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ブラチスラバ探索

世界一退屈な首都に滞在して一週間が過ぎた。私の泊っているホステルを訪れる人は大抵一日か二日で風光明媚なウィーンやブダペストに旅立つ。私だけが取り残されている気もするが、時の早い流れに逆らって居直るのも一興だ。

数少ない観光名所もさんざん目に焼き付けて、やることがなくなった私は公共交通機関の一日乗り放題券を購入して、バスの終点まで行ってみたくなった。ドナウ川の北側に観光名所は全てあり、南側には深く立ち入ったことがなかったので、私はまず南へと向かった。10kmほど先には風力発電のプロペラが隙間なく立ち並んでいるのはブラチスラバ城からの眺めで知っていたが、その間については注視したことがなく未知だった。そこはソ連統治下で計画的に建設されたブラチスラバ民の集合住宅地となっていた。私はソ連時代の画一的な建築物の綺麗に形は整っているがどこか無味乾燥とした風景に一抹の寂しさを覚える。外壁は修繕工事の際にカラフルに塗りなおされているが、朱に交われば赤くなるようにソ連の色が消え去ることはない。そこに住んでいる人の顔もドナウ川の北側で見るのとは違い、どこか寂し気に見えた。

十年一昔というが、それでいうとソ連が崩壊したのは二昔以上前になる。しかし、その跡はしっかりと残っていた。街の中心部はEUに加盟して経済成長を成し遂げることで変わったが、まだ人々の生活基盤は変化していないのかもしれない。

また、ブラチスラバ中心街の少し北側には小高い丘陵地帯となっており、自然公園と新たに開発されたであろう豪華な建物が建っている。たいていの大使公邸もここにある。

大使公邸が立ち並ぶ高級住宅街の少し上には戦没者と弔っている記念碑がある。これが戦没者なのかは分からない。ただ、墓地であることは確かであり、その没年が世界大戦の時期と重なっているからそう考えただけである。

西側はほとんど何もない。ブラチスラバ城から見れば一目瞭然だが、本当に平地が広がっているだけだ。北西に車で45分ほど行けば、自動車工場が立ち並んでおり、そこで働く労働者家族向けであろう街もある

街中に目を移してみると風景はプラハやブダペストの歴史的地区を小さくしたもののようだ。ただ実際にそこを訪れると人通りの少なさに驚く。外国で人通りの少ない通りに迷い込むと、強盗に襲われるのではないかと不安になり身構えるが、ここブラチスラバではその必要性を感じない。ただ単に観光客がおらず、また現地の人も少ないので人通りがないのであり、治安が悪いから皆が避けている訳ではないのだ。
その閑散とした通りでひときわ私の目を引いたのはKGB PUBだ。あからさまなネーミングで、反ロシア感情を持つ現地民に激しく非難されるのではと心配になるが、ここブラチスラバの人はそんなことは気にしないのであろう。中に入るとそのブラックジョークはさらに激しさを増し、ソ連一色である。こんなところに飲みに来るのは観光客ぐらいであろうと高を括ってたが、以外にも私が訪れた時間帯は地元のおじさんばかりであった。まだ19時前だと云うのにも関わらず、酔っぱらったおじさんが店内にオブジェとして置かれている回線の繋がっていない黒電話で必死に誰かと通話していた。彼はそれに飽きると今度はオブジェのワープロで必死に文章を打ち出した。クレムリンに向けての秘密文章でも書いているのだろうか。それに飽きるとスターリン像のところにいってグーパンチをしていた。最終的には店内の私も含めた全員に絡みだして、熱い抱擁を交わしていった。

もうやり残したことも、見たいものも残っていないここブラチスラバだが今月いっぱいはここに留まる。そのあとはウクライナに行くことにした。まずはキエフで20日ほど過ごし、その後リヴィフでも20日ほど過ごそうと思う。その後のことは何も考えていない。

tinderでも初めて現地の女の子に観光案内でもしてもらおうかと真剣に悩んでいる。時代錯誤かもしれないが、私は恋愛は縁だと信じているので積極的に自ら出会いを求めていくのには抵抗がある。そんなことも言ってられないほど暇になってきた。
酒を飲みに出かけたり、ストリップバーやカジノに行けばその問題は解決するのであろうが、そんな低俗なものに堕落してしまうのが許せない。決してそこへ行く人を非難するつもりはない。ただ私は堕落してしまう自分をコントロールしきる自信がないのである。
また金も無限ではないので、行く余裕もない。
誰かが気前よくこのnote経由でお金をくれれば行くかもしれないが、そんなものに期待などしていない。
もっと誇り高く生きていたい。

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