人はどこへ行くのか?
昨日、twitterで落合陽一郎さんの、とある一週間の予定という画像が回ってきた。
それを見てみると、睡眠時間はほとんどなく、暇な無駄な時間なんてない。
こんなスーパーマンみたいな生活をしているならば、その成果はすごいのだろう。
以前から落合さんの名前は知っていたのだが、いったい何をしている人なのか分からなかったので少し調べてみた。
結果、よく分からない凄いことを研究しているようだ。
落合さんみたいな人が科学を進歩させてきて、今の社会を作ってきたのだと思う。
だから、彼のやっていることは人類の進歩のために重要であろう。
だからといって私は彼の研究内容について詳しく理解しようとは思わない。
その最先端の研究が私たちの日常にまで届いたときに、その仕組みも分からないまま使えればいいと思う。
仕組みを理解しなければ使えないようなものなら、別に要らない。
人は一体どこまで進歩すれば気が済むのであろう。
その進歩のためにどこまで私たち自身を犠牲にすればいいのだろう。
(無論、落合さんのような研究者はそれを犠牲とは捉えておらず、自ら進んで行っているのだろうが)
私は自分を犠牲にしてまで便利な世の中を望んでいない。
別に太陽が毎朝昇り、風が吹き、草花が芽吹く、それだけでいい。
牧歌的で平穏な生活があればそれでいい。
日本人には西洋の牧歌的な生活が理解できないという意見を見たこともあるが、鴨長明の方丈記がはるか昔に書かれたことを鑑みると、そんなこともないと思う。
どこかで日本は無常観を忘れてしまったのではないか?
平成は災害の多い年だったように思う。
災害が鴨長明の無常観を加速さえたように、現代の日本人にとって、災害は無常観を取り戻す絶好の機会だったのではなかろうか?
ただ、この現代社会で私が牧歌的な生活を望んだとしても周りの理解は得られないであろう。
まぁ別に周りに理解される必要もないのだが。
私は絶対に落合さんみたいな生活はできない。
もっと自然を愛する生活を望む。