第8回「ブックマン瀬戸川猛資②」
さて〈BOOKMAN〉をご紹介とはいったものの、全号の特集の全内容を紹介することなどもちろんできない。ということで、ここはいくつかの号に絞って見ていくことにする。
■第1号:特集=なぜか、いま岩波文庫が読みたくなった!!
第1号からいきなりコレである。「角川文庫や新潮文庫、集英社文庫が現代のエンタメ作品を続々と出して受けている中で岩波文庫はなぜ今(1980年代初頭)20代30代の若者に読まれなくなったか」という問いは紛れもなく逆張りであるが、嫌みな感じはしない。というのも、例えば巻頭の座談会に集った連中(矢口進也/呉智英/荒俣宏/深野有(松坂健)/瀬戸川猛資)は「岩波文庫を神聖視するがゆえに、逆にそれを叩く文化人」からも外れたある種自由な人々であるからだ。彼らは「岩波文庫はなぜ書店での「棚確保」闘争に負けたのか」を語り「古典とされる作品を今どのように楽しむか」を提唱する。なるほど、この内容であれば今(1980年代初頭)好き勝手にぶち上げても時代錯誤とは見えないだろう。
荒俣宏と瀬戸川猛資があげる「ぜひ再版してほしい岩波文庫の面白本20冊!!」は、小説だけでなく科学書やノンフィクションをもカバーしている。40年後の現在でも「おっ、こんな本があるとは知らなかった、読んでみようかな」と新たな発見があるのがすごい。古くあるがゆえにスタンダードな文庫を第1号のテーマに持ってきたのは、遠く未来の読者をも見据えてのものだったのではないかと勘違いしてしまうほどだ(当時はそんなことは考えていなかったと思うけど)。
■第12号:特集=幻の探偵雑誌「宝石」を追う――ある雑誌の生涯
編集長瀬戸川の探偵小説趣味は度々誌面をにぎわせていて、この号以外でも例えば第6号では「おお探偵小説大全集」という特集が組まれている。しかしその力の入り方、そして巨星江戸川乱歩がこの雑誌を通じて戦後探偵小説、況や戦後文化に及ぼした影響をしっかりと見据えているという点で、この号は類書の中でも群を抜いている。例によって関係者を集めた座談会が組まれているが、それも「大坪直行(〈宝石〉の元編集長)/山本秀樹(雑誌〈幻影城〉の元編集者長で、熱心な〈宝石〉ファン)/戸川安宣(東京創元社編集部)/宮本和男(後の北村薫)/瀬戸川猛資」という、これ以上は望み得ない面子であろう。語られたことのなかった内輪話から、この濃密な面子だからこそ出てくる「細かすぎるネタ」から派生した思い出話まで、ただただ楽しい。(注:山本秀樹氏について、新保博久氏よりご指摘がありました。〈幻影城〉の編集長は島崎博氏です)
また特集内では、〈宝石〉の本誌251冊・別冊130冊の全体像をむしろ細部から描き出そうとする試みが多く行われている(例えば、山本・宮本の二氏による「短編アンソロジイ」、松坂健による「別冊宝石の分類と紹介」、針生一良(折原一)による「世界探偵小説全集」の未単行本化作全レビューなど)。最後に、瀬戸川猛資と都筑道夫による「大坪砂男「天狗」対談」と雑誌発表版「天狗」を判型もそのまま復刻というおまけまでついている。この濃さは誰にも真似のできないものだろう。
■第15号:特集=「辞書」はすばらしい――切磋琢磨の熱中ガイド
「岩波文庫」「宝石」といかにも読者受けの良さそうな特集ばかりになるのもつまらないので、一つくらいはトンチキな特集を取り上げてみたい。とはいえ、内容はガチである。
巻頭に置かれた「読書人よ、辞書に注目せよ」ではまず、「辞書」の定義を確認する。曰く、《ことばを集め、一定の語順に並べ、その読み方や意義、用例などを書き記した書物》とのこと。しかし、言うなれば一個の書物であるこの「辞書」という存在は、「載っているから正しい」「載っていないから差別的だ」という言葉を受けることがある。これは「辞書」には一定の権威があると信じる人が多いからだ……と瀬戸川は喝破する。そして、この特集では「辞書」を「あくまでも一冊の本として扱う」と謳っている。
続いて「日本六大辞書列伝」が語られる。「六大」と言っても中身が優れているとか、有名な編纂者の手になるとか、そういったことは度外視。「日本出版史上特筆さる辞書」を集めたとしている。すなわち、『大言海』(冨山房)、『広辞林』(三省堂)、『広辞苑』(岩波書店)、『日本国語大辞典』(小学館)、『大漢和辞典』(大修館書店)、『大日本地名辞書』(冨山房)の六つだ。それぞれの辞書のエピソードがまた、近代日本における「言葉」をめぐる知的闘争の激しさを浮かび上がらせるもので卓抜。特集の特性上、日本国内の辞書に限定されているため登場しないが、もし可能ならOxford English Dictionaryのエピソードをそこに付け加えてほしかったものだ。
個々の辞書を良し悪しではなく特徴で説明してくれているため、後半の「ジャンル別大ガイド」を見ながら自分の趣味に合う辞書を買い求めるのも一興。また、文筆家、コピーライター、ジャーナリストにそれぞれ聞いた「お気に入りの辞書」のコーナーも面白い。「どの辞書をどのように使いこなすか」という問いかけから、これほどまでに個人の美意識が暴き出されるとは驚くばかりである。
どの特集もそれぞれに大真面目に取り組まれているので、読んでいて思わず引き込まれる。前回も触れた「SF珍本ベスト10」のような、自分の興味のある特定の号だけ持っているという人もいるかもしれないが、機会があればどの号でもいい、手についたものから読んでみてほしい。「本気」の内容だけが持ち得る、読者をギュッと捕まえて離さないピンチ力をご堪能あれ。
もちろん、〈BOOKMAN〉は特集がすべてではない。実際、分量で言えば特集よりも連載のページの方が多いくらいだし、読み応えのハードコア度合いでは連載はむしろ特集を大きく上回っている。
最初期から終刊まで連載を続けたコーナーのうち、後に単行本にまとめられたものが以下である。
「ブックマン物語」によれば矢口進也や荒俣宏は創刊以前から〈BOOKMAN〉に関わっており、第1号の「岩波文庫特集」でも大いに力を貸している。連載期間にあたる83年から91年までの間の荒俣は、『帝都物語』を書きながら、同時に様々な雑誌でビジュアル・ヒストリーに関する原稿を書きまくっていた超売れっ子だったはずで、よくもまあこの趣味的な雑誌に書き続けてくれたものだ。その友情?に、感嘆せずにはいられない。
そのほか、松坂健や平七郎、白井久明と言った人たちが書き続けた新刊レビューや原書レビュー(それにしても、新刊レビューも数か月に一冊しか出ない書評誌では時期外れもいいところだったはずで、その点は気の毒に感じる)、瀬戸川が宅和宏名義で書いた「ペーパーバック映画館」、あるいは単発寄稿の「BM(ブックマン)エッセー」(折原一や加瀬義雄、浅倉久志までもが登場する)など、読みどころ満載というか、もはや全編が読みどころである。
かくも趣味的な雑誌が10年間商業の媒体で続けられたこと、それ自体が80年代特有の現象であったように思えなくもない。しかしこの〈BOOKMAN〉に特有の、ぐちゃぐちゃなようでどこか済々とした読み応えは81年末、やることがなくて暇を持て余していた(と本人は書いているが、さすがに韜晦だろう)瀬戸川が機会をつかみ、全力で突っ走り、そして自ら30号で幕引きとした潔さによるところが大きい(実際、第26号で「ブックマン物語」を書き始めたあたりで、早くも終刊を考えていたと思しい)。一読者としては、もっと続いてくれればよかったのにと惜しみつつもこの圧倒的な密度にただただ酔わされるのが正解だ。
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