コロナ禍で存在を消された私たち 生き方が変わった2020年
検査難民
発症月:2020年4月
ペンネーム:ky
居住地:関東
今にして思えば、はじまりは2019年12月31日だった。
義理実家で迎える年の瀬、私は発熱し、心配した義母に連れられ地域の中核病院の夜間診療に来ていた。
私自身は、「インフルエンザかな、だとしたらまだ早すぎて検査しても結果が出るタイミングではないだろうなあ」と思いつつも、義母には逆らえずおとなしく各種検査を受けていた。
先生は思うところがあったのか、インフルの検査はせず、レントゲン、エコー、その他よくわからない検査を5、6種類こなし、結果原因不明で帰された。
あとからわかったことだが、この2019年の12月には、もうコロナは日本に上陸していたとも言われている。あの先生は、もしかしたら情報の一端をつかんでいたのかもしれない。
なお、私はもともとぼんやりとではあるが、西洋医学に懐疑的な人間だった。というのも、10年以上前、百日咳で数か月苦しんだ経験があり、どこの医者でもらえるのは咳止めだけ。対処療法に過ぎず、根本原因にアクセスできていないと感じていた。その時は、確か鍼灸院に通って良くなったのだった。
今回も、これが義理実家で起こったことでなければ、インフルであったとしても風邪の1種だし寝てれば治る、と家族を説き伏せて寝正月を決め込んでいたところだった。しかし私も嫁の立場。高熱の中ふらふらで帰宅した後、近所の内科医にかかった。やはりインフルエンザとの判定で、吸入型の薬を処方された。そして義母の心配に応える為、私はその薬を吸ってしまったのだった。
年が明けてしばらく、コロナのニュースは対岸の火事だった。それが、いよいよ日本にも上陸とニュースで伝えられ、マスク不足が発生し、人々の話題はコロナ一色になった。
テレビでは海外で多くの人が亡くなっている様子が映し出されていた。接触感染だけなのか、それとも空気感染するのか、未知の病であり、警戒が必要という空気感でいっぱいだった。
2020年の3月4月頃は、私も真面目に恐れ、家にこもり、外出を避け、宅配の食料も玄関でアルコール消毒をしてから室内に入れていた。真面目であることや過度の恐れが病を引き起こす一端であることも知らずに。今なら病は気からだよ、とあの頃の私に声をかける。
ちょうどそのころ、目のかすみに悩まされるようになった。当時私は45歳、いよいよ老化の始まりかと思っていた。目薬をさしてもよくならず、それどころか白髪が増え、抜け毛も増えた。そしてもともと便秘気味だったがそれがさらにひどくなり、おならの回数も増えた。未病だけど不調の状態が続き、すっきりしない日々を過ごしていた。
そして4月半ば、頭痛、咳、舌の痺れ、胸の痛み、喉の痛み、37.5度の発熱という症状での発症。3日目には何も食べていないのに苦いような変な味覚を感じていた。当初からしびれがあり、味覚異常もあり、ただの風邪ではなくコロナだろうなと思っていた。
当時は、37.5度以上の熱が4日以上続いてはじめてコロナを疑うというルールがあった為、5日目の朝一に帰国者センターへ電話した。この頃は発熱したものはいきなり医者へ行くことは厳禁で、まずは、センターへ電話することが求められていた。帰国者センターの電話は込み合っておりなかなか繋がらず、10時半頃に繋がった。対応は保健所の人がしているらしかった。
症状を報告すると、
海外渡航者との接触がなく症状が軽いことからおそらくコロナではないだろう、近所の内科にかかって良い
と言われた。
翌6日目、近所の内科へ。この頃は発熱があると診察を受け付けない病院が多かったが、ここは元からの患者に限って受け入れていた。私はお正月にインフルの検査を受けていたので、元からの患者扱いになった。聴診器をあてられ、胸の音はきれいだし、喉も荒れていないということで様子見を言い渡された。
しかし、その後も体調はどんどん悪化し、胸のざわつき、頭痛、咳、喉の痛み、両腕両手のしびれ、味覚異常、吐き気、息苦しさに苦しむ。
8日目により詳しい検査を受けたいと、発熱があっても受診できる病院を探し、自転車で片道30分かけて内科・脳神経科のとある病院へ。当時は咳や熱のある人は、公共交通機関やタクシーを使ってはいけないとされており、我が家には車が無かった為、ふらふらの身体で自転車を漕いで行った。気候の良い季節でまだ良かったと思いながら。
その病院では、首のレントゲンと脳のMRIをとられ、脳には異状なし、ただ
レントゲンの結果、ストレートネック気味なので、各種不調はそのせいだろうと言われた。薬を渡され、ストレッチを行うようにと指導された。
ちなみにここの医者は、私がコロナかもしれないという疑いを抱いていることに対しかなり否定的で、鼻で笑う対応をされた。
患者の苦しみや不安に寄り添えない医者の存在って一体なんなんだろう。
処方薬はミオリラーク、ロルカム、レバミピド、カルボシステイン。
その日から薬は飲んだが体調はますます悪化。動悸が激しく、息苦しく、舌と手が痺れ、喉がやけるように痛い。
11日目には、医者の態度が信頼できないものだったことと、体調が悪化する一方であることから薬をやめることにした。
4月末のことだった。発熱当初からコロナを疑って、家族とは隔離生活をしていたが、この頃には寝たきりとなり、ベッドでうめくだけの日々を送っていた。我が家はIT業界に従事する夫と当時小学6年生の息子の三人家族で、息子も手のかかる時期は過ぎていたし、なによりIT業界は他の業界に先んじて在宅勤務が可能となっており、夫が毎日家事全般を担ってくれるのは本当に有難かった。この点、小さなお子さんや介護老人のいらっしゃるご家庭、伴侶の協力を得られないご家庭はどれほどのご苦労があったのかと思う。私は恵まれていた。
寝たきりのG.W.が終わるころには、息苦しさと動悸が主訴となっていた。コロナによる肺炎が注目されている頃だった。
休み明け、家族の勧めもあり、近所の内科に今度は往診にきてもらい、寝室で簡易のレントゲンを受けた。後日、コロナの抗原検査も受けようということになった。巷で抗原・抗体検査が受けられるようになってきた走りの頃だった。
レントゲンの結果、肺はきれいだということでとりあえずは一安心した。
5月半ば、北里大学病院の東洋医学総合研究所がオンライン診療を始めたというニュースを耳にして診察を依頼した。こちらの先生は私の症状のひとつひとつを丁寧に聞いてくれて、オンラインながら舌の色を見て、直接触れられないかわりに私に自分で胸やお腹を押すように指示し、その痛みや感触を聞き取ってくれた。私の身体を診ようとしてくれているのだなあと嬉しかったのを覚えている。レントゲン写真とパソコンのモニターばかり見ている件の内科脳神経科医とは雲泥の差であった。
柴葛解肌湯(さいかつげきとう)の生姜多目アレンジなる漢方を処方してもらい、翌日には宅配で届いた。口の渇きや頭頂部のコリ、発熱、悪寒に用いられる処方らしく、風邪・頭痛・肩こり・蕁麻疹などに応用されるとのことだった。
これはかなり良く効いて、動悸が減った。かわりに左胸の脇に痛みがあらわれたが、苦しさでいえばずっとましだった。また、しびれも軽減した。しかし、最初の1週間分の処方が切れるころには、吐く息に変な香りが混じるようになった。今思えば、排毒が進んだ結果のひとつなのだろうが、当時は、不安で再度オンライン診療を申し込んだ。
6月上旬、発症から46日目。今度は小柴胡湯(しょうさいことう)が2週間分処方された。炎症に効き、免疫を高める作用があるらしい。これを飲んでから黄色い痰がよく出るようになった。息の嫌な香りも6月の半ば過ぎには収まってきた。寝たきり状態を脱し、少しなら散歩ができるようにもなってきた。
その後も漢方を続けて7月上旬、かなり良くなった実感はあるものの、細かな各種症状は続いていたので再度同じものを送ってもらった。また、近所の内科で抗原検査の準備ができたとのことで受けたが結果は陰性だった。
この頃から、私はTwitterで健康に関する情報を集めるようになっていた。ネットの情報は玉石混交といわれるが、その中から自分に合いそうな情報を見つけては試す、ということを繰り返していた。
電磁波対策グッズを買ってみたり、コロナに効くというサプリを飲んでみたり、代替療法に通ってみたり。そんな方面にもお金を使うようになり、北里の漢方を続ける金銭的余裕がなくなってしまった。北里の東洋医学総合研究所は自費診療で、しかも最上級の漢方を送ってくれるので、大変高価なのだった。今となっては、結果に対するコスパは決して悪いものではないとわかるが、当時の私はあれもこれも試したいという気持ちが強く、北里の漢方一本に絞ることができなかった。
そこで、一定の効果がみられたサプリを基本に据えて、その他の方法も試していくことにした。いろいろ試したせいで、これで治ったと明らかには言い難いが、8月末を迎える頃には手の痺れ以外の症状はなくなって、日常生活にはほとんど支障のないレベルまで回復した。そしてこの痺れは、携帯を触るとひどくなることから、電磁波過敏症であると思われた。
そして、この頃、私はやはりTwitterでどなたかがお勧めされていた『安保徹の優しい解体新書』という本を読んでいた。この本は、医学素人の私が免疫の働きを学ぶには最適なものだった。大切なのは腸内環境であり、血液やリンパの循環であり、薬は基本的に毒であると知った。本を読んですぐに自分の免疫のバランスが知りたいと、白血球の分画検査を受けた。顆粒球78%、リンパ球17%、マクロファージ5%。予想通り顆粒球が多すぎた。理想は55%程である。
そして、私は悟った。
あのお正月のインフルの薬。あれは免疫抑制剤だったのだ。あれで腸内細菌のバランスが悪化して、おならが増え、白髪が増え、視力が低下し、ついに発症したのだ
と。義母にいい顔をしたいという私の日和った弱い心が現在の状況を招いているのだと。
「西洋医学は対処療法しかしてくれない」は不十分な言い方だった。本当は、「西洋医学による対処療法は緊急時以外基本的にしてはいけないもの」だったのだ。症状は、身体が治る為の反応であり、それを安易にとめてはならなかったのだ。
結局のところ、私はコロナだったのかそうではなかったのか、それは最早どちらでもよかった。腸内環境を薬で悪化させた結果、発病した。自分で自然免疫の力を削いでしまったのだ。病の名は何であろうと、発病は必然だった。
この学びを得たことが、私の生き方を変えた。
大切なのは腸内細菌叢であり、腸活をせねばならないと知った。その為には生活全般を整えねばならないと思った。
具体的には以下の項目である。
・添加物・化合物を避ける
・電磁波を避ける
・必要な栄養をとり、毒を出す
・適度な運動と日光浴をし、お風呂に入り、睡眠の質をあげる
要は毒と電磁波を避け、まっとうな食物を食べ、程よく外で活動し、生活の質を正すことが必要だった。
添加物の入っていない本物の調味料と油を揃え、キッチンには浄水器を設置した。ターメリックやシナモンやショウガやニンニクがいずれも毒素の排出に役立つと知り、スパイスカレーを作って常食するようになった。無農薬のオーガニック野菜が欲しいがそんなにお金もかけられないと、有機農家さんのところで援農をはじめた。無料で土に触れてアーシングができ、適度な運動になり、謝礼としてお野菜をいただける。一石三鳥である。
そんな生活をはじめてしばらくすると、知り合いからこどもの為の菜園を作るボランティアをしないかと誘われて活動することにした。すると、そこに同じくボランティアで来ていた人と知り合って、その人の紹介で、格安の農場が借りられることになった。農園仲間もできた。
自分で無農薬の野菜を作れるようになりたいと農業の勉強をはじめたところ、土壌の健全性と腸内の健全性が全く同じ仕組みで成り立つことを知った。
土中の菌が野菜の根と共生しくっつくと、野菜は菌を経由することで空気中や土中の栄養素を得る。そのようにして育った野菜は無農薬無肥料であっても非常に健康で発育もよく、虫をよせつけない。
同じように、腸内細菌が善玉菌も悪玉菌も多様にバランスよく存在すると、免疫細胞は彼らと共生関係をつくりあげ、よく働き、栄養素の吸収率もあがるという。
また、菌は分解者でもあり、人体にとって有益な分解を発酵と呼ぶことも知った。畑の残渣やキッチンの野菜くずは捨てれば燃えるゴミだけれど、発酵させればたい肥になる。それを行うのは土壌菌で、人間は土にクズを埋めて酸素を供給するだけでいい。そこで庭にキエーロというコンポストを設置した。その様子をインスタにあげたところ、キエーロ愛好者の方々にお誘いいただき、キエーロ仲間の輪に入れていただいた。
農業やコンポストなど自然に近い生き方を志向する人たちと知り合い、発酵というキーワードを手に入れたことで、発酵食品も手作りするようになった。味噌、酢、麹を利用した各種調味料、納豆、ぬか漬け、ヨーグルト。さらにヨモギやドクダミ、スギナなどの雑草で薬草茶も自作するようになった。そして気づいた。
「なんだ、すべては最初から与えられているじゃないか」
と。
お金をかけなくても、道端の雑草が薬になる。お金をかけなくても、種と土と太陽と水があれば作物は育ち、残渣は土に還り次の作物の養分となる。農薬も肥料も買わなくて良い。一粒の種が信じられないくらい大きく育ち、また次の種を数多つける。誰かがひとつぶの種を育ててできた種を分け合えば、次のシーズンにはたくさんの人が作物を育てられる。そうやってみんなが家庭菜園で野菜を作れば食糧危機なんて起こらずに、薬も不要でみんなで健康になれるのでは?本当はお金、いらないんじゃないの?
そんなこんなで、菌の働きを知り、この世の理をもっと知りたいと学び、行動することが次の学びやご縁に繋がって、私の生活はどんどん豊かに楽しくなっていった。
2021年12月現在、いまだ電磁波過敏症は残っており、慢性疾患化している。それはつまり、私の腸内環境がまだまだ悪いということであり、改善せねばならないということ。
でもきっと、この生活を楽しんでいれば、よくなる日はくると信じているし、楽しめるということはこの生き方が私には合っているということなのだと思っている。お金をかけずに健康に、幸せになれるということを伝えていきたいという夢もできた。今の自分につながるきっかけを与えてくれたコロナには感謝している。
人生万事塞翁が馬。今苦しい思いをしている人にも明るい未来が訪れることを願って稿を終えます。長文を読んでくださってありがとう。
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