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うちの会社がめちゃんこブラックな件

※こちらはWantedlyに2019/03/25に掲載された記事の転載です
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こんにちは。企業戦士の鮎川です。予感をたっぷり溶かしこんだ春の空気の中、なんだかんだいってリクパー人生5年目になったなぁ、と期の変わり目に感じる今日この頃。リクパーに入る前は2年単位で転職をしていたので、ここまでがんばってこれた自分を褒めたいです。よく逃げずに続けた、自分。

でも、5年経って気づいたことがひとつ。

それは

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そう。5年経ってやっと気づきました、いや、リクパーがブラック企業だということに気づくのに5年を要したと言った方が正しいかもしれません。

そんな僕がこの5年の自らの動きを振り返って何がどうブラックなのかを自分なりに振返ってみたいと思います。

その壱「人事異動多すぎな件」

思えばそれは入社前から起こっていました。元々僕はリクパーグループで採用クリエイティブを主事業としているリクパーコミュニケーションデザイン株式会社(以下RCD)へエントリーしていました。
当時ディレクター職の求人案件が出ていたので、過去に営業職とプランナー職を経験してきた自分なら両者のバランスを取りながら仕事ができるんじゃないかと考えたからです。

しかしいざ面接に行くと、そこで待っていたのは営業職としての話。後々聞いた話によるとリクパーとRCDは同タイミングで求人を出していてそのどちらにも僕は応募していたらしい。で、SPI(適性検査)が完全に営業波形だったのでリクパーの面接に呼ばれていたのでした。

そんなこんなで入社した僕は当初アルバイト・パート領域の営業としてスタート。週20件のアポを目標にひたすらテレアポ。半年くらい経ったころでしょうか。ある日社長からこんな社内メーリスが(このころまだSlackがなかった)。

社長「あゆにプロマネやらせてみたら?」

プロマネってなんですの。その名の通りプロジェクトをマネジメントするのかい?

話を聞いていくとそれは大手顧客を守るためのディレクターのような役回りだった。なるほど、よくわからないけど任せられたものは期待に応えるしかない!入社半年の自分は心をキラつかせながら取引の大きなお客さんのところに出向いては提案書をつくったり散らばったExcel・レポートまわりを片付けていった。それからさらに半年経ったある日。

「あゆ、OSらしいよ」

どこからともなく聞こえる声。そう。人事の話は確実にどこかから漏れるものだ。OSはアウトソーシングの社内用語で採用代行を行うチームへの配属ということだった。

採用代行って何?リクナビ触れんし。そんなスタートだった。そこからは自社採用や面接に積極的に関わりに行って強制的に採用プロセスを学んだ。自社採用を一年経験したあたりから何となく流れが分かっていった。それからさらに半年経ったある日。

「お前、マネジャーな」

それはリクパーが10期に差し掛かり体制が大きく変わろうとしていたころだった。当時はマネジャー職というものは存在せずにいわゆるベンチャー企業というかみんなが各々頑張っているような感じのチームだった。ところが人数が100人を過ぎようとしていたころからバリューの浸透問題が浮き出てくる。いわゆる成長痛ってやつです。このタイミングでマネジャー職をつくり、各チームを小さなユニットにしてコミュニケーション濃度を上げていくという狙いだった(と今は思っている)。

マネジャーへの打診は抜擢人事だと言われた。結果を出せなければすぐに変える。というかOSチームを見渡した時にメンバーも少ないしフットワークが軽いのが僕しかいなかった。そう、僕はただのラッキーボーイだったのである。しかしマネジメントなんてやったことがない。こんな20代後半のヤツが管理をするだなんて。そもそも管理することがマネジメントなのか?無理無理。てか一番苦手なやつやんか・・・。実は前職で後輩にボロカス言いすぎて病ませてしまったことがあった自分は、正直なところ少しだけ上司になることに対してトラウマのようなものがあった。だからぶっちゃけるとあまりメンバーと距離を縮めようとも思っていなかった。一方で避けては通れない問題だしな・・・というのも頭ではわかっていた。

そんな矢先に言われたのが、

「お前、ロボットみたいやね」

グサリ。やっぱこのままじゃダメよなー。こんなヤツがマネジャーしとったらいかんよな。ずっとそう思っておりまして。でも変わらないとなー。もうずーっとこの葛藤の日々。

それから1on1をはじめました。ちゃんとコミュニケーションとらなきゃ、と。もう強制的にとろうと。このへんからですかね。チームとして機能してきたと徐々に実感してきたのは。まぁ何が言いたいのかというと

ポジションは人を育てる

ということです。

プロマネになったから、戦略・全体設計について考えるようになった。

OSディレクターに変わったから、採用プロセスを勉強するようになった。

マネジャーになったから、人と向き合うようになった。

人事異動が多いと自らが変わらなければならないことが凄まじく多い。雇用されている身としては基本的に人事への拒否権もない。経験として感じるのは決断経験の多さがボディーブローのように後々自分の経験値として滲み出てくる、ということ。マネジャーになったばかりのころはSlackのDMやメンション付きで判断を求められることに怯える日々でしたが、今はだいぶ慣れてきました。ある時キャパも超えました。実はその時こそが成長のチャンスで、抜本的にやり方を見直すと効率化とイノベーションが起きやすい。あまり気合で乗り切らないことを意識していました。
ポジションは間違いなく自分を育ててくれるので、こうした変化や不安定さを楽しめる人がリクパーにたくさんいるともっと面白くなるだろうな、と思います。ということで別に僕はブラックと思っていないというのが実はこのブログで言いたかったことだったりします。

本当はエイプリルフール企画として「うちはブラック企業なんだ」というところから「実はブラックじゃない」という転換をストーリーの方向性としては持っていきたかったんですが、"その壱" があまりにも自分の思い出話になってしまい、もはやタイトルの趣旨とずれてきました。(「ま、いっか」と思って公開しているのですが)ホントめちゃくちゃやな。すみません。

「ですます」とか「てにをは」とか何も守っちゃいません。起承転結も支離滅裂ですがこういう文章書くのほぼ初めてなので記念に残しておきます。最後まで拙い文章をお読みいただいてありがとうございました。他のブラック話その弐はまた今度。

あざしたっ!期末最終日がんばるぞ。

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