をどこに置こうかと悩む。もう疲れてる。何しにまたここに来たんだろうと思う度に歩幅が短くなる。それなりの理由付けはできるけど、わざわざ来る意味はないと80%くらい認めながらも理由付けのできない動機で学校に来た。
懐かしい場所、何度も来た場所、1年前までは行き慣れてた場所。多分ここにいる人の多くは会ったことがあるのだけど、記憶と目の前の人が上手く結び付かない。この1年間はこの場所の幻想だけで生き長らえたようだった。でも、ここはいつまでも更新されていてあの時のまんまなものは何も無かった。
後輩や知り合いと会っても上手く話せない怖さからそもそも近づけなかった。結局主任とスローテンポで近況を話していた。
事実としてこの場所に自分がいた時間は確実にあったのだけど、もうその時間がなくなってしまったような気がしてならなくて、きっとそれを確認しようと思って今日来たんだろう。多くの人の居場所であったこの場所がもう無くなってしまう事実にちゃんと向き合えていないからこそいつまでも幻想に生きてたのかもしれない。
舞台中、中々みんなの顔が見れなかった、ちゃんと向き合えなかったことがそれを証明してるのだと思う。自分がここに入れなかったことをいつまでも心の中で引き摺っているのだろう。羨ましかった。
今までに2度、1度離れてからこの場所に帰ってきた。その度にもう一度新しい環境でも頑張ろうと思ったけど結局したことと言えば夜更かしと読書と筋トレくらい。いつかの日のまま更新されないでどうすればあの場所で誰かと一緒に時間を過ごせたのかと寝相を打つばかり。
今の自分の力で、経験、知識、筋肉、感情、価値観、経済力、人脈、運で何ができるだろう。誰かの居場所くらいは作れるのかな。
まだ新しい土地の人と向き合えて無かった。ずっと新しい土地にいる人、自分とは違う道を歩んできた人とどこかで違う人間と拒絶に近い離れ方をしていた。向こうが向き合うかどうかは分からないけどちゃんと向き合おう。ちゃんと目を見て、耳で聞いて、言葉と届けよう。
きっとこれからもずっと我慢する時間が続くと思うけど、逃げないで、逸らさないで、ちゃんと自分自身の時間を生きていこう。誰かになれなくても自分自身で。