理不尽、のち、痛快~『いつもちこくのおとこのこ ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシ―』
『いつもちこくのおとこのこ ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシ―』
作 ジョン・バーニンガム
訳 たにかわ しゅんたろう
あかね書房 /1988年
【理不尽】道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。
<デジタル大辞泉(小学館)>
誰でも理不尽な経験はある。いくつでも例は挙げられる。
しかしその「理」は誰がどう決めたのか、となると途端に思考停止する。
親に聞けば「屁理屈を言うな。そういうもんだ」と言われがちだ。
物理や数学などの科学は「理」系だが、世のすべてを論破する力はない。
「自然の理」というが、自然災害の被害者は大自然に対し理不尽を感じる。
ともかく大事なのは「理不尽」に出くわした時の対応だ。
しかしこれはいくつになっても難しい。
たった一つのお作法などない。
価値観の軸をもとに柔軟に対応するしかない。
今日の絵本は自分の「理不尽」周辺の経験と重ねて読みたい。
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少年は淡々としている。表情の変化は少なめだ。
教師は大きな図体で叱り飛ばす。高圧的な表情が憎らしい。
そういう表紙だ。
ジョン・バーニンガムの媚びない線により描かれる。
理不尽を含む大人の怒号には観察不足や受容不足がある。
その不足を生むのは大人の常識と定石に頼った結果だ。
「合理的」な経験測の真横は闇がある。
少年は普通に登校中だ。
しかし、まあ理不尽に遭遇する。
ワニに鞄を持っていかれそうになる。
ライオンにズボンを破かれる。
高波にさらわれそうになる。
それでも意外と表情は乱れない。
学校に着いた少年は事情を正直に伝える。
教師は馬鹿げた言い訳だと一蹴する。
そして長い反省文を要求する。
嗚呼、素晴らしく常識的で平等な教師!!
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少年の態度は潔い。
言い訳をしない。
率直に経緯だけを話す。
なかなかこれができない。
自分も含めて。
しかし教師は背景を見ない。
遅刻という事象だけを見ている。
少年は教師を見る。
ふるまいも言葉遣いも見ている。
物語の終わりには教師が理不尽に遭遇する。
それを見たときの少年はとても潔い。
なかなかこれができない。
でもやりたい。
自分も含めて。
とても痛快な終わり方だ。
きっと大人も子どももすっきりする。
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ところで。
この話には一つ無視できない特徴がある。
なぜ少年の名はこんなにも長いのか。
何かの象徴だとしたら何の象徴だろう。
ありえない目に逢う、ありえない少年だろうか。
確かにその方が滑稽さが際立つ。
名前を繰り返すだけでもくすくす笑いが聞こえてくる。
でも、もう一つの仮説がある。
大人はこの本を読んだときに
「ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシ―」
と読んだだろうか?
「黙読」だから、つい「ジョン…(なんとかかんとか)…、」と読み流したりしなかっただろうか?
面倒だからわかったふりをする。
長ったらしいから知ったふりをする。
もしかしたらこれはジョン・バーニンガム流の英国的皮肉の籠ったメッセージかもしれない。
そう思った方が、笑うチャンスが一回増える。
横着を決めた自分を嘲笑した後、もう一度絵本と向き合える。
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~ジョン・バーニンガムのその他の絵本~
『ガンピーさんのふなあそび』
『エドワルド せかいで いちばん おぞましい おとこのこ』
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