体操

 目の前にある課題に対して、対処したつもりになっていたけど実はそのほとんどは無視したものだった。何から行えばいいか分からない問題、一つ一つは無視してもその時は何ら困らなかった、だから無視した。いつからやり直せば、どの部分を訂正すれば今がいいと思えるのだろうなんて夢想してる。後悔が残らないための最善策はその時々でベターな判断を下していくことだと思うけど今回に関してはベターを取るために捨てるものが多すぎた。いつの自分を叱りつけたらこうならなかったのかと、1週間、1ヶ月、半年、1年。
 こんな消費的な自分は表現者じゃないのかとたった今ちょうど気づいたフリをしてるけど、一年以上遡る何日も前からそれには気づいてた。
「どんな表現者になりたいの」今はもう、いや何日も前から何なら最初っから表現者じゃなかったのかもしれない。自分の手の届く範囲でやらないといけないことはある程度しかやらず、動いたことのない組織の髪の毛が動かないのにがっかりしてる。

後輩が「身体は死んでる時の方がいい」と言った。どうしてだろう。もうしばらくの間、まともに身体を動かしてない。全身で動いた試しがない、全力疾走をしていない。生活とバイトができるギリギリの筋力だけで燃費良く動いてる。いつかやりたいと思っていた演劇も頭の中ではどんどん膨張していくのに動く前から身体が動かないのが分かる。肩を動かしても肘がついてこず、指が動かないのが既にわかる。メタファーに固執しているせいで自分の身体にすらまともな指令を出せない。もう寝ないといけない午前3時、誰からも連絡が来ないという安心感でもう少し浸っていたくなってる。きっと目を閉じて開いた時には各所にお願いメール。規則とマナーに気を付けながらも団体側の意思を少し混ぜて連絡。そして返ってきたものを共有、返信。膝が不満を言ったら一旦全ての身体の動きを止めて次は膝から動き出して身体全体が上手く滑らかに動くように。

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