別ればなし
今さっき、読み終わった。LiLyの小説、「別ればなし」。胸が痛くて痛くて仕方がない。バッドエンドではないのに、とても辛くなってしまった。
何故なのか。
最終章。行間に、人生のおしまいと別れを見たからだ。
これは恋愛小説なのだが、私がそれを重ねたのは息子だった。
変な意味ではない。でも、私にとっては恋愛相手より、夫より。なによりも大切な息子。
よく自分の息子の事を「小さい彼氏」と称する人がいる。でも思う。
彼氏?彼氏ごときには務まらなくね?この感情。彼氏って息子に比べたら、クッソどうでもいい存在じゃね?
なんで遥かに崇高な存在である息子の事を、わざわざ格下げて呼ぶのか、全く理解できない。
あなたがこの世に生きているだけでいい。あなたより先に死にたいし、絶対に私はあなたを捨てないけど、あなたはいつか私を捨てていい。私が持ってるもの全部あげるし、あなたからは何もいらない。ただただ幸せに生きて欲しい。いつか私よりも大切な相手を見つけて一緒に幸せになって。
心からそう思ったら、愛しい思いが大爆発して涙が出る。
これを突発的に殴り書く事で、私は自分自身を癒している。そうでもしないと頭がおかしくなりそうだった。
今すぐ寝ている息子を抱きしめたい。その白くて柔らかい頬に自分の頬をくっつけたい。起こしたら可哀想なのでそんな事はしないのだが。
息子が生きているという事自体が私にとっての現実だし、息子を中心に取り巻く世界だけが生きる場所だと強く思っている。
もし息子が死んだら。考えただけで気が狂う。他の全部失ってもいいから、息子だけは存在していて欲しい。
息子を失うのがとても怖い。別にいつもそう思っているわけじゃないけど、ふと考えたらなによりも恐怖を感じる。母は強しと言うけれど、私は逆に弱くなった気がする。
当たり前すぎて誰もが忘れている。いつかは別れるという事。相手が誰であっても遅かれ早かれそれは平等にやってくる。何ひとつあの世には持っていけないのだから。
我が子の成長を嬉しく思いながらも寂しく感じる。古今東西世の中の全ての母親がそうだったように。おそらく私の母親も、そうだったように。
来月から教習所通いが始まる。たった(上手く受かれば)25日間の教習期間だけど、その間まともに息子との時間が取れないという事にイライラする。(自分で選んだ事だしもっと言えば若い時に免許を取っておけば良かった話)
でもそれすらも息子の為だと思うと頑張れる。
我が子との時間は長いようで短い。ママママと甘えてきてくれる期間は、多分生まれてから10年くらいだ。たったの10年、まばたきしている間に終わる時間である。
2歳の息子はとても可愛い。可愛い可愛いと毎日言っても足りない。というか、言葉では足りない。この可愛いはいつまで更新されていくのだろう。早く終わって欲しいとさえ思うくらいに、可愛すぎて愛おしすぎて心がもたない。
でも未来に確かなことはひとつだってないけれど、たとえ毛むくじゃらのおじさんになったって、息子は可愛い。これだけは絶対言い切れる。
大変な事もあれど、今悩んでいることもひっくるめて全てが幸せだったと、その時間を失ってから思うのだろう。
私が死ぬ時は、息子の事を想うと思う。自分の親よりも。きっと息子も、還暦超えて死ぬ頃には、私ではなく他の大切な存在を想っているのだろう。全然、いい。むしろ大歓迎。親より大切な存在がいるって、めちゃくちゃ幸せな事。私もあなたがいて幸せだから、そういう人生を歩んで欲しい。
こんなお願い神様は聞き飽きているだろうけど、どうか息子がいつまでも健康で、彼が考える通りの幸せな人生を歩むことができますように。
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